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復讐の女神ネフィアル 第3作目 『美女トリアンテの肖像』 第2話

 次の日には、すでに二人で森の奥へと進んで行った。恐るべき魔女ルードラの住む土地へ。村人たちは、香草で香付けした干し肉や、滋養のある果物の干した物を布袋に詰めて、数日保つだけの量をくれた。

 アルトゥールもジュリアも、礼を言ってその場を去った。二人とも必要なだけの食物は神技を使えば出せる。それでも断る理由は無いし、一日に使える神技には、この二人ほどの高位の神官と言えど限界もある。

 こんな森の中までは、かの古代帝国もあえて道を通そうとはしなかったようだ。古代帝国、すなわち『法の国』。

 仮に『法の街道』を通していたなら、残骸程度でも残ってはいるはずである。そんな深い森や林の中の道もこの西方世界にはある。『法の街道』はそれくらい堅牢なのだ。

 やがて道はどんどん狭くなり、ついには獣道さえ見つからぬほど奥に分け入った。その先にはどんよりとした沼地があった。

 沼水ばかりでなく、周囲の空気まで重く濁っている。そっと歩くには差し障りはないが、激しい動きをすれば息が苦しくなりそうだった。

 その沼沢地には、何やらいかにも怪しげな見た目の、ねじくれた背の高い草がたくさん生えていた。中には細い木のようにまでなっている物もある。

 どれも泥のようにどす黒い色。均整の崩れた螺旋状、あるいは失敗した稲妻の形に。

 その中に忽然として、魔女ルードラの屋敷に通じる通路が現れた。

 それは沼地の中に、頑丈な柱に支えられて、まるで空に浮いているかのよう。側面はほとんどが硝子(がらす)の窓。平らで透明度も高い硝子だ。きっととても高価なのだろう。

 硝子は、庶民の手に届く物ではない。ましてルードラがかつてそうであったような、貧しい者にはまともに目にする機会もあるか分からない。

「窓をこのようにしたのは、きっとルードラにとって特別な意味があるのでしょうね」 

 ジュリアが言った。意味ありげに、思いを込めて。

「意味はあるだろうな。これだけの硝子窓、まさに贅沢の象徴だ。ある意味では、黄金や宝石よりも」

 だから何だと言うのか、とアルトゥールは思う。

「僕は君とは違うように考える。魔女はもうこれだけの贅沢を三百年以上の長きに渡り堪能してきた。この辺りで、その対価を支払うべきだとね」

「あなたはもし自分の大切な……」

 ジュリアは何かを言おうとして、途中で止めた。

「いいえ、よいのです。何でもありません」

「いやいや、言いたいことがあるなら言ってみてくれ。同意するかどうかは僕次第だ。君も僕の考えには、賛同出来ない方が多いのだからお互い様だな」

 ジュリアは怒りはしなかった。気を悪くした様子もない。ただ、いつものように水色の深い悲しみの色だけが見えた。

「一つだけ、答えてください、アルトゥール」

「どうぞ。僕に答えられることであれば」

「あなたは何のために、このようなことをしているのですか?」

「何のために? ネフィアル神官として為すべきことを為すために。それは同時に『為すべきでないことは決してしない、出来ないことはやれない』。そういう話でもある。君には言うまでもなく分かっていると思っていた」

「分かっていると思います……多分。でも本当にそれが、心底からのあなたの願いなのですか」

「僕に限らず人の心底の願いは、君たちジュリアン神官から見れば、それほど美しいものでも、平穏なものでもないこと『も』あるとは思わないのか」

「……」

「心底からの望みが知りたければ教えよう。何としてても、いかなる手を使っても《法の国》を復活させる。その正義を、公平や公正を、秩序を、整然とした美しさを、この西方世界のみならず東方世界にまでも及ぼす。かつての大帝国の復活だ。ああ、そうしたらどんなにか素晴らしいだろうか。再び街は白大理石の街となる。美しい、雑然とした所のない世界だ」

 ネフィアルの青年神官は、ここで一息ついた。

「聖女様、君もそこではまともに生きてはいけない。この帝國でまともな市民の扱いを受けるのは、ネフィアルを心から信仰し、その正義を奉ずる者のみ。他は皆、悪だ。魔女ルードラのような者だけが悪として裁かれるのではない。他も皆、悪としての裁きを受ける。裁きによる報いが、軽いか重いかは、また別の話だがね」

 しばし沈黙が降りた。沼地のどんよりと濁った空気の中、かすかな風が流れる。小枝や茂みの草を揺らし、わずかに音を鳴らす。

「しかし、こんなことは誰も望まない。僕も望んではいない。僕の中のまともな部分は」

 ジュリアは黙って聞いていた。静かな様子には変わりはなく、ただ微かなため息を一つ。

「もし、いつかそれを望むネフィアル神官が現れたなら、そいつこそが僕にとって最大の敵になるだろう。しかし今は目の前の敵、魔女ルードラに相応しい報いをくれてやる。今はそのためにここに来た」

 長い黒髪を後ろで束ね、紫水晶の色をした瞳のネフィアル神官はそう言うと、先に立って歩き出した。魔女ルードラの造った、空中通路の方へと。

 沼地には、いい匂いとは到底言えない灰色のガス状のものが、靄(もや)のように広がっている。それに隠されていた物が、ガスが微風に流されて見えてきた。

 空中通路は太い柱により、支えられていると見えたが、近くに寄って見てみるとジツハそうではないらしい。

 柱は歪(いびつ)な形をしていた。下部は樹齢を重ねた木の幹のごとく太いが、上部は細く、糸のようになっている。これでは到底、通路の床を支えられないのは当然である。

 柱はこの辺りに自生する草木と同じく、ねじれにねじれていた。色合いが、黒と暗い灰色の入り混じり、濁った風合いであるのも草木と同様だ。

「これも魔女が造形したのでしょうか」

「いや、違うな。この沼地は元からの物だ。《法の国》時代に、討伐しそこねた魔物が住み着いてこうなった。その時に《法の国》のネフィアル神官や戦士たちが戦っていなければ、世界中がこんな有様になっていただろう。人は住めない。少なくとも、まともな形では。我々は、今こうして生きている在り方ではいられない」

「ええ、分かります。そうでしょうね。恐ろしいこと」

 ジュリアはそっと身をすくませた。とは言え、心底から脅威を感じている様子はない。いざとなれば、恐れて立ち止まるよりは前向きに行動するのを彼女は選ぶのだろう。出来うる限り、戦いの形にはならないようにはするのであろうが。

 しかし世の中の大半はそんな勇気を持たない。ジュリアン神官であっても、それは変わらない。

「恐ろしいか。でも君は《法の国》の末期のあり方を、ネフィアルの正義をも恐ろしいと考えているはずだ。だから僕のやり方にも、こうしてネフィアル信徒が増えていくのにも反対なのだろう。だけど、皮肉なものだな。そうしてネフィアル信徒が正義のために戦わねば、今のジュリアン信仰全盛の時代もまたあり得なかったのだから」

 ここで一度言い止めて、聖女の顔を、その紫水晶の眼差しで見返す。それまでは彼の視線は、行く先である魔女ルードラの空中通路に向けられていた。

「さあ聖女様、これはどういうことなんだと君は考える? 容易には答えが出ないだろう。実は僕もなのさ。だから君にも皆にも答えは出してあげられない。せめては共に考え続けるだけだ」

「共に、ですか」

「そう」

「それは意外です。あなたは、自分一人の行くべき道を行くだけの方とばかり」

「後から付いてくる者がいると分かったからだ。本当は僕一人だけが歩めれば良い道だった。だけど、今となってはそうではなくなった」

「あなたでも一応は、他人を気に掛けているのですね」

 ジュリアは、そういったきり黙ってしまった。彼女としては珍しくも、皮肉を含ませた物言いだ。

 聖女はアルトゥールの前に進み出て沼地の縁(ふち)に立ち、ためらいなく足を踏み入れた。アルトゥールが止める間もない。

 ジュリアは沼の水の上に浮いたまま歩いた。 空中通路は岸辺からは離れている。離れたところに階段がある。それもまた崩れそうに、何かの残骸であるように、沼地に垂れ下がっている……。

 ジュリアは優雅とも言える歩みを続けた。やがて背後を振り返り、

「付いてこないのですか?」

と、アルトゥールに問うた。やはり少しだけ皮肉げな響きが感じられる。

「しばらく待ってくれ」 

 アルトゥールは肩をすくめた。

 ジュリアはそうしてくれた。

 アルトゥールは、女神に呼び掛けた。

 沼地の岸から、魔女の通路に上がる階段の下まで、板状の木を並べた橋が出来た。木にはまだ小枝と緑の葉が付いている。

「先に行ってくれていて構(かま)わない」

 安定するまでに時間が掛かるからだ、とは彼は言わなかった。

 そうしてジュリアが水の上を渡り終え、階(きざはし)の最下に足を掛けた時、ようやく橋は安定して、彼はその上を渡ることが出来たのであった。 

 岸辺から階段には、さほど離れているわけでもない。直ぐにもその神技による急ごしらえの橋を渡り終えた。

「遅かったのですね!」

 ジュリアはやや強い口調で言うと、さっさと背を向けて先に階段を上(のぼ)りだした。

 アルトゥールは軽くため息を付く。ジュリアの後からついて行って上(あが)る。

 空中通路の中は静寂が広がる。この硝子窓の薄さなら外の音が入るはずである。しかし何も聞こえない。

 床は白大理石のようだが、埃(ほこり)だらけだった。埃の上に足跡を付けながら二人は歩く。アルトゥールが先に行き、ジュリアが後から付いていった。

 並んで歩かないのは通路の幅の狭さと、前後から襲ってくるかも知れない敵に対処しやすくするためである。アルトゥールは前方を、ジュリアは後方に気を配るのだ。

 敵はルードラ自身だけではないと予想出来た。魔界から召喚して使役する魔獣か、自らの魔力で創り出した人造生物であろうか。

 どちらにしても強力な敵に違いない。油断はならない。

 アルトゥールとジュリアは、腰から下げたメイスの柄を握りしめた。柄は太くしっかりした作りで、先端部には、四方向に三角の板状の出っ張りがある。

 対象に当てる角は鋭角に近く、金属製で、力のある者が使えば、板金の重厚な鎧をへこませることさえできる。

 のではあるが、この世界において最強の武器とは剣であり、メイスはさほど強い方の武器とはされていない。 

 神官である二人が、メイスを使うのにはわけがある。 神的存在とつながる者は、物質的な強さを持つのは構わないが、溺れてはならないからである。

続く

◎◎◎◎◎

続きはマガジンにてまとめてどうぞ。


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