フルマラソン無謀な完走録②当日編@富山マラソン2024
スタートまで
5時半起床。いい天気。いつも通り朝ごはんを食べてお手洗いを済ませ(大事)、最寄駅から電車に乗って高岡駅へ。7時半ごろにスタート地点(高岡市役所)へ到着。手荷物を預けて(ゴールの富山市までトラックで運んでもらうため)、ウォーミングアップ用に開放されていた高岡工芸高校のグラウンドを軽く2周して、もう一度お手洗いを済ませて、8時半ごろ整列(最後尾ブロック)。9時、号砲と同時にスタート、と言いたいところだけれど、1万3千人が参加している大会の最後尾なので、スタート地点を通過できたのは9時13分だった。制限時間は残り6時間47分。
スタート〜5km(7'53"/km)
とりあえず、「4時間半で30キロ到達、残りは歩く」という作戦のもと、まずはゆっくり走りはじめる。スタートしてまもなく、観光名所「高岡大仏」の目の前を通るのだけど、この辺り(高岡の旧市街地)は道幅が狭く、いきなり大渋滞。5キロくらいまではほぼ歩いている感じだった。スタート直後は人が詰まっているので、トイレも給水所も大混雑だった。
5km〜10km(7'13"/km)
高岡市街地の幹線道路を走る。前後の人との間隔に余裕が出てきて、少しずつ走りやすくなる。けれど、後半のために体力を温存しないといけないので、調子に乗らずにペースを抑える。10キロまでは特筆すべきことは無く順調。
10km〜15km(7'50"/km)
10キロあたりから、庄川の土手に上がって進路を北に取る。向かい風に耐えながらペースを維持する。土踏まずのあたりが擦れているようだったので、給水所に寄ったついでに一旦止まり、靴ひもを縛り直したら、そのあとは最後まで違和感なく走れた。靴は緩すぎずキツすぎずの加減が大事。服装は、いつもの半袖短パンに、SALOMONの腰巻きベルトを巻いて、そこにエナジージェルを2本忍ばせておいた。15キロ付近で1本目を飲む。
15km〜20km(8'57"/km)
庄川の土手を降りて新湊の市街地に入る。さすが漁師街らしく、応援が賑やか。沿道は曳山やら獅子舞やら私設給水所やらで大盛り上がりで励まされる。一方、天気のほうは、やや曇ってきて風が冷たい。17キロ付近で一度トイレに寄る(行列のため10分近くロス、このあとはゴールまで寄らず)。心拍数160以下を保ち続けてきたけれど、この辺りからどれだけペースを抑えても簡単に160を超えてしまうようになり始めたので、時折歩いて息を整えることにした。20キロ地点手前で、5時間半のペースランナーに抜かれた(30分ごとにペースランナーがいる。5時間のランナーは最初から僕の前にいたと思われる)。ここまで抜かれなかったことに驚いた。
20km〜25km(8'15"/km)
新湊漁港の給水所で貰った渦巻きカマボコを齧りながら、コース最大の見どころの新湊大橋に挑む。橋のアプローチの登り坂は強烈で、風も吹き荒れており、当然、僕の実力ではこんなところを走れる訳はなく、周りのランナーもほぼ全員歩いていた。この坂道を、唯一悠々と駆け上がっていたのが6時間のペースランナーで、早くもここで抜かれる。橋の真上がコース全体の中間地点(21キロ)になっており、ちょうど12時ごろ(スタートから3時間経過)に通過できた(残り4時間)。「30キロを4時間半」の作戦に照らすと順調なので、あとは脚さえ壊さなければなんとかなりそう。元気が湧いて、橋のくだり坂はちょっと走った。なお、ランニングの師匠である職場の後輩は、この時点ですでに自己ベストのタイムで富山市内のゴールに滑り込んでいる。橋を下りたあたりから、ぼちぼちと、コース脇にうずくまるランナー、足を攣って転倒しているランナー、いつでも動けるよう待機している救急車が見られるようになってきた。
25km〜30km(9'27"/km)
また晴れてきて、ちょっと暑いくらいになった。20キロ過ぎからじんわり脚が痛くなり始めたけど、この辺でしっかり痛くなる。人生で20キロ以上の距離を走るのはこれが初めてだから、身体が悲鳴をあげている。でも自分に鞭打って動き続ける。だいたい1キロおきに歩いたり走ったりしながらも、なんとかキロ10分以内のペースを保ち続ける。これだけ頑張ってるんだから、ゴール地点のほうも10キロくらい歩み寄ってくれよ、などと支離滅裂ながらも切実な憤懣にやる方なく地面を蹴っていたら、30キロ地点に到達。スタートから4時間20分。作戦通り。残り2時間半で12キロ歩くぞ、と割り切って、ウォーキング大会へとシフトさせる。いま振り返ると、この区間が最大の踏ん張りどころだったと思う。
30km〜35km(10'40"/km)
いかにも水田単作地帯ど真ん中、という感じの、遮るもの何もないだだっ広い農地を、直射日光を浴びながら歩く。沿道からは、頑張れ!に混じって、間に合うよ!という声援も聞こえる。ここまでの関門は、全てだいたい40分くらい余裕を持って通過できている。残り10キロの地点でエナジージェル2本目を注入する。ここでアクシデント。身につけていたAppleWatchの充電が切れて、時刻も心拍数もタイムも分からなくなった。潔く諦めて前を見て歩く。周りのランナーも、制限時間内ゴールだけを目指して、ほぼ全員が歩いている。身体の痛みに耐えかねて、ロキソニンを飲みながら歩いている人もいた。その手があったか…
35km〜40km(11'30"/km)
実は、歩くよりも走る動きをしたほうが痛みは少ないのだけど、すぐに息切れしてしまうし、腱がプツッと逝きそうな虞があったので、何も考えずにひたすら歩く。給水所も相変わらずこまめに設けられていて、水のほかにお菓子(チョコレートやお饅頭など)が置かれるようになり、食べられるものは全部食べる。ありがたいことに、常日頃から、腹にも養分(脂肪)をたらふく蓄えているので、バテる気配はない。脚が動く限りは歩き続けられそうだった。日は西に傾き始めている。38キロ付近(実家の近所)で両親が沿道から手を振ってくれた。その直後、6時間半のペースランナーに追い抜かれる。7時間のペースランナーはおらず、その代わりは「最後尾収容バス」である。
40km〜ゴール(11'36"/km)
西日を背に無心で歩く。顔と腕は身から出た錆…ではなく、汗由来の塩の結晶でザラザラになって、腕を振るたび黄金色の夕日を浴びてキラキラ輝く。それを見て、無心状態なので何も思わなかった。神通川の橋を渡って富山の市街地に入る。橋のアプローチの緩い上り下りも、弱り切った脚では絶壁のように感じられた。ゴールの富岩運河環水公園が近づいて、沿道からの声援がひときわ大きくなる。最後の200メートルほどだけは、力を振り絞って走った。15時38分にゴールイン。タイムは6時間38分。完走記念品のタオルとメダルと、高岡から運ばれた手荷物を受け取り、妹と合流して、プロテインゼリーを飲みながら脚の至るところに湿布を貼った。そのあと、4時間近く待っていてくれた職場の後輩に挨拶して、そのままゴール近くの屋台でお互いを称え合いながら1杯だけビールを飲み、脚を引きずりながら18時に帰宅。
(つづく)