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【ハイファンタジー小説】アッシェル・ホーンの冒険・第三話【人の心の闇に勝る、『魔王』は存在しない】

マガジンにまとめてあります。


 アッシェルは丘巨人の攻撃をかわしつつ、側面に回り込んだ。振り下ろされる棍棒をもかわし、腕をメイスで撃つ。

「ヒルマンさん、頭を! 頭を狙って!」

 巧みに丘巨人がヒルマンに背を向けるよう、かわしながら誘導した。

 槍から弓に持ち替えるまで間がある。ごく短い間だが、とても長く感じられた。

 ようやく丘巨人の頭に二本の矢が刺さる。ほとんど同時のような連射は二本までヒルマンには出来た。

 二つの盛り上がった丘に挟まった中腹にいる。この二つの盛り上がりは、『ニンフの乳房』と呼ばれている。

 ニンフとは魔族の一種なのだが、稀に人間を誘惑して恋愛沙汰を引き起こす以外には、特に害はない。姿は男女ともに非常に美しい。

 『ニンフの乳房』には、実際にニンフが住んでいるが、あまり人前には姿を現さない。

 そのニンフが一体現れた。突然、何の前触れもなしに。地から湧いたかのように。

 女のニンフで美しい少女の姿をしていた。金属的光沢のある淡い緑色の髪をなびかせ、肌の色は淡い薔薇色。ニンフは誘惑するように妖しく微笑んだ。

「何だ、こんな時に」

 ヒルマンはためらいなくニンフを弓で狙う。矢が飛んでくると、ニンフは現れた時と同じように急に姿を消した。

 アッシェルはほっとした。単にいたずらやからかいが目的で現れたのなら、こんな時にはやめてくれと思う。

 だからといって、特に害のない者をやたらと殺す気にもなれない。動物であっても、それは同じだ。

 何故ヒルマンは。

 いや、今はそれを考えるのは止めておこう。

 今、季節は夏で、空気は乾いているが日差しは暑い。動くうちに汗がたくさん流れてきた。額から落ちる汗が、目に入りそうになる。

 ニンフはまた現れた。今度は丘巨人の前に、丘巨人はニンフに見惚(みと)れ、動きを止める。

 今度はアッシェルはためらわなかった。

 背後に回り、足を強打する。巨人はよろめいた。この機を逃さず、二度目。

 丘巨人は倒れる。ニンフはまた姿を消した。

「私達を助けてくれているのか?」

 そうならば有り難いとも思うが、ニンフは不誠実な恋人になりたがる。それほど関係したくもない。

「ニンフは狙わないでください!」

 ヒルマンに向かって叫ぶ。幸い、ヒルマンは聞き入れてくれた。

「分かった」と、返事が聞こえてきた。

 ヒルマンはまた槍に持ち替えて、倒れた巨人の頭を刺した。これで二体目が死んだ。

 落とした棍棒を拾い上げた丘巨人が、ようやくこの場に現れた。二体いる。

 またニンフが現れて、並んでやって来た丘巨人の前に立つ。ふわふわと緑色のベールのような物が空中に広がる。丘巨人は二体とも足を止めた。

 眠そうに、あくびをし始める。

「これは何の魔法だ?」

 アッシェルが戸惑っていると、

「何をしている! 早く倒せ!」

 ヒルマンは槍を手に突進していった。

 確かに、この機を逃す手はない。

 緑色のベールをすり抜け、丘巨人に迫る。近づいても丘巨人はただあくびを続けるだけだ。警戒心を完全になくしたようだった。

 アッシェルは慎重に背後に回り込み、巨人の足を撃つ。巨人は骨を折られて倒れる。ぼんやりとして動きは鈍いままだ。ニンフの魔法の強さに驚くが、今はそれを気にしている場合ではないと判断して、今度は頭の方に回る。

 頭上にメイスを振り下ろした。割れて砕ける。鮮血が流れる。人間の物と同じように、赤く温かい。

 もう一体は槍に刺されて死んだ。やはり赤くて温かい血を流している。でもだからどうだと言うのだ。

 危険を排除した。それだけではないか。狼に襲われるのと同じだ。姿が人間に似ているからといって、余計な感傷は要らない。

 それでも心のどこかに引っかかる。この引っかかりをどうしたらよいのか、アッシェルにはよく分からなかった。

 駄目だ。お前はネフィアル神官なんだ。余計な情には囚われるな。冷徹になれ。

 ネフィアル神官にとっての冷徹さとは何か。

 アッシェルはヒルマンを見た。

「お互いによくやったな!」

 ヒルマンは心底満足していた。多分、それでいいのだろう。アッシェルは迷いと疑念を振り切った。

「ありがとう、アッシェル。おかげで助かったよ」

「どういたしまして」

「報酬は村長からも受け取ってくれ。私からも出す」

 ニンフはいつの間にか再び姿を消していた。

「あのニンフは何だったのでしょうか。助かりはしましたが、気になります」

「さあな、大方、君を誘惑しに来たのではないか」

 アッシェルは苦笑した。

「高位のネフィアル神官を誘惑するとはね」

 これでも〈裁きの代行〉を行えるだけの力はある。いかなるものにも揺るぎない冷徹さと公平さ。それがなくては、ネフィアル神官としては失格である。

「とりあえずは、またうちに来てくれ。薬草茶でも出そう」

 昼間から酒を出すとは言わないのだなと、若者は思った。

 続く

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