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「調子」大研究!
古典本曲では一番最初に覚える『調子(ちょうし)』という曲があります。
虚空や虚鈴の前奏曲とされる、とっても大事な曲です。
が、
意外と詳しくこの曲を語られることが無い…。
しかも曲名が「調子」ということで何となく他の古典の曲よりも重みがかんじられないような…。「このお調子者!」の「調子」ですものね。
別名に、本手調子、竹調べ、明暗調子、京調子、洛陽調子などと呼ばれています。
浦本浙潮師曰く、
「本曲吹きは、先ず竹を手にして最初に吹くのがこのたけしらべであり、またそのたけしらべをちょっと聞けば大方の技量のほどがわかるといったものなのです。竹をとって息を入れてみると、自分でも意識しないで吹いているのが、しらべなのです。」
とあります。
と、いうことで今回は、
「調子」大研究!
です!
こちらは明暗三十六世小林紫山師(1877-1938)の遺した本手調子の楽譜↓
![](https://assets.st-note.com/img/1639402164086-iscla3zlv9.jpg?width=1200)
以下尺八専門家、研究者による「調子」についての記述。
竹内史光(1915ー2011)
本手調子、竹調べとも云ふ。又は明暗調子、京調子、洛陽調子とも呼ばれる。
曲に入る前に心を整える為に吹く竹調べ。
普化尺八は調子に始まり調子に終わると言えるほど、古典尺八の真髄。
吹管の第一に気息の調和を為す。
竹内史光門下の藤川流光師からは、「調子」は「永字八法」だと習いました。
全ての技が入っており調子を完璧に吹く事はとても重要で、その人の力量は「調子」を吹けば分かり、「調子」を確実に習得していないということは、まずもって有り得ないということです。
浦本浙潮(1891-1965)
此の調子は竹調というよりはむしろ一曲をなしているとみるべきものである。吹き去り吹き来たって味わってみるに、凡そ明暗流の多くの曲目の中で此のくらい纏まったものは只虚空の一曲を除いて他にあるまいと思われる。
稲垣衣白編『尺八本曲と古管尺八を愛好された 浦本浙潮先生』の中で、浦本浙潮師が「調子」の研究をされており、とても詳しく書かれておりますが、その中で「調子」の一小節一小節の息の長さを計って全体をどのくらいの長さに収めれば曲が落ち着くかという研究までされております。かなりマニアック!
![](https://assets.st-note.com/img/1639396400118-upUzYlrGtz.jpg?width=1200)
う〜ん、結局どれが良かったんだろう⁉️
稲垣衣白(1915ー95)
對山は西園流から導入の後、ほとんど手を加えていない。
調子は昔のままの曲であるとのこと。
古川幻庵著「明暗尺八 名曲の解説と鑑賞」(1986)
「チョウシ」京都明暗寺伝。「調(しらべ)」「本手調子」ともよばれ、虚空、霧海、虚鈴を吹く前に、音階を調べ、呼吸を調(ととの)え、俗塵を遮断する。調心、調息、環境浄化の曲とせられている。
明暗尺八に於ける「調子」は独立した本曲であり、儀式、法会、献笛の際にはこの「調子」をもって開閉の曲とし、普化尺八修行の最初にして最後と称せられるもので三秘曲と同じく格調高く秩序整然、一呼吸、一音節の厳格な奏法をもって終始する即ち太めの息を強くまっすぐに吹きこんで、一切の装飾音、ユリ、ムラ息など、特にユリを避け、剛健にして平淡枯爽、本曲独特の「直吹き」をもって一貫する。この曲はもと、遠州浜松の鈴鐸山普大寺に伝承されたものと云われ、明治四年以降、名古屋の西園流に引き継がれ、西園流出身の樋口對山によって明暗寺寄竹派の本曲となった。
普大寺は、一月寺の末寺であり、一月寺は千葉県松戸市小金町にあり、宝伏(ホウフ)居士伝来の釈迦如来を本尊とし、金山(きんせん)古山禅師を開山とし、鎌倉時代正嘉二年(1258)の開創で、虚無僧寺のなかでも、最も古い歴史をもつ。
この一月寺~普大寺に「調子」の原曲があったということは、この曲は日本人の創作にまつわるものであったとしても、その源流は金先居士、その師匠宋人宝伏居士からもたされたものであり、それには虚空、霧海、虚鈴などとともに、唐時代の旋律であり、遠く原始仏教発祥の地、ネパール~チベット~中国~朝鮮~日本へと伝来されたものというのは、田辺尚雄氏の説であり、すでに定説となっている。
【一月寺】とは
法燈円明国師(心地覚心·鎌倉時代の臨済宗の僧)が宋から帰国の際に連れてきた4居士の一人、宝伏の弟子で金先古山禅師によって創建された寺といわれている。
↓こちらが現在の一月寺
![](https://assets.st-note.com/img/1639369948505-Hne4C4SiCe.jpg?width=1200)
![](https://assets.st-note.com/img/1639370001938-Q2FukllepW.jpg?width=1200)
こちらに詳しくあります↓
月渓恒子著「尺八古典本曲の研究」(2000)
浜松の鈴鐸山普大寺の最後の看守、玉堂梅山から名古屋の西園流流祖、兼友西園が習い、これを後の京都明暗寺對山派の祖、明暗三五世樋口對山が習い現在に伝わった。
上野堅実著「尺八の歴史」(2002)
「調」のグループの曲はもともと他の伝承曲とはやや趣が異なり、本来は曲を吹く前に気息を整える為に吹くものという扱いの曲であり、かなり古くから存在していたと思われる。
と、言う事で、
はるか唐時代の旋律であり、遠く原始仏教発祥の地、ネパール~チベット~中国~朝鮮~日本へと伝来されたといわれる「調子」。
かなり奥が深いです…。
そんな歴史に思いを馳せながら、精進しましょう🙏
調子さえ吹ければあなたも虚無僧になれる!!!
が、しかしこの「調子」こそが1番難しい曲なのではないでしょうか。
以上、「調子」大研究!でした😊
(大袈裟でスミマセン笑)
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