小説からシェアードワールドにするには

テーブルトークRPGにハマっていた時期があった。今も好きである。なかなかプレイする機会には恵まれないが、若い頃に初代ソード・ワールドRPGやD&Dをプレイしたのは良い思い出である。

他にも、『ルーンクエスト』や『ビヨンド・ローズトゥローズ』などのゲームを買い集めていた。ゲームブックから派生した『アドバンス・ファイティングファンタジー』にも、格別の思い入れがある。

これらのゲームの中に、家庭用ゲーム機やパソコンのゲーム版も作られたものがある。

後は、読み物としてのリプレイや小説などがある。

シェアードワールドとは、このように、ゲームの舞台になって、そこでプレイヤーが自由に遊べるのみならず、その世界を使って、多様な小説などのストーリーを生み出せるようにするものである。

ここで取り上げたのはテーブルトークRPGばかりだが、家庭用ゲーム機のゲームやパソコンゲームから、テーブルトークRPGになったり、小説や漫画が生まれたケースもあると思う。

ここから先は極めて個人的な意見になるが、このようにシェアードワールドを作ろうという際には、自作のキャラクターやストーリーへの過度な思い入れは足かせにあると思う。

なぜなら、シェアードワールドに関心のある人は、その世界で何ができるのかに関心があり、その世界ですでに作られたキャラクターやストーリーには、あまり関心がないケースも多々考えられるからである。

たとえばアメリカ製のテーブルトークRPGのD&Dだが、『ドラゴンランス戦記』や『アイスウィンド・サーガ』のような派生作品が世に出てすでに三十年以上が経過している。

これらの小説は、日本でも本国アメリカでも、未だに売れ続けるロングセラーではあるが、やはり発売された当時はどの勢いは、さすがにないはずである。

となれば、特に若い世代の中には、これらの小説を知らない層も多いことであろう。知っていてくれたなら嬉しいが、過度に期待してはいけないと思う。

数年前に公開されたD&Dの映画も、舞台は『アイスウィンド・サーガ』と同じアイスウィンドデイルだが、時系列としては百年後にあたり、まあ小説とは背景世界以外は関係ないのである。

シェアードワールドとは、キャラクターでもストーリーでもなく、背景世界とそこから生まれる世界観こそがメインの商品なのである。少なくとも私は、そう理解している。

自作の小説など読まなくてもいい、背景世界と世界観だけを使ってくれてかまわない。

そう言い切れるような、ある種のドライさがなくては、シェアードワールドでビジネスをするのは難しかろうなと思う。

そうは言っても、背景世界と世界観に一定の人気が出れば、小説も読んでくれる人は増えるだろう。だから、全か無かの話ではない。

ただ、間違いなく、シェアードされたワールドを用いる人々の中には、世界の作り手の小説にはあまり関心がなく、世界で『自分が』何をできるかに関心のある層が現れるだろう。それも、少なからず。

それを割り切れるかどうかに、シェアードワールドの成功の秘訣はあると思う。

ここまで読んでくださってありがとうございました。また次回の記事もよろしくお願いします。

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片桐 秋
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