尺八界、あんな人こんな人☆素浪人の巻
久々の、あんな人こんな人シリーズです♪
私が出逢った尺八界の人々のことを好き勝手に書いてます。
見出し画像にあるのは、今井宏泉著『素浪人 塚本竹甫』。
明暗流三十七世谷北無竹から対山流三世の看板を譲られたという塚本竹甫の伝記。
この本は、塚本竹甫の伝記でもあり、樋口對山の後の流れや、この頃の明暗流界隈の事が詳しく書かれた本だ。
副題に「尺八に生き、酒を愛した男」なんてあるので、これを最初に貸してくれた藤川流光師も気に入っていたのかもしれない。
(検索してみると、この本は今やネットで15,000円で売られている!)
私にとっては、塚本竹甫という人は伝説の人であり、地元岐阜県にある正眼寺と縁があるということで、親近感を持っておりました。
先日、そんな伝説の人、塚本竹甫が滞在していた寺、正眼寺の開山忌に縁あって行くことができ、さらには竹甫師のご子息、竹仙師に接見が叶う事となった。もちろん目的は竹仙師にお会いすること。
それもこれも、竹仙師のお弟子さんであり、何年か前にご連絡頂き、以来時々古典尺八楽愛好会を訪れてくださる貴重な方のおかげです。尺八史料にある漢文の意味などをいつも教えてもらっています🙏
竹仙師は、父上の塚本竹甫師が亡くなった後、竹甫師に引き続きずっと、正眼寺開山忌の献奏をされている。
実は私は、竹甫師のご子息竹仙師が尺八を吹きご活躍されていることさえ、知らずにいた。
臨済宗妙心寺派 正眼寺
元徳2年(1330年)、関山無相大師が開山した臨済宗妙心寺派のお寺、正眼寺。
毎年10月12日に、正眼寺を開山した関山無相大師を悼んで開山忌といわれる例祭が行われている。
2024年のこの日は開山忌の前に献茶式が行われ、裏千家大宗匠が献茶をされるという特別な日でありました。
塚本竹仙師の献奏を聴く前に、知人にご紹介して頂き竹仙師ご本人にお会いしてお話をすることができた。
まっすぐに人の目を見て話す竹仙師からは、とても真摯な人柄がすぐに伝わった。
あの素浪人竹甫の性格がそのまま遺伝したのであろう雰囲気も感じる。
献茶式と開山忌にて尺八の献奏をされるのですが、昔は2時間くらい通して尺八を吹き続けていたそうで、最近は短くなったとのこと。
私は、竹仙師の後ろに座布団を用意してもらい、ずっと献奏を拝聴させて頂きました。
(ご本人はとても控えめな方なので後ろ姿だけのお写真です)
塚本竹仙師を知る人は、中国人のお弟子さんが大勢いることをご存知かと思う。
その理由をお伺いした。簡単に説明すると、竹仙師は、ここ正眼寺に併設された正眼寺短期大学で尺八の講師をされていた。
(入学してみたい…↓)
その縁で中国臨済宗のお寺との交流があり、中国に行った時のこと。
中国で横笛奏者で有名な趙松庭師の工房に行った時、趙松庭師は循環呼吸で演奏していた。竹仙師はずっと本曲の流れを止めないように演奏するにはどうしたら良いか考えていたので、その循環呼吸がそれだ!という事で教えてもらうことになる。そのお礼に竹仙師は尺八を中国に里帰りさせるということで、中国の人々に無償で教えることになった。
そこでも偶然に色々な縁があり、生徒さんが増えていったそうです。
そんなお話を伺いました。
日本では竹仙師の写真や動画は殆ど流出していませんが、中国系SNSではそれが確認できる。竹仙師は大勢の若い男女のお弟子さんに囲まれている。
さて、今の日本人の古典本曲奏者の先生に若いお弟子さんたちに囲まれている、そんな人いるだろうか。なんとも羨ましい限り。
以前、とある中国出身の尺八の勉強を始めたばかりの方に、明暗流は、現在明暗42世で、樋口対山から続いているのに、塚本竹仙師は何故「対山流四世」を名乗っているのか聞かれたことがありました。
そもそも、明暗寺の系列は普化宗廃宗で終わったのに、樋口対山からまた続いているのが、なんで?という話なので、詳しくはこちら↓
今の明暗流に伝承されている曲は、西園流や琴古流などから樋口対山が集めた曲。京都にあった虚無僧寺明暗寺の伝承曲ではない。本当は「対山流」というのが正解なのかもしれない。
明暗流37世の谷北無竹が「対山流三世」の看板を塚本竹甫に譲ったのは事実なので、竹仙師が四世を名乗ってもおかしくは無いのであります。
ただ、尺八を勉強した中国の方々が、日本にはまた対山系列の明暗流があり混乱するかもしれないですね。
昔、袂を分かったとしても、これはどちらも「存在する」としか言いようが無いです。
現代においては、明暗流、琴古流、都山流など、2つの流派を掛け持ちしている人も多いです。私が教えている人も、半数の人が明暗以外の流派で同時に学んでいます。
この曲はどこの誰に習ったか、その人はまた誰から伝承されたのかを把握しておけば良いのではないでしょうか。
虚無僧研究会のおいても分かるように、色々なルーツを持った人がいます。
自分の師匠を尊敬し、楽譜をきちんと守りその竹の音を理想として稽古に励むのが、良いのではと思います。
話は竹仙師に戻りますが、
竹仙師の尺八に対する姿勢はとても厳しいです。
まず、
学ぶのに師匠の音の録音は禁止。
動画は論外。
録音された音など屍でしか無い。
とのこと。
そんな、録音された音を聞いて、これが本当の音だと思われては、たまったものではないということ。
いやはやホントそうであります。生音に勝るものはないのであります。
そういう信念を、この録音録画媒体にありふれた世の中で貫き通しているところが素晴らしい。「気骨のある」というのがまさにぴったりの方です。今どきこんなに気概のある方はいないのではないかと思います。
(関東においては私の知るところ、石橋愚道師、神田可遊師がいらっしゃいます!)
正眼寺にある竹甫が籠もったという納骨堂を、案内してもらいました。
新しく建て替えられておりますが、それでもこの場所に!と思うと感慨深い。
竹仙師は父上である竹甫師がここに籠る時に、自宅から車でここまで送ってきたそうです。
竹仙師は、厳しいところもありますが、とても優しく温かい人柄でもあります。だからこそ、真剣に尺八を教えているのだと思います。
はてさて、オンラインレッスンで免状をさっさと出して世界に広がる古典本曲は、はたしてそれで本当に良いのでしょうか。それで伝承曲と言えるのでしょうか。(自戒を込めて)
竹仙師の志を引き継いだ若い方々が、今後活躍されることを心から祈るばかりです。
竹仙師にお会いできて本当に良かったです。
感謝🙏
尺八界、あんな人こんな人シリーズでした♪
石橋愚道師のnoteはこちら↓