金家鐔にも見る「達磨」という人物について
「達磨」というイヤリングをした坊主が金家の鐔や安親や岩本昆寛の小柄などをはじめ、宮本武蔵なども多々描いているのを見ます。
この達磨という人物、果たして何者なのでしょう?
気になったので調べてみました。
①達磨の生涯について
日本では聞いた事の無い人はいないであろう「ダルマ」。
その由来になった人こそが実はインドの「達磨」という高僧で、禅をインドから中国に広めて大成させた中国禅宗の開祖だそうです。
呼び方は様々で、幼名は菩提多羅、僧名は菩提達磨、そのほか達磨、達磨大師、達磨祖師など。
生没年は不明ですが、概ね4~5世紀頃の人物と考えられておりインドの
香至国(カンチープラ)の第三王子として誕生。
国王の死をきっかけに般若多羅尊者の下で出家、40年余り修業に努め67年間に渡り布教を続け、般若多羅尊者が亡くなると遺言に伴い中国の梁(りょう)に3年かけて船で渡ります。
(修行と布教だけで100年以上経っていますが、これは150歳まで生きたという伝説に基づいている為のようです)
その後中国でも布教を続け、遂に西暦520年に国を治めていた武帝という皇帝から宮廷に招かれます。
仏教を信仰していた武帝は有名な達磨大師と問答が出来ると喜び勇んで質問を投げかけたそうです。
達磨大師は禅の精神を問答の中で伝えるも武帝は理解出来なかったようで、達磨は武帝のもとを去り、その後「蘆(あし)の葉」に乗り、揚子江を渡って崇山少林寺へ向かいます。
この時の様子が冒頭に紹介した「藘葉達磨図」という有名な画題でもあり、宮本武蔵も描いています。
崇山少林寺では裏山にある洞窟に入り、壁に向かい9年間坐禅を続けて悟りを開いたとも伝えられています。
人々はこの姿を受けて、達磨大師のことを「壁観婆羅門僧」と呼び敬ったそうです。
最終的には反発する僧から毒を6回も盛られ西暦528年に150歳で亡くなったと言われています。
②達磨大師の教え
達磨の教えは禅の教えでもあり私もいまいち理解出来ていないのですが、根本思想である「四聖句」の教えと、悟りへの道を示した「二入四行論」、後の座禅の定義ともなった「壁観」で語られるようです。
③終わりに
先の武帝と達磨大師の問答でも、「私の前に居るあなたは誰だ?」と問われた達磨が「知らない」と答えた流れ、果たして今の時代に自分が何者かを説明できる人は果たしてどれだけいるのでしょうね。
私の職業は○○で、好きな物は○○で…私はこういう性格で…などなど説明する方法は沢山あるかもしれませんが、それはそもそも自分自身の思い込みであり他の人から見た貴方はまた変わって見えているかもしれません。
すると一体「本当の自分」はどこにあるのでしょう?
そういう意味では本来、「本当の自分」などといった概念は無いのかもしれませんね。
そうした故の達磨大師の「知らない」という回答なのかもと思ったり。
今回はこの達磨という人物をサッと調べただけですが、奥のとても深そうな人物で調べれば調べるほど面白そうでもあります。
そしてその画題を多用している金家という謎の多い鐔工。
彼もまた禅の道を極めんとした人物だったのかもしれません。
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↓この記事を書いてる人(刀箱師 中村圭佑
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