文学と尺八📖『年山紀聞』
『年山紀聞(ねんざんきぶん)』という随筆に『尺八」の記述があります。
年山とは安藤 為章(あんどう ためあきら)の号です。
安藤 為章(1659年 - 1716年)は、江戸時代初期から中期にかけての国学者。伏見宮に仕えたが、水戸光圀に召され『大日本史』編纂にかかわる。契沖の指導も受けたとのこと。契沖とは江戸時代中期の真言宗の僧であり、国学者。
こちらが『年山紀聞』↓
○尺八
源氏末摘花に、例のおあそびならす大ひちりき(篳篥)、さくはち(尺八)の笛などのおふこゑ(大声)をふきあげつゝ、云々。続世継第三内宴の巻に、後白河天皇の保元三年正月廿二日内宴をおこなはるゝ所に、尺八といふて吹たえたる笛、このたびはじめてふき出したりとみえたり。
今按、尺八の笛ふるきものなり。保元のも中興とみえたり。唐山(タウザン)にては洞簫といふよし。心越禅師のかたられき。東坡赤壁賦に、その音をよく形容して書たり。此ころ我国(モロコシ)にては、こも僧といふもの、これを吹て活計のなかだちとして、上つかたの人はいやしき物のやうにおぼしめされたり。或人のいはく、こも僧の尺八は洞簫とは形ちもかはれりとぞ。
<語句解説>
・【源氏末摘花〜云々】は、紫式部の書いた源氏物語のに末摘花に尺八が登場するということです。こちらをご参照下さい。↓
・【続世継(しょくよつぎ)第三内宴の巻】とは、平安時代の歌人・藤原為経(ふじわらのためつね)が1158年に書いた歴史物語。『今鏡(いまかがみ)』の別名。
こちらがその『続世継 』
「第三内宴の巻」
尺八といふて吹たえたる笛、このたびはじめてふき出したりとうけ給わりし
と、あります。珍しい楽器だったんですね。
【保元】1156年から1159年までの期間を指す。
【唐山】中華人民共和国河北省に位置する地級市。
【心越禅師】東皐心越(とうこう しんえつ、1639 - 96年)は、江戸時代初期に中国から渡来した禅僧。詩文・書画・篆刻など中国の文人文化、なかんずく文人の楽器である古琴を日本に伝え、日本の琴楽の中興の祖とされる。
【東坡(とうば)】中国宋代の文人、蘇軾の号。
【赤壁賦(せきへきのふ)】中国、北宋の蘇軾が赤壁に遊んだおりに作った、前後2編の賦。
その中の前赤壁賦の一部分。
客に洞簫を吹く者有り。
歌に倚りて之に和す。
其の声鳴鳴然として、怨むが如く慕うが如く、
泣くが如く訴えるが如く、余音嫋嫋として、
絶えざること縷の如し。
幽壑の潜蛟を舞わしめ、
孤舟の寡婦を泣かしむ。
この歌、竹内史光師が布袋軒鈴慕の曲の調べを「怨むが如く慕うが如く、泣くが如く訴えるが如く、余音嫋嫋として、絶えざること縷(る)の如し」と、赤壁の賦の注釈をされています。ご婦人が泣いちゃうくらいの笛の音とは!
「此ころ我国(モロコシ)にては、こも僧といふもの、」とありますが、保元の頃ではなく、安藤為章が生きていた頃の事でしょうか。薦僧はさすがに1100年代にはまだいなかったと思います。「こも僧の尺八は洞簫と違うと或る人が言っている」ということは本人は見た事が無いのでしょうね。
畸人百人一首にも登場
畸人百人一首(きじんひゃくにんいっしゅ)に安藤為章と心越禅師が描かれています。
↓こちらは表紙。おしゃれ✨
見出し画像の部分です。
安藤為章の歌
しのぶくさ 露のかけても 思ひきや また植ゑかへて 袖ぬれむとは
しのぶ草は、「忘れ草」の別名。 思い出のよすが。ということで超簡単に訳すると、想いをよせた人の事を「忘れ草」にかけて、忘れようと思っても、また思い出してしまう…というような意味でしょうか。
心越禅師の歌
あふぎつゝ 空高くのみ 見しもまた けふも雲ふむ 木曽のかけはし
心越禅師は日本の琴楽の中興の祖ということで、琴を弾いていますね。
歌の意味は、木曽の風景を詠んでいるのでしょうか。
いやはや『年山紀聞』、情報盛りだくさんでしたね!笑
最後までお読みいただきありがとうございました😊🙏