『舞踊と音楽は人間自身が発明した最初にして最も初期的な快楽である』アダム・スミス
『Shall we ダンス?』という映画を最近初めて観た。
監督・脚本 は周防正行。役所広司、草刈民代、原日出子、竹中直人、渡辺えりらが出演した、1996年の日本のロマンティックコメディドラマ映画。
今からおよそ30年前の映画だ。
当時、若者であった私は、トキントキン(鋭いという意)に尖っていたお年頃で、この映画が話題になっていたのは知っていたが、オジさんオバさんが見る映画なんか観ない。(あくまでも若者の意見です)
先日ゆーちゅーぶで初めて観たのでした。
役者の演技が圧巻だなぁと楽しく映画を観た次第。
映画の中にもあるが、この頃はちょうどインターネットが普及し、個人でパソコンを持ちだした頃。スマホもケータイも持っていない。ケータイはでっかい電話みたいなのがあったかな。
私が最初に持った(譲ってもらった)パソコンは、Apple社のPowerBookという今のノートパソコンに近いものだった。
キーボードの下の真ん中に丸いボール状のクルクル回るのがマウスだった。トラックボールというらしい。文字も拡大すると小さな四角の集まりだった。
98年にようやく、iMacが誕生し、私もブルーのを買ったものだ。あの頃は、服屋や美容院などお洒落な店には、そのブラウン管のiMacがあったな。
なんてことを思いだす。
最近のドラマは必ずスマホが出てきて(当たり前なんだけど)、逐一スマホからのメッセージが写し出されるため、それを読まないと何が起こったのか分らなくなる。
面倒くさいなぁと内心思っているが、これが日常となっているのが現実なのだと実感する…。
話がそれましたが、
さて、
タイトルにもありますが、
『Shall we ダンス?』の冒頭のナレーションで、アダム・スミスの言葉が引用される。
いかにも学者が考えそうな言葉だなとは思いますが…、
映画の中でも、最初は全然踊れないのが、だんだん踊れるようになり「快楽」になっていくのが上手に描かれている。
このダンスにしても尺八にしても、その快楽への道のりに「苦」を伴うわけで、その楽しさに到達するまでの道のりは長くて苦しくて辛かったりもする。
尺八を吹いていて楽しいか?と聞かれると、実は「楽しいとは」答え難い。
楽しくないわけではないのだけれど、ぢゃ、一体なぜ吹いているのか、よく分からない。
全然、納得のいく演奏なんて出来ないし、いつ吹いても満足感は無い。
そして誰かが喜んでくれるわけでもないし、何かの為になるわけでもない。
ダンスのように運動不足解消にもならない…。
じゃ、何故続いているのか?というと、これは「快楽」というより「中毒」に近いものな気がする。完全に「尺八中毒」に陥っている状態だ。
この中毒性についてはまたの機会に…。
ところで、
映画の中で印象的な台詞があった。
渡辺えり扮する中年女性ダンサーが、ダンスホールでオヤジたちに言う台詞。
ちょっと尺八とリンクしてしまった。
私は、岐阜にいる頃、竹内史光師門下の先生方に学び、移住してからもその門下の集まりに参加していたわけですが、
当時から古典尺八界には若者はおらず、私が一番の若年者。20歳以上も年上の大先輩方たちに囲まれていた。
そこで、時々思ったことがこれだ。
(この上手な人、尺八吹いてなかったら、ただのオッサンだなー)
あくまで、若い人の頭の中ですからね。ご勘弁を。
ま、外見とか全く関係ないんですけど、尺八は。すみません。
今や私もただのオバサンですわ。
大事なのはカッコ良いとか悪いとかでは無く、後半の台詞。
一瞬意味が分からないが、
「人はあらゆる可能性に満ちている」
という事だと思う。
「できない」「不得意」と、思い込んでいる事も、やってみたら案外スッとできるかもしれない。
チャレンジしてみたら?なんて背中を押してくれるような、そんな映画でしたね。
『Shall we ダンス?』<2週間限定公開>
期間限定です〜
『Shall we ダンス?』予告編| Shall we Dance? - Trailer HD
見出し画像は、2019年、810 OUTFIT caféにて、色んな楽器、舞踏とセッションした写真です。
古典本曲普及の為に、日々尺八史探究と地道な虚無僧活動をしております。サポートしていただけたら嬉しいです🙇