分かっているようで分かっていない「手」について。
先日、「鳳鐸(虚鐸)」の曲の解説を改めて調べており、竹内史光師の解説には、
「三虚霊の部分部分の手を取り合わせ、つなぎの手を入れて、一曲にまとめられたものとも云う。」
とある。
これを日本語話者ではない生徒さんに分かりやすく説明するには…、
「手」ってどうやって翻訳するんだ?・・・。
となった。
自分には「手」の意味は何となく分かるけど、ちゃんと言葉で説明するにはどうしたら良いのでしょう。
実は「手」が無くても意味が通じる。
「三虚霊の部分部分を取り合わせ、つなぎを入れて、一曲にまとめられたものとも云う。」
「手」って必要なの?
早速、尺八研究家神田可遊師に質問したところ、ここでの「手」は「旋律」というような意味でしょう、とのこと。
おお、しっくりきます。
因に!(ここは大事)
富森虚山説は間違いが多いという事なので、皆さんもご注意を。
「鳳鐸」の原曲は「三虚霊」からではなく琴古流の「真虚霊」であるということです。
ところで、その他にも尺八特有の「手」がある。
など、
あとは、
(これは神田師が稽古中に実際使われていた。)
普段使う「手」を含む言葉は、誰でもきっと沢山思い浮かぶはずだ。
あの手この手。
行く手をはばむ。
手が空く
手に負えない。
手八丁口八丁。
などなど。
こちらの辞書でも100以上ある。
単語も、手法、派手、上手、厚手、手当等々、いくらでも出てくる。
「手」の意味を分類すると、
[五]の中の「手」の意味に、
かなり古くから、音曲のわざ、奏法、曲、の意味で使われていたのだ。
「合いの手を入れる」という例が音楽に関することだということは誰でも分かるかもしれない。
神田可遊師によると、「手」とはもともとは一節切で、一節切本来の「曲」の意味であり、尺八でも「古伝本手三曲」(琴古手帖)というように本「曲」の意味で使われるとのこと。
「手技・手法」という意味では
その他、誰かの本に書いてないか調べてみたところ、
などがあった。
また、先述の「旋律」では、
「山越の手」とか「子別れの手」という使い方をし、「特有の旋律」の意味もあるとのこと。
その他、
「手」を付ける
これは作曲ではなく、もとからある曲に手を加える(付ける)意味なので、別の「旋律」の意味ととらえてもいいかもしれない。
「鳳将雛」という曲に関して、
とあり、『法器尺八相傳略系』では、「鳳将雛」は細川月翁が「曲を作る」とあるので、文字通り手を付けたと思われる。
さらに、
「本手」の意味
簡単に言うと、古い曲のことを「本手」という。
このことから、
「調子」のことを「本手調子」とも言うことの意味がようやくわかりました。
「なんとか調子」という曲が後々出てきたので、区別のために「本手」を付け加えたのでしょうか。
錦風流では「本調子の調」と言う曲があるので、またややこしい。
こうして調べてみると、ああ「手」はそういうことだったのね、何となく知ってたかも。なんて最初から知ってた気分になりますが、「手」の翻訳もできなかった自分を振り返りますと、まだまだ知らないことが山ほどあります。
まさに、尺八研究家の神田可遊師には手取り足取り教えてもらってばかりで、自分の無知さ加減に手を焼き、手を拱いておりますが、八方手を尽くして手を抜かないように頑張らねばですね。(大変なことに手を染めてしまったもんだ…笑)
そんなこんなで、
分かっているようで分かっていない【尺八用語】
手
についてでした♪