虚無僧寺跡を訪ねる★青梅鈴法寺 後編!
前編では、かつての虚無僧寺、鈴法寺の扁額が保存されているという事で、まずはご近所の東禅寺を訪れました。↓
お次は、東禅寺からほど近い鈴法寺跡地へ!といきたいところですが、東禅寺の北東に史跡があるとのことで、お昼休憩も兼ねて見にやってきました。
一日、何回往復したんでしょう…。汗
公園内にボタン園も。
ギリギリセーフで咲いていました。
その公園の北にはめちゃめちゃ大きな鳥居。
御岳神社です。
こちらの神社、新町開拓の折、始祖吉野織部之助正清が新町村開拓完成と同時に、元和二年九月二十九日大和国金峯山権現を勧請し御嶽大権現と称し村内鎮守としてお祀りしたのが始まり、とのこと。
この吉野織部之介どのは、鈴法寺とも切っても切れない重要人物!
その後の詳しい経緯は、吉野織部之介が日記風に書いた『仁君開村記』という記録にあるそうです。原本も同地の吉野家に現在残っているそうな。尺八に関係ある江戸初期の古文書で、原本が残っているのは極めて珍しいのだそうな。
さてさて、ようやく鈴法寺跡地へ!
やっと着きました。
何故『鈴法寺跡』の塔が、2つある理由はこちら↓
一月寺の歴代住職のお墓などの詳細もこちら↓
屋敷三軒分の土地だったということで、かつてはかなり広い場所だったんでしょう。明治政府により、1871年(明治4)に廃寺、1895年(明治28)に焼失したそうです。なんと勿体ない…。
20年近く前にも一度訪れていますが、その時はもっと木々が後ろに茂っていたような…。看板に英語の表記も追加されています。
お参りも済ませたので、今度は吉野織部之介の家に行きたいと思います。
なんと、休館!
茅葺きはもう終わったようですね。
見学できないのは残念でしたが、今度愛好会の遠足には見学できそうです。
こちらに間取りなどが掲載されています↓
帰り道々、広い公園もあったりして、
おお、ここで宴会できるな…
なんて遠足計画を密かにたてております。
やっぱり春かな🌸
すでに楽しみ🎵(宴会が。)
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