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復讐の女神ネフィアル 第2作目《子爵令嬢の図書館》 第3話
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アルトゥールは、依頼人テルミナールと連れ立って根城にしている宿屋の食堂から出た。
目指すはロージェのいる『ワケありの』者たちがいる裏通りの酒場だ。
その店は、古びていて侘(わび)しさがある。そんな場所の方が落ち着くと感じる者たちのための場所だ。脛に傷持つ身でも、後ろ暗い過去と現状があろうとも受け入れてくれる、そう感じさせてくれるのだ。
この店で働く者たちはアルトゥールと懇意(こんい)にしてくれていた。それは不思議ではない。ネフィアルの裁きは絶対に公正。人間の役人や貴族連中のように、自分の心情が公正より優先することは滅多(めった)にない。
その店から黒い猫が一匹出てきた。しなやかな動き、流れるような体つきの美しい猫だった。
アルトゥールはすぐに気が付いた。これは魔術師の使い魔であると。テルミナールはちらりとその猫に目をやっただけで特に何も言わない。彼には分からないのだろう。
ロージェのいる店には魔術師もいる。グランシアが所属している魔術師ギルドにはいられない、はぐれ者の魔術師がいるのだ。とてもこの店に相応しい、とアルトゥールは思う。
猫は、この店に招かれざる客が入って来ないように見張りとして居るのだろう。これまでにも何度か、この黒猫を見ていた。
黒猫にかまわずにその脇を通り、店の入り口の扉を開けて入る。入り口の背は低い。頭を屈(かが)めなければ入れないようになっている。なんのためかと言うと、突然の攻撃的侵入を防ぐためである。とりわけ、多勢で一気になだれ込むのは防ぎやすい。
いきなりアルトゥールの顔のすぐそばに、銀色の細いナイフが飛んできた。扉のすぐ側の壁に刺さって止まる。壁も扉も木製だ。鋭い金属製ナイフなら刺さる。
アルトゥールは、自分を狙ってきたそのナイフを壁から引き抜いた。壁には、こんな刃物の傷跡がいくつもある。これまでに、ここでどのようなことが行われてきたのか。実にはっきりと示していた。
防護の神術(かみわざ)を使うのは止めておいた。ナイフを投げてきた者に視線を向ける。若い女で、黒に近い濃褐色の髪を長く伸ばして緩やかに波打たせていた。身体(からだ)の線にぴったりとした革の服が全身を覆(おお)う。きれいになめされた上質の革。薄手の革鎧のような効果があるだろう、間違いなく。ネフィアル神官の青年は、そう見て取った。鎧代わりの革服は、女の髪の色と同じだ。女は口を開いた。
「アルトゥール、あんたか。ロージェからよく話は聞くよ。そちらの魔族の血を引くお兄さんは、よく知らないけど」
「……なぜ分かった?」
テルミナールは瞳に冷ややかな光を宿らせた。誰にでも教えはしないのは当然だ。
「見りゃ分かるさ」
女はふん、と鼻を鳴らした。小馬鹿にしているわけではないようだ。大したことでもないのに、と言いたい時の癖なのだろう。なるほど、確かにこの店に来るような者にとっては大したことではないに違いなかった。ロージェもテルミナールの正体を見抜けるだろう。そうアルトゥールは考えた。
「何者だ?」
テルミナールは警戒を示す。
「それはこっちが聞きたいね、魔族のお兄さん。勝手にうちの店に来たのはあんたたちの方さ。あんたの方から名乗りな。ああ、そっちの紫の目のお兄さんは知ってるからいいよ」
女は片手で器用に細身のナイフを弄(もてあそ)んでいた。いきなりそのナイフが女の手から放たれる。それは真っ直ぐに宙を飛んで、天井近くにいた毒トカゲを刺した。店の中の者は別に気にもしていないようだ。
今は五人ほどの客がいた。カウンターの中には二人の男。給仕をするのは女二人だ。若いのと年取ったのと。どちらも油断のない目つきと身のこなしをしている。
ナイフを投げた女は、靴を脱いで空いている椅子の上に乗った。そこから背伸びをしてナイフを天井の梁(はり)から抜いた。毒トカゲは彼女の手の内にある。死んでいた。椅子から降りて靴を履(は)き、アルトゥールに毒トカゲを差し出した。
「何か?」
アルトゥールの問いに女はニヤリと笑ってみせた。
「ねえ、これを生き返らせることが出来るでしょ?」
少しだけ虚を突かれた顔をしてみせた青年神官に、女は悪戯っ子のような笑みを見せた。
「出来るんでしょう? 蘇生」
「冗談はやめてくれ」
わざと冷ややかに聞こえるように言う。
「あら、怒らないでよ。あなたを軽んじるつもりはないの。だってロージェもそうやって助けてくれたって聞いたから」
「あれは蘇生ではないよ。危うくそうなるところだったが」
「そうなの、分かったわ。ロージェは話を大きくしていたのね」
あえて、知人がいかに語っていたのかは聞かないでおくことにした。
「あなたたちは何の用で来たの」
「それはロージェに話す」
アルトゥールはきっぱりと言った。
「奴はどこにいる?」
「ロージェなら当分戻らないわ」
「そうか」
残念に思いはした。よくあることだ。ロージェとの間に信頼感はある。だが自分たちの都合を度外視してまで協力し合うことはない。
給仕女の若い方が窓の内側の木戸を閉めた。すでに夕暮れ時を過ぎて暗くなりつつあった。早春の夜の冷たい風が入らぬようにしたのだろう。硝子窓(がらすまど)は、裕福な者の屋敷か、大規模で高位のジュリアン神官が通うジュリアン神殿だけにある。大抵はここと同じように木製の扉を内側に取り付けているのだ。
カウンターの中の男が灯かりを灯(とも)した。魔術による明かりを一つ。魔術は、ギルドが管理しているものが全てではない。庶民の間に古くから伝わる素朴な術がいくつもある。それは《ベナダンティの術》と呼ばれる。大した力や効果はないが、明かりを灯すくらいは出来る。ここのは、炎のランタン三つ分の明るさだ。明かりの色は、火というよりは夕暮れの陽の光の色だった。夕闇迫るひと時が、凝縮して店の中でとどまっているかのように。
アルトゥールに向かってナイフを投げてきた女は言った。
「ロージェの代わりに、アタシが協力してあげるわ。まだ名乗っていなかったわね。アタシはシンシア、よろしく」
女は軽くウインクしてみせる。アルトゥールはそっと店内を見渡した。
ロージェはこの店でそれなりの顔であり、アルトゥールもそれは同じである。自分がここに来たことに対しても、ロージェの不在にも、無関心ではいらないはずなのだが、見たところ誰もこのやり取りを気にしていないようだ。その無関心に近い態度は本物だろうと見て取る。
と言うことは、シンシアは、ロージェの代わりを申し出ても、この店の者たちに不審に思われないのだ。皆に認められた実力者なのだろう。
あらためてシンシアと名乗った女の身のこなしを観察する。確かに『手練れ』だと分かる。ロージェにも負けないくらいに。
シンシアはあご先でカウンターの奥を示す。
「とりあえず話を聞かせて。いいでしょう?」
テルミナールを見て言った。
魔族の血を引く若者は、戸惑(とまど)っていると同時に、怪訝(けげん)そうである。アルトゥールを見る眼差しは、
「信用できるのか?」
と尋ねているようであった。
アルトゥールは、
「大丈夫だ」
と、断言してみせた。この程度の決断が出来ないのなら、初めから依頼も受けるべきではないだろう。暗殺者ギルドのバルミドに関係した話なのだ。まだそうなると確実に決まったわけではないが。
「ロージェをどの程度知っている?」
アルトゥールは気になってシンシアに訊(き)いた。
「かなり知ってるわ」
シンシアはニヤリとした。
「一緒に仕事をしたことがあるのか?」
アルトゥールの声を聞いても店にいる者は否定しない。『その通り』を意味するのだろう。ここの符丁(ふちょう)まではよく知らない。ある程度は察しがつく。ロージェだけでなく、この店ともアルトゥールはそれなりに長い付き合いなのだ。
「分かった。信頼するよ」
紫水晶の色の瞳でじっと相手の目を見る。眼前に立つ女の目はトパーズの色をしていた。知り合いの魔術師グランシアも同じ色の目をしている、とアルトゥールは思った。シンシアの方がいくらかは淡い色合いである。
シンシアは猫(ねこ)のようだ、とアルトゥールは思った。もう子猫ではない。おとなの猫である。我ながら陳腐な例(たと)えだとも思う。
テルミナールは、訝(いぶか)しむ目つきでシンシアを見ていたが、直(じき)に穏やかな態度になった。シンシアを、ではなく、ネフィアル神官である自分を信頼してのことだろう。と、アルトゥールは考える。万が一シンシアが裏切りでもしたら、その責はアルトゥールが負わされるのだろう。信頼とはそのようなものだ。その時には、「信じたテルミナールが悪いのだ」と言って逃げるわけにはいかない。それくらいなら最初からこう言うべきである。アルトゥールはすぐにこう告げた。
「テルミナール、僕の言うことやすることを全て信用はしないでくれ。人を見る目も。シンシアにもこの店にも、完全な保証は出来ない」
依頼人であるテルミナールのアルトゥールを見る目が少しだけ変わった。
「分かりましたよ。確かに、全てをあなたに頼り切るわけにはいかないですね」
自らの責任を引き受ける覚悟が、毅然とした物腰となって表れてきた。同時にアルトゥールと彼の女神ネフィアルに対して、過度な心服はなくなったのを意味してもいるのだ。
「詳(くわ)しく話してちょうだい」
シンシアにうながされて、テルミナールは話し始めた。アルトゥールに話したのと同じ内容であった。
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