台湾詳細年表 1938(昭和13)年
1月
1日 台湾神社の初詣客が約3万人と発表。
3日 台湾銀行廈門(アモイ)支店が中華民国官憲によって占拠される。
11日 厚生省が設置される。その名称は第15代台湾総督を務めた南弘の案による。由来は「書経」の「正徳利用厚生惟和」の言から。
14日 内地人農業移民の移住先、北斗郡200戸、虎尾郡に50戸、台東郡59戸、計309戸が決まる。
15日 賀陽宮恒憲(かやのみやつねのり)王が空路で訪台。翌日帰京。
2月
5日 建築家・武田五一が逝去。台湾神社の設計に携わる(伊東忠太の設計補助)。
11日 北港媽祖廟朝天宮で金銀紙の焼却が禁止される。
23日 ソ連義勇軍(ソ連空軍志願隊)と中華民国空軍による空襲。台北の松山飛行場が襲われる。新竹州下も空襲を受ける。
24日 全島において正午のサイレン吹鳴を取りやめる。
28日 竹山神社が鎮座。現在、神苑は竹山公園となっている。
3月
1日 花蓮港で築港通水式が挙行される。台湾東部最初の大規模港湾。
1日 橿原神宮が大鳥居建立に際し、台湾総督府営林署に檜材の発注。
7日 台北市の下奎府町の児童遊園地が開園(現在は緑地として残る)。
10日 台中商工会議所設立。会頭は本山文平(台湾青果会社社長)。台湾最初の商工会議所。
10日 台北駅が新駅舎建設工事着手に伴い、仮駅舎に移る。
14日 台中州の東勢(とうせい)~明治温泉(現・谷関温泉)間の道路開通。
17日 高雄商工会議所設立。会頭は中村一造(台湾倉庫株式会社取締役)。
19日 張彩艦(松岡艦三)が第六期陸軍少年航空兵となる(1943年4月ビルマ戦線で負傷。のちに破傷風で死去)。台湾最初の「帝国軍人」。
23日 台北商工会議所設立。会頭は後宮(うしろく)信太郎(台湾煉瓦株式会社社長)。台北商公会を母体として組織される。副会頭に木村泰治と三巻俊夫。
23日 安平港の改良工事が終わる。
24日 仏教護国団結成式が台北市西本願寺にて開かれる。
25日 新竹商工会議所設立。会頭は谷口與助(合資会社泉館代表社員)。
31日 台北帝大理農学部長に素木得一(しらきとくいち)が着任。
4月
1日 台湾総督府台北医院が台北帝国大学に統合され、同学医学部付属医院となる。
1日 台北州松山庄が台北市に編入される。
1日 映画の上映が3時間までと決まる。事実上の自主規制。
1日 台湾銀行マニラ支店が設立される。
1日 大平山林場のヒノキ材伐採が始まる。
1日 吉野移民村に幼稚園が設けられる(内地移民村初めての幼稚園)。
3日 東久邇宮稔彦(ひがしくにのみやなるひこ)王が航空本部長の立場で来台。
4日 屏東商工会議所設立。会頭は渡邉発蔵(大和商事株式会社取締役)。
6日 彰化商工会議所設立。会頭は佐藤房吉。
11日 遣英国民使節・石井菊次郎が欧州からの帰途、台湾に立ち寄る。台北鉄道ホテルで歓迎晩餐会。
15日 台中州北斗水道の通水式。
15日 高雄の西子湾海水浴場がオープン。
21日 台南州東石郡で歌仔戲が禁止される。
27日 台中州に后里牧場(馬場)が落成。
29日 台北二中の台湾独立運動組織・列星会についての事件詳細が発表される。
5月
1日 台湾日日新報が創刊40周年記念号を発刊。
3日 国家総動員法が台湾でも適用される。
3日 小林総督が澎湖(ぼうこ、ほうこ)・馬公を巡視。6日まで。
5日 花蓮港庁玉里(たまさと)郡の47の寺廟で仏画・仏像の焼却祭が挙行される。
6日 台南商工会議所設立。会頭は宮本一学(台湾自動車株式会社社長)。
10日 日本軍が廈門(アモイ)に上陸。台湾~澎湖~金門~廈門を押さえ、台湾海峡の制海権を押さえる。
13日 海山神社が鎮座。
18日 小林総督が上京。6月15日まで。
19日 亀山島沖で船舶が転覆。20余名が遭難。
22日 総督府官房調査課が昭和12年度末の総人口を560万9412名と発表。
27日 基隆商工会議所設立。会頭は近江時五郎(近江産業合資会社代表社員)。
28日 桃園水道の竣工式典が開かれる。
28日 台東庁の敷島村に内地人移民が入植。開村式典が挙行される(59戸、289名)。
28日 台南合同庁舎の落成式が挙行される。
31日 北斗郡の鹿島村に内地人移民200名が入植。開村式典が挙行される(計画上は70戸、350名)。
6月
1日 台南州虎尾(こび)郡の栄村に内地人移民が入植。宣誓式が挙行される。
1日 台南州新営郡で官公庁において台湾語の使用が禁止される。
6日 下淡水渓(現名高屏渓)の治水工事の竣工式典が挙行される。
6日 台湾銀行廈門支店が開店。
7日 嘉義商工会議所設立。会頭は白井一。
15日 台南の国聖港灯台が設けられる。台湾本島最西端の灯台。
27日 竹田宮恒久妃昌子内親王が傷痍軍人の慰問を目的に訪台。台北から彰化、日月潭、嘉義、台南、高雄などを巡る。北白川宮能久親王御遺蹟地を中心に台湾各地を巡る。29日には愛国婦人会台湾本部を視察。7月10日に帰京。
30日 南日本塩業会社が台南に創設される。
7月
1日 廈門(アモイ)への自由渡航が許可される。
14日 新竹・台中州大地震で不通となっていた台中線の復旧工事終了式典。小林総督が列席。翌日から運転再開。合わせてダイヤ改正。大安(現泰安)駅構内に台中線震災復興記念碑が建碑される。
15日 花蓮港庁下の無名山岳に命名が行なわれる。
22日 台北市の圓山遊園地が開園。
30日 第十一代台湾総督を務めた上山満之進が逝去。台北西本願寺で遥弔式が開かれる。
8月
10日 日本政府が新南群島の長島(現・南沙諸島の太平島)に帝国先占碑を建てる。
20日 開洋燐鉱株式会社が高雄に創立。西沙(パラセル)諸島での燐礦石の採取が始まる。
9月
7日 台北帝大の細谷省吾(せいご)が多発性瘍の予防薬・トキソイドの製出に成功する。
7日 花蓮港を中心とした地域で地震発生。
16日 小林総督が上京(10月8日まで)。
19日 台南州麻豆(まとう)に曾文神社が設けられる。
23日 桃園神社が鎮座。現在は忠烈祠となっているが、神社の各施設が残されている。
27日 タイヤル(アタヤル)族の少女・サヨン・ハヨンが暴風雨のため、南澳渓で遭難。
10月
1日 台北ラジオ放送局でマレー語の放送開始。
2日 九份・金瓜石(きんかせき)のインクラインで台車(トロッコ)の落下事故。死傷者48名。
6日 北斗神社が鎮座。
10日 台湾総督府内に職員用の保健相談所が開設される。
15日 台北第三高等女学校の校舎落成式が開かれる(現在の中山女子高級中学)。
16日 台北市樺山小学校の校舎落成式が開かれる。
17日 台陽鉱業石底炭坑でガス爆発。炭坑夫13名が死傷。現在の平渓。
11月
4日 苗栗(びょうりつ)神社が鎮座。
6日 台南と馬公間の定期航空旅客線が就航。
14日 基隆郡八堵(はちと)の炭坑でガス爆発事故。死傷者18名。
19日 世界キリスト教大会に出席する日本代表・賀川豊彦の一行が基隆に寄港。
28日 大高雄市建設案が発表される。
30日 澳底(おうてい)漁港が竣工する。
12月
1日 新竹で液化天然ガスの供給開始。
1日 日本庭球協会台湾支部ができる。
8日 内台定期航空機の富士号が沖縄で遭難。10名が死亡。
15日 台南孔子廟が市に移管され、27日に祭典が神式で行なわれる。
19日 高雄州下の無名山岳13峰が命名される。
26日 台北市入船町市場が竣工。
(この月) 『支那の夜』(渡辺はま子)が発売される。