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【ハイファンタジー小説】アッシェル・ホーンの冒険・第四話【人の心の闇に勝る、『魔王』は存在しない】

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 アッシェルは、ヒルマンと共に村に戻った。あれからニンフの姿を見ることはなかった。

 報酬は受け取った。金貨が全部で五枚だ。金貨一枚で、二人か三人の、比較的余裕もある庶民の暮らしができる。

 朝昼晩と、食べごたえのあるライ麦パンに、肉やチーズ、時には魚も。それに充分な量の野菜や野草のお茶。調理するために必要なだけの薪(まき)や木炭か、時には石炭。

 衣服やその他の品々を揃え、いくらかは蓄えもできる。月に一度か二度は、芝居小屋に芝居を観にも行けるだろう。大きな都市には大きな劇場があると聞くが、アッシェルは見たことがなかった。

 そんな庶民の暮らしをひと月保証してくれる金貨が五枚もある。村長から三枚、ヒルマンからはニ枚を受け取った。

「ありがとうございます」

 二人は今、ヒルマンの自宅に戻っていた。食卓である長方形の卓に着き、その周りに置かれた四脚の椅子に腰掛けている。

 ヒルマンは、約束通り薬草茶を淹れてくれた。爽やかな香りが鼻とのどを満たす。薬草茶にも様々な種類があるが、これには金糸草が使われている。糸のように細い、金色の草だ。

 ぼってりとした分厚い陶器のカップに、金糸草の茶がなみなみと注がれていた。

 陶器のカップには、白地に黄色い果物の柄が描かれている。あまり精巧な絵柄でも作りでもない。貴族や王族が使う、精緻を極めた磁器の食器類とは違うのだ。

「いやいや、こちらこそ。君のおかげで助かった。村長からも、よろしくと言われている」

 アッシェルは、黒ローブの内側の、隠し袋に金貨を入れた。金貨の触れ合う音と重みが快い。

 金貨は各国で独自の刻印や鋳造がされている。国外では、純金であると確かめるための方法があり、後に重さで価値を測る。

 〈法の国〉の時代には、広大な帝国の全域で、統一された金貨と銀貨と銅貨が流通していたが、遥かに昔の話だ。

「ところで、俺の娘に会ってくれんか」

「かまいませんが、何故ですか?」

「となり村には、エミリという娘がいるな」

「はい、私の隣人です」

「あの娘は駄目だ、ジュリアン信徒だからな」

「は……?」

「俺の娘は、敬虔なネフィアルの信徒だ。だからお前に相応しいと思ってな。娘もその気になっている」

「いや、ちょっと待ってください。いきなり、そんな」

「分かっておらんな、我々の目的は何だ?」

「〈法の国〉の復活ですか。しかし初期と中期には」

「その時代には、ジュリアン信徒はいなかった。みな、ネフィアルを主神と仰いでいたのだ」

「中期にはそうですね。初期はそんな義務はなかった」

「俺はな、世界をこのままにしておいてはイカンと思うのだ。お前はそうは思わんか?」

「これさえ倒せば確実に世界が救われる。そんな存在がいると言うなら、その巨悪を倒しに共に行きましょう。しかし、そんな分かりやすい敵はいない。魔物にもいろいろいて、ジュリアン信徒も神官も一枚岩ではないのです」

「それくらいは知っているさ。だが、考えてもみろ。果たして、世界は、この国はこのままでいいのか?」

 アッシェルは訝(いぶか)しげに、かつての仲間の顔を見た。

 ヒルマンは何を言いたいのだろう。まさか、ジュリアン信徒をみな弾圧しろなどという話ではあるまい? アッシェルは不吉な予感を感じていた。その予感が外れるのを祈った。

「そんな大きな事は、貴族や王が考えればいいのでしょう。我々はただの平民で庶民なのですよ」

 アッシェルはヒルマンから目をそらし、火を消された暖炉に残る消し炭を見た。春の初めから、ずっと残り続けてきたらしく、埃(ほこり)をかぶっているのが見えた。

 火を使う調理場は外にあるが、完全な野ざらしではなく、四隅の柱と屋根がある。壁だけはない。悪い空気がこもらないようにするための工夫だ。

 貧困ではなくとも、あまり裕福ではない家には調理場はなく、時間をずらして、借りに来る者たちもいるのだ。そうした人々が、利用しやすくするためもあった。

「だからといって。お前はネフィアル神官、しかも高位の神技を使える神官ではないか」

「だからこそですよ」

 アッシェルは、ヒルマンのほうに身を乗り出した。

「だからこそ、です。私は慎重でなくてはならないのです」

 開け放たれた窓の外から風が吹き込んできた。乾燥した暑い風だ。木戸は夜になれば閉じられる。庶民の家のご多分にもれず、この家の窓にも硝子(がらす)はない。

「そうやって甘い態度を取るうちに、何もかもが手遅れになる」

「手遅れとは?」

「知らんのか。伝書鳩の手紙をきちんと読まなかったのか」

「読みましたよ。丘巨人の件だけではないのですか」

 ジュリアン信徒と神官が情けなくて煮えきらない態度なのは、我々がどうにかしなくてはならない事でないと判断している。

 ヒルマンはそうは思わないのか。

 アッシェルには、不吉な予兆が感じられた。

続く

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片桐 秋
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