現代刀はアートなのか?②
昨日のブログで「13歳からのアート思考」という本を参考にしながらアートとは何か?について触れました。
今回はその内容を踏まえて「現代刀(現代で作られている日本刀)はアートなのか?について個人的な考えを書いていこうと思います。(昨日のブログはこちら)
物を作ったり見たりする際に何かしらの自分なりの視点や価値観を入れ込むことがアートである、という思考を軸に考えてみると、大事なのは「現代刀」という表面の部分では無く、それを作った作り手側の思想や表現方法など目に見えない部分にある、つまり作り手次第でアートになり得る、というのが今回の本を読んでの私の意見です。
一方で従来と同じような方法で製作した刀、例えば以前の刀よりも刃文が上手く焼けた、などというのは「美術品の中で質が高い」という話であって、アートなのかと言えばアートとは言えないのではないかと個人的には思います。
但しアートという言葉の概念自体が時代時代で変わってきたのは前回のブログで書いた通りですし、作る時にはアートになり得なかったものも作り手の表現方法や見せ方、考え方次第ではいつでもアートになります。
例えば大橋刀匠が製作された刃文に猫を表現するという試み。
日本刀の刃文に猫を描いています。
これは「日本刀=怖いもの」という固定観念を払拭する可能性を秘めたアートに感じます。
または別の見方をすると「刃文を見ると愛刀家は心が落ち着く」という、刀に興味が無い人にはなかなか伝わり難い事を分かりやすい形で伝えている、表現している点でもアートに思えます。
他にもエヴァンゲリヲンと日本刀展に出ていた刀は拵がエヴァ仕様だったりなど、日本刀の柄は糸や皮を使って作るべきだという従来の固定観念を崩したアートに感じます。
では鎌倉期の古刀再現を目指している現代刀(写しなども)はアートなのか?
これも何かしら作者の意味付け次第ではアートになる気がします。
しかし個人的には現代刀で鎌倉時代の古刀が再現されるような試みよりも、平和でテクノロジーの発達した現代だからこそ誕生した、昔にはなかったような「日本刀のカタチ」が現代で表現されたり生まれたりする事についての方にとても興味があります。
鎌倉時代の刀が1振も残っていないなら話は別ですが、結構沢山残っています。その中で上手く再現出来たとしても、本歌にある「歴史」という価値はプライスレスで現代刀はどうしても適いません。
現代刀の価値は今現在にあって、過去と比較するところに無いと思うのです。それよりも見た事のない日本刀のカタチが生まれるとテンションが上がります。
以前studio仕組さんがAIとWeb3テクノロジーの融合により生まれた「Tachi」を発表されていて感動しました。
これこそ21世紀の日本刀のアートのカタチなのかもしれない。
上記以外にも3Dでの表現だったり、絵での表現だったり、展示した上での空間の提案だったりと、色々な日本刀のカタチというのがあるかもしれません。
それらは過去の日本刀という固定観念を払拭する可能性があります。
固定観念を払拭する際は批判も多くあることでしょう。
しかし前回のブログで出てきた偉大な6名の芸術家も世間から批判を浴びながらアートの固定観念を変えていきました。
他にも現代刀を通して世間に何かを問いかけるような作品はアートになる気がしています。
例えば現代刀に少子高齢化を読み取れる何かを掛け合わせても面白いかもしれない。
昔は家を残す為に主君の為に刀を携えて戦っていたが、現代は少子高齢化という戦いとは全く別の所(政策ミス)により、いわば国という主君により家を無くされているという皮肉を込めている、など。
まぁこれは私が数分で適当に考えた事なのでツッコミどころも多いかと思いますが。
現代刀はこれからもまだまだカタチを変えて進化していく余地があると考えます。
これから現代刀という物がどういう方向に転がっていくのか、行く末が楽しみです。
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↓この記事を書いてる人(刀箱師 中村圭佑)