全てには受け入れられない

TwitterXやこのnoteでも、「創作物(小説とか)は、読者に受け入れられるように書きましょう」と言われる事が多いようである。

それだけ、受け入れられないような物を書いてしまう人が多いのだろうが、問題は、ある程度の数の人には受け入れられる物を書いたその先である。

あくまでも、ある程度の数の人には、なのである。全ての人に、ではない。

あとは、受け入れられるやり方も時と場合で違う。ウェブ小説の世界では、いわゆるなろうテンプレを使うと格段に読まれやすくなる、らしい。

その一方で、なろうテンプレというだけで読む気か失せる人もいる。

そうしたなろうテンプレを受け入れられない人々を、今の時代についていけないとか、老害とか言っていてもかまわないが、老害だろうがなんだろうが、受け入れない人はいる。確実にいる。

というか、そんな人々に読まれないだけなら、別に気にしなくてもいいのではなかろうか?

つまり何が言いたいかと言うと「特定の市場、ターゲット読者と言い換えてもいいが、その人たちに受け入れられたなら、別な人々には受け入れられない物になる、こともある」だ。

まあ、少なくともこのコンテンツあふれる現代において、優先順位は低くなるのである。

でも、別な人々にとっては受け入れやすくなるし、優先順位が高くなる。

ターゲット読者とか市場とかを選択する、それ以前の状態の書き手が多いから、まずは兎にも角にも受け入れられやすくするようにと言われているのだろう。

でもその先については分かっている人ばかりとは、思えない。

受け入れられるとは、全ての人に受け入れられるのではなく、あくまでも、ある程度の数の人々に受け入れられるだけなのである。

どんなヒット作でもそうである。

当たり前の話だと思うだろうが、改めて書いておこうと思う。

それでは、ここまで読んでくださってありがとうございました。また次回の記事もよろしくお願いします。

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片桐 秋
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