復讐の女神ネフィアル 第7作目『聖なる神殿の闇の間の奥』


 ロージェはくたびれた上下の服を着ていた。生成りの木綿の下穿きを二重に重ね、上着も同じようにしている。

「ああ、久しぶりだな」

 旦那と呼ぶのは止してくれと言ってきたが、もうアルトゥールはそのように口にしなかった。

「さあ、こちらにお座りになってくださいませよ」

 ロージェはさっさと先に座る。大きな円卓の周りには、四つの椅子が並んでいる。椅子も円卓も頑丈な木製で、長年の煤がこびりついていた。

 煤は、暖炉からも卓上に置かれた獣脂のろうそくからも来るのだろう。

 ここはアルトゥールが定宿にしているところの食堂よりも、全体的に薄暗く、やや淀んだような空気が流れていた。

 アルトゥールは黙って薦められた通りに椅子に腰掛けた。リーシアンも誰にも何も言われぬままアルトゥールの右隣に掛ける。

 そのさらに右隣にヨレイが、そのまた右にロージェが座っている。ロージェの右隣はアルトゥールの位置になる。

 リーシアンの正面にはロージェがいる。

 そんな風にして皆が座った。

「旦那、ヨレイさんから話はお聞きになりましたかね?」

 と、ロージェ。アルトゥールは答えて、

「ハイランを始末して欲しいってことだけだ。詳しいことはまだ何も聞いていない」

と。

「それはこれからお話するわ」

 ヨレイは艶めかしい笑みを浮かべた。アルトゥールは一切動じない。普通にヨレイを美しいとも色気があるとも思うし、感じる。

 だがそれだけだ。それ以上は何も。

「そうしてくれ、御姐さん」

 リーシアンは嬉しそうにヨレイを見ている。

「少しは気を引き締めろよ」

 紫水晶の瞳の青年神官は、リーシアンに言ってやる。

「いやいや、美人が望むなら、その美を讃えるべきだ。そうしないのは礼儀に反するぜ」

「そうか。なら勝手にしろ」

 今朝も言った言葉だった。北の地の戦士が、朝から酒を飲んでいた時に。

「いいのよ。ここで用心する必要はないわ。だって私たちはあなた達を味方にしておきたいのだもの。危害を加えるわけはないわ。そうでしょう? そんな事をして、私達に何の得があるというの?」

「それもそうだな」

 アルトゥールはあっさりと同意した。

 用心していたのを隠す気はなかった。本当を言えば、今も用心していた。

「それでなぜ、ハイランを始末して欲しいんだ?」

 薄々は分かっていた。ハイランが、この〈裏通りの店〉にいる人々のような灰色の存在を許すとは思えなかった。

 ハイラン自身は、おのれの裁きを遂行するためには、ジェナーシア共和国の既存の法を破るのも厭(いと)わないのであろうが。

 それが自己矛盾だとも思わないのであろうが。

「私達の望みは、ネフィアル信仰が強くなり過ぎるのを防いでくれる事なの」

「それを僕に言うのか?」

 リーシアンにでも、ジュリアにでもなく。

「だって、あなたの考えは知っているからよ」

 ヨレイはまた妖しく微笑んだ。それは彼女の習い性になっているかのようだった。

「僕の考えは変わるかも知れない」

「変わらないわ。私達は、その点ではあなたを信頼する」

 その点では。実に微妙な言い回しだとアルトゥールは思った。

「他の点では?」

 口に出して、訊いてみる。元より、正確な答えが返るとは思っていない。ヨレイははっきりとは言わず、真意を隠そうとするだろう。

 今の段階で、手の内を明かしたくないのだ。交渉を有利にしたいから、だろう。

 アルトゥールはリーシアンの方をちらりと見た。リーシアンは、ヨレイとロージェを交互に見ていた。今は程よく用心する様子を見せていた。

 ヨレイは、青年神官の問いに答える。

「そうね。それはやっぱり、私達の仲間と同じってわけにはいかないから。あなたは育ちも良さそうだしね」

 育ちか。育ちはたとえ隠していても分かるものだ。〈裏通りの店〉の人々はとりわけ敏感である。

「そうか。リーシアンは?」

 ヨレイは北の地の戦士に目を向けた。

「あなたはこの国では余所者(よそもの)よね」

 その一言が全てを物語っていた。

「なぜ僕たちに依頼する気になった?」

「あなた達の名は知られているわ」

 ヨレイはそれだけを言った。

「そうか」

 アルトゥールはロージェを見る。ヨレイに、他にもっと信用出来そうな者はいないのか?
とは聞かなかった。 

 いなかったのだろう。いや、いたのかも知れないが、探し出せなかったのだ。力があり、人柄を信頼出来る者は。

 ロージェやヨレイのような日陰の身でいると、信頼出来る協力者を外部に得るのは難しくなる。

 それは理不尽な話かも知れない、とアルトゥールは思う。彼らを日陰の身に追いやったのは誰なのか? 少なくとも、全てが彼ら自身の責任ではない。

 アルトゥールはロージェとヨレイの顔を交互に見た。藁をもすがる思いとまでは、読み取れなかった。

続く

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霧深い森を彷徨(さまよ)うかのような奥深いハイダークファンタジーです。 1ページあたりは2,000から4,000文字。 中・短編集です。

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