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復讐の女神ネフィアル 第5作目 『愚かな商人』 第1話

 アルトゥールは、以前訪れた街に来ていた。アリストの街である。本拠地にしている街からは乗り合い馬車で七日過ぎた場所だ。
 アルトゥールはここに依頼を受けて来たのだった。
 街の中心を走る大通りから、一本脇にそれるとそこには小規模な商家の並びとなる。瑞々しさと落ち着きのある空気が流れる場所とアルトゥールには思えた。その瑞々しさは流れる空気の『色』であり、匂いでもある。それぞれの店に手の込んだ設(しつら)え、美しい町並みだった。あの《灰色の街》ベイルンとは違う。あの、貧しい老婆の願いを叶えてやった街とは。
 この街アリストには運河もある。
 その町並みの中に目指す依頼人の店がある。遠く離れた東方世界からの交易品を商う店だ。
 そこには異国の薫りのする香や、絹織物があった。いずれもそれなりに高価な物で、貴族の身分ではないが庶民とは言えない人々のための贅沢品である。
 この辺りを行き交う人々も裕福な身だしなみをしている。

 若いネフィアル神官は、依頼人の店に入っていった。
 もっとずっと裕福な商人の店のように、扉を開けて中に入るのではない。店の品は屋根の下に皆きれいに並べられてはいるが、店の前面に壁も扉も窓もない。そのまま道に面している。
 店じまいの時には、品物は並べている台や棚ごと奥に引っ込めてしまうのだろう。奥には両開きの大きな扉が見えた。金属製の扉で、大きな錠前がある。
 店の奥には二人の女がいた。一人は簡素な女中服を身に着けている。藍色の上着にスカート。白い前掛け。髪は邪魔にならないように結上げられている。もう若いとは言えない女だが、落ち着いた物腰とてきぱきとした仕事ぶりを兼ね備えていた。
 依頼人は女主人の方である。
 女主人はまだ若い女だ。亜麻色の髪の婦人。深緑色の衣装を身に着けていた。たっぷりと布を使ったスカートに上着。
 女主人はアデルミナといった。アルトゥールはそれを知っていた。
 目が合ってすぐに、アデルミナは驚愕と期待に目を大きく見開いて、店の奥から駆け出してきた。

「おお、ようこそいらっしゃいました。私を助けてくださる方……!」
 アルトゥールはそれを聞いて複雑な気分になった。
 自分が人を助けられるとは考えたことがなかった。復讐──average──には、必ず代償が必要だ。その代償は大きく、払い切れない者もいる。
 しかし代償のことを知らないはずはない。
「あなたの話は聞きました、我が女神から」
 それから紫水晶の瞳で、じっと相手の目を見つめた。
「あなたは代償を差し出す覚悟はあるのですね?」
「……はい」
 アデルミナは声を震わせつつ、しっかりと答えた。

 アデルミナは、アルトゥールを店の奥の休み所に招いた。店には女中を残していた。
 休み所は清潔に整えられた漆喰(しっくい)壁の部屋だった。漆喰もまた、東方世界でよく使われている物で、その白には大理石とは違う、柔らかさと温かさがある。漆喰は空気を吸う。呼吸する壁なのだ。そうした意味では木材の壁にも近いが、木材より白く清涼な雰囲気を醸(かも)し出している。

 アデルミナは美しい女性だった。とは言え、その美はかなり癖の強いものでもある。冷ややかな切れ長の目に薄い唇。鼻筋も細い。白目の中の色のある部分が小さい三白眼であるため、大人びた色気と冷たくもあるような様子を兼ね備えている。彼女はアルトゥールを見て、うやうやしく言った。
「ありがとうございます、ここまで来ていただいて」
「こうした折には、必ずネフィアル神官の方から来るものなのです。それは《法の国》の時代からの決まりです」
 アルトゥールはただ、それだけを言った。素っ気ないとも言えるが、ここで言葉を飾っても意味はない。真に裁きの代償に向かわせるのだ。それしかないのであるから。
「裁きの代償、覚悟は出来ております」
 アデルミナはアルトゥールの心を読んだように毅然として言った。
 この言葉には、心の底からの本気の響きがある。口元は引き結ばれ、固い決意を表していた。
「分かりました。今ここで、確かにあなたの依頼を受けます」
「……ありがとうございます……!」
 アデルミナは、感激していた。

 事の次第はこうであった。
 アデルミナの夫は病に臥(ふ)せっている。彼ら夫婦よりももっと力のある裕福な大商人に騙(だま)され、東方世界の品物を仕入れる販路を奪われたのである。慎ましく暮せば生きていけるだけの財は残っている。販路が途絶えたとはいえ、これまでに仕入れた在庫も残っている。
 だが、アデルミナの主人には、耐え難い挫折であり、心痛であった。心身を病んで、今は寝台から離れられない病の身となった。
「どうか、私の夫のために、しかるべき報復を、復讐を、どうかお願い申し上げます」
 アデルミナは、三白眼の白目の大きな目で、店にやって来た若いネフィアル神官をじっと見た。アデルミナは背が高く、アルトゥールの前に立っても、顔を見上げるほどにはならない。
「分かりました。必ず」
 復讐の女神とも、正義と公正の女神とも呼ばれるネフィアルの青年神官は、ただそれだけを答えた。

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