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『復讐の女神ネフィアル』第7作目『聖なる神殿の闇の間の奥』第1話
誰にも聴こえない夜だ。この夜は静かだ。
静かで、透明である。
誰にも聴こえない夜だ。この夜は静かだ。
静かで、透明である。
美しい月の夜だ。銀の月も紅い月も丸い。丸くて、明るい。
何故か、紅い月は西方世界の北の地ではより明るく、美しく見えるらしい。ここでは、西方世界南部のジェナーシア共和国では、紅い月はくっきりとは見えない。
深夜である。アルトゥールは目を覚ましていた。
星もまた明るい。月の光に負けないくらいに。
ジェナーシアの中心部を流れる河をはさんで東西に造られた都市シエス。アルトゥールはそこに居た。
いつものように、ほどよく泊まり心地の良い宿屋にいる。一番安い宿は薄い木の板で出来ているが、この宿は石造りのがっしりとした建物だ。しかし庶民のための物で、貴族や富裕な者はここには泊まらない。
淡い灰色の石で出来た宿は、三階建てで、アルトゥールは今、二階の部屋にいた。二階にいて、窓の外側にある木戸は開けている。月の光が、そこから柔らかく差してくる。
木戸の内側には、透かし格子の入った窓の戸がある。それは締めたままで、内側から鍵も掛けている。念のためだ。風が涼しかった。今は春の初めだ。まだ冬は終わったばかりで、この西方世界では南方にあたるジェナーシア共和国でも、明け方は寒い。
「そろそろ戻る頃か」
つぶやきが風にのって流れる。
その声に応えるように、金色の妖精が窓の格子の隙間から入ってきた。金色で、アルトゥールの人差し指ほどの体長、かげろうのような半透明の羽。羽もまた、薄く金色がかっている。
これはネフィアル女神の使い魔である。強力な力を持つネフィアル神官は、古(いにしえ)に女神の下僕となったこの妖精を、使い魔として使役出来る。
「よし、よくやってくれた」
アルトゥールは妖精から聞き出す。調べに入ってもらったのは、高位のジュリアン神官の居宅だ。
そこに今回の復讐相手がいる。
「今回は大物だ。僕もいよいよ危ないかも知れないな」
そう言って笑う。その笑みには、恐れの色はなかった。
ジュリアはこの街にはいない。今はジェナーシアにいないだろう。隣国のジュリアン神殿に赴くと聞いてはいた。風の便りに。
寝台の傍らの小さな卓の上に置かれた紙に、妖精は神官の居宅の見取り図を描いてくれた。身体の色と同じく、淡い金の線で浮かび上がる。居宅は平屋の石造りの住まいだ。広々とした部屋が十もあり、一番大きな部屋がその神官のいる部屋だった。
邸宅に入り込む危険を冒す気はなかった。外に出たところを狙う。妖精を忍び込ませたのは、裁きの根拠となる証拠を抑えておきたかったからである。それは街の警備役人に提出せねばなるまい。
きっとジュリアン神殿は騒ぎになる。
アルトゥールはむしろそれを望んでいた。
いよいよ大きな変化が起きる。もう気は熟したのだ。
標的となるジュリアン神官の名はイポクリスという。
妖精に礼を言ってから、彼──あるいは彼女なのだろうか──を去らせた。人間界あるいは物質界と呼ばれるこの世界とは違う次元の世界へと戻っていったのだ。
神々がいる世界へと。
翌朝、アルトゥールは目覚めて階下へと下りた。一階には食堂がある。食堂の卓や椅子が並ぶそのすぐ近くに、出入り口の扉もあった。扉も卓も椅子も年季の入った木製で、くすんだ暗い褐色だ。
石組みの壁も重い灰色で、やはり歳月を経てくすんだ色をしている。
アルトゥールは出入り口からは離れた位置の卓に着いた。メイドを呼び、パンとチーズと薬草茶を頼んだ。メイドはまだ寝ぼけたような顔で、うなずいて調理場へと向かう。
今は朝だ。陽光が斜めに差し込んできていた。大きめに造られた四つの窓から。出入り口のある壁に窓はない。その左右の壁面に二つずつ。
出入り口の向かい側にはカウンターがあり、奥で煮炊きをする。流しのそばには排水溝と井戸がある。
食料棚には、ワインやエールや干し肉や干し魚にチーズ、それに芋類とパンがしまい込まれてもいる。簡素な庶民の食べ物だ。
そうやって過ごしていると、待っていた男が来てくれた。
リーシアンである。北の寒冷な大地から、西方世界でも南方に位置するジェナーシア共和国までやって来た手強い戦士だ。彼の名はそれなりに知られていた。アルトゥールと同じくらいには。
リーシアンはアルトゥールの真向かいに座り、エールを頼んだ。
「朝からエールなのか」
エールは麦を発酵させて作られた酒だ。強い酒ではないが、酒には違いない。
「悪徳の楽しみだぞ」
リーシアンはにやりと笑う。
「勝手にしろ」
アルトゥールはあきれた顔をしてみせる。わざとだ。実のところは、それほど気にしているわけではない。リーシアンに事の一件を語って聞かせた。
「この都市のジュリアン神殿の神殿長か」
「そうだ」
「それをやると、いよいよ騒ぎが大きくなるぞ」
覚悟は出来ているか? と目で問い掛けられた。リーシアンの目は青く、髪は明るい褐色だ。その青い目がいつになく真摯な光を帯びている。
「もちろん」
アルトゥールは、紫水晶の色の瞳で見返した。たぶん、自分の目にも、同じように真摯な光が宿っているはずである。そう思いながら。
リーシアンはエールの入ったカップを置いて言った。
「一気にネフィアル信仰が復活するのかも知れないな。これまでの反動で他のジュリアン神官も危なくなる。何故なら、大抵の人間は、お前ほど理性的にはなれないからだ」
「それは大丈夫だ。ジュリアが何とかするだろう。もしもジュリアン神官の全てが腐敗し、頑なになっていたのなら、きっと反動による崩壊は避けられなかった。でもそうじゃない」
「そうだな。だが、聖女様でも抑えきれない暴徒が現れるだろう。そいつはお前を担ぎ上げるかも知れないな」
「それで? そうしたらお前は僕を殺すのか?」
『法の国』の復活を妨げるために。
冗談めかしてはいるが、自分の目が笑ってはいないのを自覚していた。
アルトゥールとリーシアンの間に、やや緊迫した空気が流れる。アルトゥールは少しだけ緊張していた。リーシアンを信頼していたし、それは向こうも同じだろう。
それでも、故郷より自分を優先してくれとまでは言えないし、言うべきでもない。
「お前は殺さない。殺すのはお前にまとわりつくクソ野郎だ」
北の地の戦士は言った。にやりと笑い、軽く大きな戦斧の柄(つか)を叩く。
どこまで冗談だと受けとめていいのか、アルトゥールにも判然としなかった。
続く
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