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復讐の女神ネフィアル 第4作目 『孤島の怨霊』 第1話

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 その湖の真ん中に、一つの小さな島がある。全体に草木が生い茂り、歩く道さえも今はない。島の真ん中に、《法の国》末期の遺跡が残っていた。
 
 一行はそこに舟で渡った。渡し守は壮年の女であった。渡し守は言った。めったにあの島に渡る人はいない、自分は岸辺から岸辺へと人を運ぶ仕事をしているだけなのだと。

 アルトゥールは、子爵令嬢クレアと北の地から来た戦士リーシアンと共に、渡し舟に乗り込んでいた。島に着いた時、北の戦士が料金を銅貨で支払った。

 北方製の銅貨で、ジェナーシア共和国で鋳造される物よりも、やや形がいびつだ。渡し守は、それでも銅貨を受け取った。本物を見る目はあるのだろうとアルトゥールたちは思った。

 遺跡は上空に伸びている。螺旋(らせん)状に積み重なる階層。アンバランスで危うげ。それは漆黒から灰色へと回転するように色を変えた。遺跡は回転していない。回転しているように見えるだけだ。

「何でこうなっているんだ?」

 リーシアンはアルトゥールに聞いてきた。北の戦士は、アルトゥールにとっては、ロージェと同じくらい長い付き合いである。同じくらいに信頼している。

「《法の国》の時代には、今は失われた魔術の技術があったのだと言われているが、それはあまり正確とは言えない。実際には技術そのものは同じでも、より多くの熟練した魔術師がいて、より大規模で大掛かりな魔術を使えただけだ」

 クレアは、その通りですね、とうなずいた。アルトゥールは続ける。

「こんな風に、地上への落下をわずかの支えで防ぐ技は、今でも魔術師たちが持っている。だけど、これだけの力を出せるだけの力を持つ魔術師が、今の時代それほどの数はいないんだ」

「なるほどな。何で今はいないんだ?」

「《法の国》が滅びた後、ジュリアン神官たちが禁じたからだ。禁忌はやがて厳格ではなくなったが、今でも魔術は《法の国》時代ほどには盛んではない。そういうことだ」

 淡々と語るアルトゥールの言葉に、クレア子爵令嬢が口を挟(はさ)んだ。

「そのお話について、図書館にも本がたくさんあります。《法の国》時代の本。何も禁じられてはいません。皆が見られるようにしてあります」

 アルトゥールは答えた。

「あなたの誠意は素晴らしいですが、反対にそれが、ジュリアン神官や信徒の中でも心の狭い者の気に触ったのでしょう」

「でも、あの怨霊は、《法の国》時代の生き残りなのでしょう?」

「残念ながら」

「ネフィアル神官にも偏狭な性根の人はいたのですね」

「残念ながら、今もいます」

 三人は螺旋(らせん)状の塔に登っていく。最初の一、二階は細い骨組みだけ、それが上層を差支えている。骨組みは細く細く、今にもぽっきりと折れそうである。

「なぜわざわざこんな造りにしたんだ?」

 リーシアンの再度の問いに、アルトゥールは答える。

「泥棒避(よ)けかな」

 いつもの癖(くせ)の皮肉げな笑みである。
 リーシアンの方は呆れた顔をして肩をすくめ、何も言わず先に塔を上(のぼ)り始めた。

「分からないならそう言えよ」

「そんな、リーシアンさん。こうした謎はなかなか本当のことは分からないものなのですよ。物知りの学者にもまだ分からないことがたくさんあるんですから」

 貴族の娘は、穏やかに北の戦士をさとすように言った。

「そうか。なら、この塔で謎が解けりゃ、お偉い学者さんにも大きな顔が出来るわけだな」

 階段は途中から坂になる。急な坂だが階段と同じように上(のぼ)れた。手すりもある。アルトゥールとリーシアンだけでなく、クレアも手すりにつかまらずに楽々と進んでいった。

 その時、一羽の大きな鴉(からす)が現れた。鴉は先頭を行くリーシアンの三歩ほど先の手すりに留(と)まった。大きくしゃがれた声で鳴く。
普通の鴉とは違っている。

 アルトゥールは、ヴァインアールによってジョイスと呼ばれていた大鴉を思い出した。《光の騎士》は消滅したが、大鴉がどうなったかは分からない。

「《法の国》の時代には、特別な役割を担ったネフィアル神官はこうした大鴉を連れていた。今でもそうした者がいる。今になってそれまでもが復活してよいのか、僕には分からない」

「特別な役割ってなんだ?」
 リーシアンは、大鴉への用心のために立ち止まっていた。答えたのはアルトゥールでなくクレアである。

「当時、世界を荒らし回っていた魔族たちを滅ぼすために、冷酷非情の身と成り果てたネフィアル神官たち、ですね」
「そうです。さすがによくご存知ですね。魔族や邪悪な人間と戦うためだけに生きることを誓った者です。そのためにあらゆるものを切り捨てた。人として大事なものも、すべて」
「あなたはそれが正しいとは思わないのですね」
「さあ、正直なところはっきりとは分かりません。たぶん、当時は正しかったのでしょう」
 それを言い終わるか、終わらぬかのうちに、大鴉は飛び立ちリーシアンに向かってきた。真正面から来られて、対処出来ぬ北の戦士ではない。すぐさま手にした大斧(おお おの)で大鴉の嘴(くちばし)を受け止める。金属製の刃(やいば)に当たっても、大鴉は怯(ひる)みはしない。大きく旋回(せんかい)して、再び襲いかかってきた。今度はもっと速かった。

 大鴉が急降下して来ると踏んだリーシアンは、素早く大斧をかまえ直す。大鴉はリーシアンを狙わなかった。方向を変え、背後にいるクレアを襲(おそ)う。
 クレアは咄嗟(とっさ)に振り返った。左腕に留めた小楯(こだて)で身をかばう。小楯には魔術の印章が彫り込まれている。杯(さかずき)に剣、硬貨と杖だ。大きな金貨と金の杯が並び、杖と剣がその前で交差している図案。地水火風、四大の世界を構成する要素のシンボルである。四大の攻撃からの守護がある小楯なのであった。

 大鴉は小楯に衝突した。クレアはそのまま強く押し返す。小楯から光が弾(はじ)けた。光は金貨の図から出た。光は腐葉土の色の濃い褐色だ。大鴉は土の色の光に絡(から)め取られた。風を切って飛べなくなる。

 それを見て、アルトゥールはメイスを大鴉に打ち下ろした。ぐひぁと、奇妙な鳴き声を上げる。だが、だがしかし。死にはしなかった、と、いうことだ。漆黒の羽根が舞う。大鴉から、抜け落ちるのだ。
 大鴉は逃げて上空へ。そのまま姿が見えなくなった。
「心当たりがあるんだな?」
「ある」
 アルトゥールは、ヴァインアールとその使い魔の大鴉について簡単に話した。
「そいつはまた、厄介な奴がいたもんだな。ネフィアル神官に」
 やれやれと肩をすくめた。
「で、そのジョイスって使い魔が復讐に来たわけか」
「はっきりとは分からないと言うしかないな」
「正直になったな。今度からそう言えよ」
 先ほどの泥棒避けの話を覚えているのだろう。リーシアンはそう言った。

「使い魔は主人の命令が絶対なの。もしも復讐を命じていたなら従うでしょう。主人が使い魔より先に死ねば、遠からず使い魔の大鴉も死ぬ。死後も残る命令がなければね」
「貴族のお嬢さん、本当に物知りだな」
「クレアと呼んでください。それでかまいません」
 クレアはリーシアンに言った。それは特別な信頼の証しである。アルトゥールが信頼する相手を、クレアは自分も信頼すると決めたのだ。
「じゃあな、クレアのお嬢様。この遺跡に他のネフィアル神官がいると思うか? 使い魔を持つ冷酷非情なるネフィアル神官が」
「何らかの形で、《法の国》末期から生き残っているとは考えにくいわ。でもはっきりとは言い切れない。私たちには、知らないことがまだまだあるのよ」

 クレアは『私たちは』と言った。偉い学者でも分からないことがあると言っていた、そんな意味だろう。クレア個人の、知識の多寡(たか)の問題ではないのだ。《法の国》には分かっていないことが多い。アルトゥールに対してでさえも、神技は《法の国》のすべてを教えてくれるわけではない。
 
「とにかく、前に進もう」
「ま、そうするしかないか。ここに手がかりがあるとは思えん。あるならまだ先だろう」
 不意に空が赤くなり始めた。この赤い空はこの塔からだけ見えるのだろうか。アルトゥールたちは、そう訝(いぶか)しんだ。夕刻や朝焼けの赤ではない。それよりももっと禍々(まがまが)しい、不吉な深い赤である。雲もなく、太陽も見えなくなっていた。いつの間にか。
 細く儚(はかな)げな塔の土台を通り過ぎた。ちょうど二階くらいにはなるだろうか。三階辺りに来たとき、突如として黒い岩石の壁がそそり立つ。それはただ、前を防ぐように立ち、扉も何もない。

「どうすんだよ」
 アルトゥールは黙ったままだ。どうしようもないな、といった風に首を横に振る。
「今度は泥棒避(よ)けではないのは確かだな」
 試しに何気なく手を当ててみる。見た目とは異なり、温かく柔らかであった。そのまま軽く押すと、どこまでも凹(へこ)んでいく。
「おいおい、大丈夫なのか?」
「分からないな。クレア嬢は何かご存知ですか」
 クレアは答えた。

「私が図書館の本を全部読んでいて、しかも頭に入れているなんて思わないでくださいね。それでも大抵の人よりは物知りではあるかしら。それでお答えするわ、何も分からないのです。聞くところによれば、こうした遺跡には、侵入者を防ぐ罠(わな)があるそうですよ」
「これも罠か」
 リーシアンは、いきなり大斧を叩き込んだ。なぜか刃は弾かれる。
「これならどうだ?」
 今度はそっと優しく大斧の刃先を押し込む。柔らかな石壁は肉をナイフで切るように裂けてゆく。向こう側が見えた。

「いいぞ、上手くいった」
「まだ油断しては駄目ですよ」
「油断などはしないよ、お嬢様。向こうに何が見える?」
「向こうは、赤い、空? 空がこんなに近いなんて」
 クレアは壁に出来た縦に裂けた穴から目を逸(そ)らした。
 周囲は黄昏の街よりも赤赤とした色に染まっているが、空は天高く、遠い。

「どうして? どうなっているの」
「気を付けるに越したことはないが、先に進むより他にはなさそうだ。この空の近くに、例の怨霊(おんりょう)がいるとは思えないが」
 アルトゥールはそう言うと、ゆっくりと自分の両手で開いた縦の裂け目をより大きく割いていった。
「僕が先に行く」
 彼は自分が言ったとおりにした。



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続きはマガジンにて。


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