復讐の女神ネフィアル 第3作目『美女トリアンテの肖像』 第4話
ルードラは何処にいる?
探す。
アルトゥールは先に進んでゆく。聖女ジュリアを振り返りもしない。
ルードラはエメラルドタブレットを持つ魔女である。手強い相手だろう。そうと知りながら一人で向かうつもりだったのは、明らかにアルトゥールの油断と、そして慢心であった。
ジュリアはそう思いつつ、あえて指摘はしない。代わりに、ただ付いてきたのだ。
ジュリアは覚えている。もちろん忘れるはずもない。犯罪者を更正させる施設に、アルトゥールが仲間とともに入り込んで来て自分と戦い、そして更生させようとしていた少年を殺して去っていったことを。
そうだ、殺して去って行った。と、 ジュリアは言うのである。アルトゥールは違う。聖なる裁きを下したのだと、そう言うだろう。
自分にとっては、それは単なる殺人としか思えなかった。ジュリアはあの後、街の警備役人に事を知らせた。
しかし警備役人は相手にはしてくれなかった。あの時にはまだ、アルトゥールの声望もさほど大きくはなく、ネフィアル信仰の目覚めも、まだ夜明け前の太陽のように、薄明るい光を投げかけているだけに過ぎなかった。
それでも少年の犯した罪への嫌悪感の方が強かったのである。それが多くの人々の本音である。たとえネフィアルの裁きを受けろとまでは言わぬとしても。
わざわざ更生させてやるほどの熱意は、人々にはなかった。ジュリアはそういう意味で特別だった。ある意味では、かなりの変わり者だと言ってもいい。
そうだ。自分は聖女などではない。ただの変わり者だ。ジュリアはそう思う。
その変わり者の自分が持つだけの熱意を、アルトゥールは全く別な女神に向けている。
それはジュリアにある意味、得も言われぬ恐れと、そして不気味さとを感じさせた。
同時にアルトゥールに対して、強い興味と関心を抱かせもした。関心と、そして怖れとを。
「この共和国では、誰もが生ぬるい生き方をしている。誰も熱意を持って生きてはいない」
アルトゥールはそう言ったことがある。彼と同じく、ジュリア もそう思っていたのである。
ジュリアが今回アルトゥールと共に行くことにしたのは、その背反する思いのためである。
ジュリアは不吉な予感がしていた。このままで済むわけがないと思う。それは単に強力な魔女である、ルードラを恐れる気持ちだけからではない。
暗い願望と衝動を持つ青年が、そのまま突き進んでいけば、いつか彼自身も気づかぬ足元に空いた落とし穴に落ちてしまうのではないか。そんな気がしてならない。
それは自分がジュリアン神官であるからそう思うのではない。
異なる 信仰を持つ彼に心からの敬意を持つことは難しかったが。
それでも、一定の、ある種の敬意に似た気持ちを抱いてもいた。
今回は、ネフィアル信仰そのものへの忌避とは別に、はっきりと彼の態度に危険を感じていたのだった。
しかし彼は自分の忠告を受け入れようとしない。何とか、このまま ついて行くしかないのだろう。
怒りと憎しみに囚われた哀れな魂。ジュリアは、これまでたくさんそんな人々を見てきた。彼女に出来るのは復讐心を満たすことではなく、ただ、その心の痛みに寄り添うだけなのだ。
アルトゥールは、これまでジュリアが見てきた、そんな人々とは異なってきた。
彼には、どこか畏怖を感じさせる、何かがあった。
ジュリアは今もその畏怖を感じていた。胸の前に下げた、聖なるジュリアン神の象徴を握り締める。それは鳩の形をしていた。白い鳩の形を。
象牙てはなく、狩りで捕らえられた動物の骨を削って作られた安価な聖印だ。それでもジュリアには宝物だった。
孤児院での孤独な日々を、この聖印がなぐさめてくれた。
「この聖印に賭けて、ルードラには改心をさせるのよ。復讐など、決してさせはしない」
彼女は口に出して小さくつぶやいた。そのつぶやきは、アルトゥールには聞こえないだろう。現に、彼は振り返りはしなかった。
ルードラの屋敷は近い。アルトゥールはこの時、自分の正しさを疑っていなかった。自分は正しい。何も間違ってはいない。
怪物にされたトリアンテとその領民たちは、自分を信じてくれている。聖女たるジュリアよりも。
二百年前にルードラに呪いを掛けられて以来、時が止まったような深き森の中だ。
ジェナーシア共和国を取り囲む魔物の巣食う丘に近い僻地(へきち)ともあって、ジュリアン信仰はそれほど威勢を誇ってはいない。
魔物の棲(す)む丘は恐るべき脅威を共和国にもたらしたが、同時に共和国を外敵、つまり同じ人間の侵略から守ってもくれていた。
もちろん丘の魔物たちにも縄張りがあるのだから、丘の外側の他の魔物たちの脅威からも守られているとも言える。ある意味では。
したがって、人間たちはわざわざ丘へ行ってまで魔物たちを倒そうとはしなかった。向こうからやって来るまでは待つのだ。
やってきたら倒す。そのようにして共和国の歴史は続いてきた。
しかし魔物に自分の愛する者を殺された人間は、復讐のために丘へ登ろうとした。そのようなことをすればまた新たな復讐を魔物たちの間に呼び起こし、さらなる惨劇がもたらされるだけだった。
そのようなわけで、ジュリアン信仰はこの地にに根付いた。ジェナーシア共和国にはそんな歴史があった。
ジュリアン信仰が、かくもこの地に根付いたのには、そうした訳(わけ)があったのだ。確かな訳が。
それでも、中央部にある諸都市に置かれたジュリアン大神殿から遠いこの僻地では、ジュリアン信仰もあまり 及んではいない。
何より、魔物の脅威が近ければ、それに向かって立ち向かうことも、受容し許すことも共に難しい。ここにはネフィアルの教えも、ジュリアンの教えも届かない。
だが、今彼らは僕を頼っている。
アルトゥールは思う。
今は、彼らは僕を頼っている。
この地では、ジュリアン信仰は威勢を誇ってはいない。ここの土地は古王国の時代に近い。
ここでは自分は正しくいられる。アルトゥールは思った。 少なくとも掣肘(せいちゅう)されずにいられるのだ。そう、自分で自分のことを思っているよりもなお!
自分で自分を思っているよりも、なお。
なぜだ? 人からそうと認めてもらえねば、自分の思うところを貫けないというのか。
聖女ジュリアの存在が、自分の、そう女神ネフィアルではなく、アルトゥール個人の正当性を脅かすと言うのだろうか。
アルトゥールの胸に疑念が射す。
二つの面から物事を見る。二面性から。
正しい面と間違った面。そして、正しい面と、もう一つの正しい面だ。
今は、アルトゥールにはしようとしても出来なくなっていた。
出来ることもあった。自分自身と関わりのない時には。今は出来なかった。自分自身と関わりのあることだからだ。
自分自身と関わりのあることだから。
二人の力ある神官たちは、ルードラが築いた空中回廊の、さらに先へと進もうとしていた。エメラルドタブレットの放つ緑色の光の、さらに先へと。
「このエメラルドタブレットの掛かっている壁の下の方は、ルードラが作った幻覚だ。さあ、僕から先に行こう」
アルトゥールの持つ重い大きなメイスは、その壁の中にめり込んでいた。彼は何の手応えも感じてはいなかった。
これは幻覚だ。僕の迷いも全ては幻覚に過ぎない。
彼は壁の中へ足を踏み入れた。後からジュリアも続いた。
二人の姿は、壁の中に消えた。
続く
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