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【説】《物語》最強説

■こころ と 物語 と △ の関係まとめ

こころ→物語形式(参照) △に依存している
 人々は物語の中で生きている
 人々は物語をつむぎ 物語につむがれている

人の△➔物語で作られている
 物語により、人々は集められ
 物語により、こころは方向づけられる

物語➔△を作り こころを操っている
 ①人は物語とその伝え手が好きすぎる
 ②物語は記憶定着力がある
 ③物語は注意を釘付けにする
 ④良い物語は誰かに話さずにはいられない
 ⑤物語は強い感情を引き起こす

 ( ꏿ_ꏿ)やっぱ物語が最強じゃね?



↓以下おまけ小ネタ

■物語の「作り手」の変遷

(꒪△꒪)←の作る物語はつまんない
神物語( ˘ω˘)<わたしが作るしか
疑物語( ʘ‿ʘ)<いやいやおれが
学物語( ⊙_⊙)<やめろやめろ! ←と言いつつやってる

■史上最強の物語

キリスト教』はなぜ強かったのか(やっとこさ弱ってきてる)
物語で構成されている
喩え話がやたら上手い(身近で理解しやすい)
・伝え広めることが聖なる義務になるという設定
・他の神々に対して不寛容(多神教は寛容にしてたからヤラれた)
・天国か地獄かという究極の二択
・地獄でのがとにかくグロすぎる
リアルタイム性 今現在の話
  
(審判の日がいつ来るかわからない緊張感。ギリシャ神話等は昔話)

■本当の自分?

もしありのままの自分というものがあるとしたら、
それは、何もしていないときの素の状態。
つまり脳内が殆どこいつ→(꒪△꒪)だけになる状態。
(꒪△꒪)は、人がまだ弱い(普通の?)動物だった頃の心。
慎重でネガティブで消極的なくせに、
よく喋り やたら指とダメ出しをする 多動な奴。
そーゆー性格は世間△での評価は低く、少なくともモテない。
よって人間はたいてい、ありのままの自分が嫌い。
でも自分のことが嫌いなんて耐えられないので…

①自分を登場人物にして△公認物語に参加する(普通に生きる)
物語を創作する(物語生産)→過剰にモテる 儲かる
物語世界に逃げる(物語消費)→現実世界と自分から離れられる
④( ´ᗜ`)マインドフルネス・瞑想=物語に頼らずに(꒪△꒪)を消す方法

これらをしてる間だけは(꒪△꒪)を黙らせることができる。
頑張って黙らせているという自覚があるから、
(꒪△꒪)を本当の自分だと錯覚してしまう。
どんなに明るい人でも、
「本当の自分は、ネガティブでつまんないヤツ」
などと思い込んでたりする。

■陰謀物語と原理主義宗教物語

《共通点》
①主に口コミで広まる
②悪と戦う聖戦の主人公になろうと誘ってくる
③活性系の感情を喚起される
④鉄壁の防御力(秘技エビデンス返し)

■物語の2大要素

①困った問題の解決
②道徳的な説教

幸せは退屈
なぜこんなに幸せに関心が薄いのか?
なぜ「のんのびより」は例外なのか?

「末永く幸せに暮らしましたとさ」は、右側のストーリーテラーは幸せな結末の退屈さを早送りして、次の人食い魔女や、乱暴狼藉を働く巨人や、意地悪な継母の話に移れるようにする手段なのだ。

「The Story Paradox」より

物語の中の運
現実の運→結果を決定してしまう
物語の運→結果を決定しない(努力 工夫 正義 が勝つ)

偶然
物語を始めるためには必要
結末に持ってくると台無し

人は物語を求める。
物語は問題を求める。
問題はそれを起こした悪者を求める。

「The Story Paradox」より


人間がしている最大の行為は、言葉の海をかきわけて進むことである。

物語が他人の心に影響を与える唯一にして最強の方法。
物語は人間が持つ最高の手段だが、相手をなびかせるのが非常に難しいとわかっているから、私たちは永久に熱中し続けるのかもしれない。

「The Story Paradox」より


参考本