前回は、法燈国師が虚鐸を携えて、宋から四人の居士と一緒に帰朝。その後、大勢いる弟子の中でも優秀な寄竹という弟子に虚鐸を教え、その寄竹が旅に出るというお話でした。
寄竹の旅はいかに?!
以下、漢文が「虚鐸伝記」
かな文字入が「虚鐸伝記国字解」です。
その下に簡単な訳です。
寄竹、虚空蔵菩薩のもとで、他事考えずに、心一つにして夜通し拝んでいた。
ちょっとうたた寝したら虚空蔵菩薩の霊夢を見た!
その夢とは…、小さな小舟に竿を立て、海の上で名月を見ていたら、突如霧に覆われ月の明かりもほの暗くなってきた。
するとその霧の中に寥々ともの寂しく浩々と笛の音が響き渡り、しばらくして止まった。
そして、立ちこめる霧が次第に凝結して一つの塊になって、その塊からまた笛の音が発せられた!その音色は誰も聞いた事が無いような妙音だった。
夢の中で、これは虚鐸でこの音を真似して吹いてみたいと思った。にわかに目が覚めた時には、ただ虚空蔵堂にいて、霧の塊も船も無く、ただ笛の音が耳に残っていた。
寄竹は不思議に思って夢で二度聞いた音を虚鐸でうつしてみると、聞いた通りの音がでた。
(今まで虚鐸伝記国字解の寄竹のよみは「きちく」であったのに、突然「きょちく」となる?!)
寄竹、直ぐに紀州に帰って師である法燈国師に夢の話をして、その吹き様を告げ、曲の名前をつけてほしいと請うた。
これは仏の授かりじゃ、最初に聞いた曲を霧海篪、後に聞いた曲を虚空篪と名付けなさい、と法燈国師。
その後、寄竹は修行の時は虚鐸を吹いて聞かせ、人に何か面白い事を聞かせろといわれたらこの「霧海篪虚空篪」の二曲を吹いたそうな。
(「きちく」に戻った...)
後世の僧がこれを知らずに、虚鐸を曲名にして、その上鐸を鈴と転じて虚鈴として吹いている。本来の意味が無くなってる。
その上、後世の僧は、我も我もと皆好き勝手に色んな曲を吹出している!張伯が鐸の音を吹く為に、他の曲は吹かないという掟は絶えてしまった。悲しいかな!寄竹は後に虚竹先生のこと。
今回はここで一旦終わり。
寄竹が最初に聞いた音が、
寥々ともの寂しい笛の音 → 霧海篪
次の音が
朦霧が次第に凝結して一つの塊になって、その塊からまた笛の音 → 虚空篪
次の音が霧が塊になって笛(篪)の音なんだから、曲名逆にしたほうがしっくりくるきもしますが...。
【篪】とは笛のこと。
これは命名した法燈国師に聞かないとわかりません…
そして、ぼやきが…。
霧海篪、虚空篪が大事だってのに、今時の若いもんは好き勝手に色んな曲を吹きよる!
との事です。
さらに、
「虚鐸」というのは尺八のことなのに、曲名になってるし、しかも鐸の字を鈴として「虚鈴」となっておる!全然違うわい!
との事。
「虚鐸伝記国字解」より前に書かれた「虚霊山縁起並びに三虚霊譜弁」(1735年)筆者、京都妙心寺の禅倘和尚によると、
一、霧海篪、二、嘘鈴、三、虚空 を三虚霊と呼ばれる
と書かれています。
いわゆる「古伝三曲」。
因に、「虚霊山縁起並びに三虚霊譜弁」には「虚鐸」と言う言葉は一切でてきません。
そもそも『虚鐸伝記』の筆者は、何故尺八の事を「虚鐸」と呼ばせたのでしょうか。そして、重要な曲をなぜ2曲にしたのか。さらに、寄竹は、「きちく」なのか「きょちく」なのかどっちなのか?
謎です...。
この霧海篪 は中世から吹かれていたとも言われます。
尺八研究家神田可遊著『虚無僧と尺八筆記』の尺八古典本曲解説「鈴慕・霧海篪」によると、「『霧海篪』は「恋慕」の異名であるということになっている。」とのこと。
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次回は元祖虚無僧?!楠正勝登場です!