復讐の女神ネフィアル第7作目『聖なる神殿の闇の魔の奥』 第40話
アルトゥールはいつもよりもずっと精神を集中させて、ネフィアル 女神への長い祈りを詠唱した。
祈りの声は低く小さく、 離れたところにいるグランシアたちの耳にはほとんど入らないだろうが、傍らに横たわるアストラには聞き取れたはずである。
アストラは、ただ黙って横たわっていた。目を閉じ、両手を胸の前で組み合わせて静かに待っている。
アルトゥールは詠唱を続けた。いつも戦いに赴いた時には、即座にただ一言だけ祈りの言葉を唱え、精神を研ぎ澄ませるだけで、癒しの神技が発動するのだが、今はそういうわけにはいかない。
マルバーザンのような魔神の呪力は、それだけ強く容易には解けないものだからである。
特に今回は、アストラからはっきりとそう聞いたわけではないが、マルバーザンを使役して、その代償として生気を吸い取られたのであるから、その代償を反故にさせるには、なみなみならぬ力量が必要とされるのである。
アルトゥールは、魔術師ギルドが何らかの形で神技に匹敵するような癒しの魔術を、あるいは何らかの肉体の力そのものを高めるような魔術を生み出す事は、ほぼ不可能であろうと思っていた。
しかし、もしもそういうことができるのならば、こうした問題を 内々で片付けてくれるならばその方が面倒がないだろうなと思わずにもいられない。
魔術師ギルドに恩を売り、自らの優位を保つにも利点はあるが、今後何かしらの理由で面倒な事に巻き込まれるかも知れないとも思うのだ。
どちらにしても、ネフィアル女神の神官にとって一番大事なのは裁きの代行である。
これを代替することはいかなる魔術を持ってしても不可能であるはずだ。もちろん、古王国時代の魔術でも無理であった。それは言うまでもない。
しばらくして、そう、一刻の半分くらいは詠唱を続けただろうか、アストラの血色がよみがえってきた。
「成功したのか」
ネフィアル神官の青年はつぶやく。そのつぶやきを、グランシアの師は聞いていた。
「ありがとう、貴方のおかげね。グランシアは、ほんとうに良き味方を得たものだわ」
「グランシアは、僕にとっても良き味方ですよ」
魔術師ギルド全体がどうかは分からないが、と心の中で付け加える。
アストラは、その思いに気が付いたのだろうか、どこかあきれたように苦笑した。
「グランシアだけではないわ」
アルトゥールはすぐには返事をしなかった。何かを言おうとした時、
「アストラ様!」
背後から金髪の女魔術師の声が聞こえた。駆け寄る足音も。
「グランシア、そんなにあわてることはないわ」
アストラは、片手を掛け布団から出してグランシアを押し留めるような形にしてみせた。
「ありがとう! ありがとう、アルトゥール!」
アルトゥールは、友人の女魔術師に向かって言った。
「よかったな、僕もほっとしたよ。正直なところ、今後は魔神の使役などに手を出さないようにして欲しいところだけどね。まあ、やるなと言ってもやるのだろうけれど。それが研究好きな魔術師の性(さが)だからな」
「まったく、こんな時に、皮肉を言わなくてもいいじゃない」
「皮肉じゃないよ。本気で心配しているのさ。もちろん、魔神との関わりをどうするのかを決めるのは君たちだ。僕には干渉する権利はない……。そうだな、正直なところ、魔術師の一人や二人どうなろうと、魔術の発展があるなら、そのうち貴族だけでなく平民も恩恵に与(あずか)れる。そう思っている奴もいるかもな」
グランシアは真顔になった。その美貌に浮かぶのは、アルトゥールへの怒りではなく、心底同意する思いであった。
「そうなのよ。誰も魔術の本質、真に大切なことが何かなんて関心がないの。いえ、誰もは言い過ぎね。でも多くの人はそうよ。魔術がどんな恩恵をもたらすか。そこにしか関心がないのよ」
「いいのですよ、グランシア。お陰で魔術師ギルドは大きな力を持ち、このジェナーシア共和国の中でも、いかなる貴族や他のギルドからもほぼ干渉されることなく、独自の地位を築く事が出来たのですから」
アストラは鷹揚そうに微笑み、片手をあげて軽く振ってみせた。
「ありがとう、アルトゥール。本当に助かりました。でも残念ながら、まだすぐに起き上がって魔術を行使するというわけにはいかないようね」
「ええ、残念ながら」
アルトゥールは、そうとだけ答えた。
「いいのよ。あなたがしてくださった事はこれで十分だわ。グランシアは、本当に良き友人に恵まれました。どうか、お願い。これからもずっと魔術師ギルドの味方でいてほしいの。約束してもらえるかしら?」
約束してもらえるかしら? と。
それを聞いて、アルトゥールはしばしためらった。ここで口約束をしたところで何の拘束の力もあるわけはない。
それは、魔術によって無理やり言うことを聞かせる事が出来ないというだけではない。
ジェナーシアの法から見ても、単なる口約束には効力はないとされている。証拠を残すことが出来ないからだ。二人以上の証人を立てる事が出来れば話は別だが、証人は、訴え出た者と深い関わりがある場合には、証言の価値を認めてもらえない事もある。
ただし、アルトゥールにとっては、ネフィアル女神に掛けての誓いは重要なもので、それを破るとかなりの程度の損害を自らが被ることになる。
それに基本的には、ネフィアル神官 たるもの、ことさらに好かれるように振る舞う必要はないが、一方で、信頼を抱かせるような態度が大事でもある。
口約束をしておいて、それを反故にするなどということは、極力避けなければならなかった。
「グランシアと友人でいますよ。出来るだけ彼女を助けます、今回もそうしたように。それは約束しましょう」
それは遠回しに、魔術師ギルド全体の味方はしないと言っているのである。それがアストラに伝わるかどうか。
アストラは微笑んだ。何の裏もないような、純粋で穏やかな微笑みだった。
「ありがとう、今のところはそれで十分ですよ」
今のところは。 アルトゥールは、あえてその部分について問い質(ただ)しはしなかった。
続く
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