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フグ刺しで泣いた話をします

ときは2004年。当時、苦学生だった私は、時給の高さにひかれて、横浜の老舗料亭で「お座敷係」としてアルバイトをしていました。着物姿で、担当したお座敷をあの手この手で盛り上げるのが、お座敷係です。

こういった料亭では、日本料理のコースが出ます。お酒とともにいただくのを前提につくられた前菜や刺身、焼き物、煮物などが、美しい皿に美しく盛りつけられ、順番に出てきます。それらを提供するのも、お座敷係の仕事です。

この老舗料亭は、研修やオンボーディングは1秒もないサバイバル環境でした。必要なことは、現場で実践をとおして、学ぶこととなります。

19歳の大学生だった私は、この料亭で働く時点で、瓶ビールのつぎかたも知らない状態でした。お酒や料理の提供方法、お客さんとの話し方など、お座敷の盛り上げ方は現場で一つずつ学ぶしかありません。

瓶ビールをエレガントにつぐ方法は、同じお座敷の先輩の動きを盗みみて、しれーっとマネして会得しました。瓶ビールをつぐ機会はたくさん訪れるので、実践の場は多く、これはなんなくクリアしました。同じく、日本酒のつぎかたもインストールしました。

そしてお客さんとの接し方も、先輩の動きを見て学びました。おしゃべりな私ですが、そのままではいけないのです。話し相手は友達ではなく、親以上に年齢の離れた社長や政治家なので、すべての会話についていくのは不可能です。無理にしゃしゃりでるのは一番だめ。下手にしゃべるより、真顔でときどき微笑みながら静かに座っていたほうが、絵になると学びました。顔はともかく、美しい着物姿ですので。

一番大事な、酔っぱらいのさばきかた。これは得意でした。私の父はアル中でしたから、小さいときから酔っぱらいがいる空間に慣れています。酔っぱらいの行動原理も、理解しています。ある意味、英才教育を受けていたといえるでしょう。なぞの優位性です。料亭で、お座敷が盛り上がり一定数の社長や政治家が「ただの酔っぱらい」と化したころには、私は楽になってくるのでした。

そうなると残すところ、課題は料理提供です。

基本的には、美しく盛りつけられたコース料理を順に出していけば問題ありません。料理をお出しするときには向きが重要ですので間違えたくないところですが、その向きの情報は、配膳係のおばちゃんに聞けば大丈夫。忘れても、隣の先輩を盗みみれます。お客さんからときどき「この魚はなんですか?」と聞かれることへの返答は、週替わりで調理場に貼られるメニューを暗記して準備します。

では何が課題なのか。盛りつけ演出のあるメニュー提供です。刺身、お新香、なべ料理。大皿に盛られたものを、盛りつけたり取り分けたりするのです。

私は、これが苦手でした。基本的に料亭の用途は接待か政治的会合ですので、そこまで料理にフォーカスするお客さんはいません。そこは気が楽です。とはいえ、コース料理だけで2万前後の料理を提供するのに、テキトーにやるわけにはいかないのは二十歳そこらの私でも分かります。

私にとっての地獄の瞬間は、ある小さなお座敷で訪れました。働きはじめて一年たったころ。私は政治家の会合の「ふぐコース」のお座敷を、一人で担当させられたのです。

そもそも私のような経験の浅い女子大生アルバイトは、大部屋のにぎやかし的な役割です。女子大生アルバイトが、政治家の会合の部屋にぶち込まれることはあまりありません。

ふぐが最も旬なのは、冬です。私の記憶は不確かですが、フグの時期から、あれが12月の忘年会シーズンだったのではと推測できます。その日は、よっぽど人が足りなかったのでしょう。なぜか、私がその部屋を担当することとなります。私が日経新聞やニュースで名前を見たことのあった、政治家のお部屋でした。

それまでも、他のお座敷を一人で担当したことはあります。そのこと自体に不安要素はありません。問題は、ふぐです。

ふぐコースには、ふぐの刺身とふぐ鍋。2回、現場での盛りつけがあるのです。今までふぐ刺しと対峙する場面はありませんでした。お座敷を一人で担当するということは、絶対的に、私が盛りつけるのです。他にいないから。ああ。私は、無器用なのです。

しかしそんな私の心配とは関係なく、お座敷ははじまります。梅、と名づけられた2階の小部屋に、4人の政治家を案内しました。しかるべきビールをお持ちし、おつぎするまでは問題ありません。

あのね。ふぐ鍋はいいんです。鍋のころには、酔っぱらいが4人になっていますから。お客さん同士で話が盛り上がり、鍋をお座敷係がどう盛りつけるかなんて、誰も見ちゃいないでしょう。まずいのは、フグ刺しです。刺身の段階は、まだお座敷が盛り上がっていないんですよ。

えー。ここで質問です。読者のみなさんに、ふぐ刺しが身近な方はいらっしゃいますでしょうか?あ、そちらにいらっしゃる。実家が極太の方でしょうか。ありがとうございます。ときどきいらっしゃるんですかね。でも、あまりいませんね。私もです。私だって、実家の太さはミシン糸ほどの細さなのです。だから学費を稼ぐために料亭でアルバイトしているんです。ふぐ刺しなんて、全然なじみがないんですよ。

さらに言うと、ふぐ刺しは!ふぐコースにしか入っていません。ふぐコースは、冬だけの期間限定コースです。そして、お客さま10組中1〜2組が頼むかなくらいの登場頻度でした。だいぶレアキャラ。そんなんなので、私は油断していたのです。

みなさんにビールをおつぎしながら、政治家4名の様子を伺う。2階の奥に配置された小ぶりの梅の部屋は、密談に最適です。重苦しい感じで、たがいにさぐりさぐり、それぞれがお話されています。うわー。別に仲良くない人たちっぽい。重めの部屋だわ。もっと軽めのお座敷だったらよかったのに。

お飲み物が、ビールから日本酒にかわります。あー。この流れ。そろそろ、ふぐ刺しくるわー。うわー。部屋の空気も重いし、私は気が重い。

「お願いします。」
配膳係のおばちゃんの声が聞こえました。配膳係のおばちゃんは、お座敷に入室しないルールです。料理はお座敷の外の準備スペースでお座敷係が受け取り、みずからお座敷に持ち込みます。私はふすまをあけ、見たくなかったふぐ刺しの大皿と対面しました。とうとうきた。ふぐ刺し。

一番えらい人と、2番目にえらい人の間が、私の座る場所でした。そこにふぐ刺しの大皿と、盛りつける小皿を4枚、置きます。さて。うん。だれも助けてくれない。配膳係のおばちゃんは助け舟を求められない。他のおねえさん、みんな別のお座敷で忙しい。おかみさん、所在地不明。そして、お客さんがやるわけない。だから、私がやります。

大皿の、ふぐ刺しを見る。いまわしき、ふぐ刺し。うすい水色の光沢ある大皿に、桜の花びらのようなあわいピンク色のふぐ刺しが、時計まわりにうずまき状になっている。考えうる盛りつけ方は、2パターン。一つは、小さなうずまきを再現。もしくは、縦横に整列させる。

うずまき再現か、整列か。分からないんですよ。覚えてないから。あー。前におねえさんがやってるの、よく見ておけばよかった。こんな日がくるとは思わなかったよ。備えあれば憂いなしとはいうが。私のふぐ刺し、備えなくて憂いいっぱい。最悪。

まず私は、しれーっと取り分け箸をとり、盛りつけ用の小皿を一枚、自分の前に置きました。やるしかない。まずは、うずまき。ふぐ刺しのふぐは、マグロのように独立した1ピースではなく、少しペトっとしていて、互いにくっついているんですよ。さわったことないから、知らんがな。箸でとろうとすると、とりづらい。泣きそう。しかも、やわらかくて、形が変わりやすい。大皿のふぐ刺しを見ると、平面的に置かれているのではなく、1ピースのぶ厚いほうが立ちあがったように置かれている。あーまるで大きく咲いた一輪のお花のよう。美しくて、よござんすね。

話は戻ります。小皿の盛りつけは、どっちが正解なのという話です。知らんがな。もう。ほんと泣きそう。

うずまきパターンを試したが、うずまきの始まりが外か内かも分からない。小皿をまわすか、箸を器用にあやつるかどちらかしないと、うずまきは再現できない。あー無理。うずまきは、これ私の器用レベルで向き合う相手じゃない。もう、正解がどちらでもいい。私は、整列でいかせていただきます。

このときに大事なのは、しれーっとすることです。焦りを出してはいけない。私はこのお座敷の主役ではないからです。政治家4人がむずかしい話を交わすこの場面で、私が目立つわけにはいかないのです。しかも、ふぐ刺しが盛りつけられないのは私の課題であり、お客さんの課題ではない。かの有名な心理学者、アドラーが言いましたね。あれあれ。課題の分離。私の課題は、他人の課題ではない。

しれーっとして、気配を消します。いま目立つと「あれ?あのお座敷係、なんか小皿のうえでふぐ刺しを並べ直してるんじゃない?」と誰かにバレます。バレたとして、笑いをとれる環境でも立場でもないのです。もう、心のなかではあせくりたおして、冷や汗も脇汗も真冬なのに止まらなくて、卒倒しそうな状況なのに、顔だけは、とにかく、涼しげにしておきました。

しれーっとした顔で、整列型にそれっぽく並べたふぐ刺しに、薬味をそえて、順番にお客さんの前に置きます。席次からすると、いちばん偉いであろうお客さんは、なにも反応しません。そのまま、順においていきます。全員分おえて、なんとかクリア。もうこうなったら、飲ませよう。酔っぱらわせれば、こっちの土俵。

そのあとは、覚えていません。何とか乗り切りました。後半で、おかみさんが登場し、お酒もたくさん入り、カラオケも入り、私は一番えらい政治家のおじさまとチークダンスを踊った記憶があります。最後に、その人からおひねりをいただいたので、ご満足いただいたということでしょう。結果よければすべてよし。

ここから。備えあれば憂いなし。見たことあるのとやったことあるのには、天地ほどの差がある。備えが足りなければ、しれーっとした顔でことに当たれば何とかなる。というか何とかするしかない。終わりよければすべてよし。そんなことを学んだ、21歳の冬でした。

しれーっとした顔で乗り切る。これはめちゃめちゃ使えます。私は、料亭でインストールしたこの技で、さまざまな局面を乗り切りました。広告制作プロデューサー時代の、撮影現場のトラブル。大企業へのプレゼン。急にえらい人が出てきちゃったとき。起業後のあれこれ。融資を借りるとき。人前で話すとき。高級レストランに行ったとき。緊張しても、しれーっとしていれば、それっぽく見えます。準備したにも関わらず、それでしか乗り越えられない場面は、それでいきます。今でも。ここだけの話です。

はー。思い出しただけで、冷や汗でてくるわ。ビールでも飲も。つづきは、また今度。

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