復讐の女神ネフィアル第7作目『聖なる神殿の闇の魔の奥』31話


 脂の乗った鴨肉の蒸し焼きと根菜類の煮物を食べてから、アルトゥールは二階にある自分の部屋に戻る。

 リーシアンはというと、夜の街を自分の定宿に歩いて行った。夜と言ってもまだ早い。街には夕飯を作り食べる明かりと匂いが漂う頃合いだ。

 腕に覚えがあるのなら、まだ出歩くのはさほど不用心な振る舞いとも言えない。

 まして北の地の戦士は、名の知れた驍勇(ぎょうゆう)なのだ。どんな命知らずが彼を襲撃するというのか。

 リーシアンのいる定宿は、アルトゥールのいる宿からさほど離れてはいない。通りをはさんで向こう側の並びにある。

 アルトゥールのいる宿と同じくらい古い歴史がある宿で、それでいてお高く留まってはいない。極めて庶民的な宿屋であった。

 石造りのアルトゥールのいる宿とは違う、レンガ造りの赤褐色の宿だった。暖かみのある外壁と内部、リーシアンのお気に入りだった。

 リーシアンは中に入っていった。木製のがっしりとした重く分厚い扉を開けて。中から魔術による明かりが漏れ出てきた。

 まだ夕飯の時間であったから、入り口からすぐ近くに広がる食堂には、まだ多くの人がいた。

 ここでも円卓が並べられていて、各々、席に付き、飲み食いをしたり酒を飲んでいる。

  にぎやかだった。下品過ぎず、かと言って上品過ぎず、この辺りの庶民的な塩梅がリーシアンのお気に入りなのである。

 おそらくそれは、アルトゥールにとっても同じだろうと思われた。

「酒を飲んでから寝るか、あっちの宿の食堂 じゃ、あまり飲んでこなかったからな」

 心の中でつぶやくと、リーシアンは入り口から離れた奥の席に着いた。

 そこは小さな円卓で、椅子も二脚しか並べられていない。そのうちの一脚に彼は座った。

 大麦を発酵させた酒であるエールが、大きな陶器製のカップに入れられて運ばれてきた。北の地の戦士はそれを飲み干した。

 一刻、一日の二十四分の一の時間ほどを過ごして、二階の自分の部屋に戻り、寝るための準備を始める。

 夜は静かに更けていった。北の地の戦士は、いい女の夢を見られれば良いと願いつつ、眠りに落ちていく。

 さて、望み通りの夢は観られなかったものの、ぐっすりと快適に眠れたあくる朝のことだ。

 リーシアンにとっては意外だったが、グランシアが訪ねてきた。アルトゥールも一緒に。

 リーシアンが食堂で朝飯を食っていると、二人がやって来たのである。

「何だ、お前らがこっちに来るなんて珍しいな。いつもアルトゥールの宿の食堂で会っているのにな」

「急ぎだからな。お前が来るまで待てなかった」

 アルトゥールはリーシアンの向かいの椅子に座った。グランシアは、その右隣に腰掛ける。

「あなたたちが運んで来てくれた書物や巻物を、だいたい調べ終わったわ」

「そうか! どうだった?」

「別にどうもしないわ。よくある歴史書、文学の本、それに初歩的な魔術の本よ。隠されてはいないし、クレア子爵令嬢の図書館に行けば、庶民でも誰でも読めるくらいの内容ね」

「マルバーザンが封じられていた本以外は、だね?」

「そうよ」

「そうか、ありがとう、助かったよグランシア。まあそれでも、庶民があれだけの本を購入して管理する広い場所も確保するのは難しいのさ。クレア嬢は本当によくやってくれているよ。それを快く思わない連中もいるわけだが」

「魔術師ギルドにも、いるわ。快く思わない者は」

「だろうな。知識は力なり。彼らは知識を独占しておきたい。そうだろう?」

「ええ、そうよ。ただし」

「ただし、何だ?」

 横からリーシアンが訊いてきた。

「ひときわ優れた者には知識を伝授したい、そう思う魔術師もいる。必ずしも魔術師になれって事じゃないの。その資格のある者にだけ知識を授けたいのよ」

 あなたたちのような人に。グランシアは目で伝えてきた。

「そうか。ま、魔術師ギルドも勢力を伸ばし、支持者を増やしたいだろうからな。俺は本より耳で聴いた方が分かりやすいんだが」

「知識を授ける代わりに、神技の研究材料になれって言うんだろ?」

「そうなるでしょうね」

「それは断る。ただ、他にどうしようもなくなれば、魔術師ギルドの力を全面的に借りるしかない。代償が必要なのは同じだろうな」

「とにかく、マルバーザンが封印されていた本以外は、ごく普通の本よ。それなりには貴重だわ。本は高いから」

「そうだな、ありがとうグランシア。助かったよ」

 僕には君の助力が必要で、君には僕の助けが必要だ。

 一方がもう一方を助けるのではない。お互いに助け、そして信頼し合っている。

「リーシアンもだ。これからも世話になる」

「何だよ、急に」

「今晩は僕のおごりだ。神技によるワインを飲ませてやろう」

「そりゃありがたいな。だが何でまた?」

「そういう気分だからな。僕だってそんな気分になる時はある」

「だけど本以外の事で、気になる事があるの」

 アルトゥールは、グランシアのトパーズ色の瞳を見つめた。いつになく、気がかりが声音に現れていた。不安げにも思える

「最近、魔術師ギルドで妙な動きがあるの」

「どんな?」

 アルトゥールが尋ねると、リーシアンも身を乗り出す。

「厄介事か?」

「私より上の階位の魔術師が病で倒れたの。まだ生きてはいるけれど、三人も重病で起き上がれないわ。そして三人とも恨みを買っている、ギルドの外の人間にね」

「まさかハイランが」

 何故か直感的に、アルトゥールの中でその二つが結び付いた。その勘を、冷静になって筋道立てて説明するならこうなる。

「魔術師ギルドなら魔術の事は何とか出来るはずだな。単なる病気でも、三人が同時に倒れたのも偶然ではなさそうだ。すると神技か。そのくらい高位の魔術師をどうにかできる奴となると」

「ええ、そうよ。ハイランくらいしか思いつかないのよ」

 グランシアは眼の前に置かれた薬草茶のカップを手にした。かすかに手がふるえていた。

「三人のうち、一人は私の師匠なの」

 彼女は深くうなだれた。

続く

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霧深い森を彷徨(さまよ)うかのような奥深いハイダークファンタジーです。 1ページあたりは2,000から4,000文字。 中・短編集です。

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