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相反する要素に耐えられないのは能動性の欠如である
前回の記事はこちら。
今回もあくまでもフィクションの話である。現実の話はしない。なおかつ、ハイファンタジーの主人公の話に限定する。
では相反する要素とは何か?
世の中、一方にだけ偏れば良いというものではない。たとえば、優しさと厳しさ、主張と傾聴、周りに合わせるか自分を貫くか。どれも明確な答えはない。
場合によって、人によって違う。単にバランスを取ればいいというわけでもない。
さて、このような相反する要素をテーマとして扱ってはならないと言われたことがある。エンタメなのだから分かりやすく一方に振り切るべきなのだそうだ。誰も本気にはしないから、と。
で、ウェブ小説投稿サイトでの受け筋は、確かにこんな感じらしい。相反する要素を、相反するままにする、そんなことはしないようだ。
さて、言われた通り、相反する要素を扱わず、一方にだけ振り切る物語の断片を書いてみよう。
ちなみに一方に振り切りつつ、テーマは復讐で悪の断罪らしい。その線でやってみることにする。
◆
復讐のために、悪人を断罪し続けてきた。そんな俺の事を不正義である、単なる自己満足であるとけなす奴もいる。
俺は気にしなかった。気にしたところで仕方がないからだ。俺は自分の信じた道を行くだけだ。他人にどう思われようとかまわない。
慈愛だの赦(ゆる)しだの、くだらねえ。まずは自分の大事な人間か、自分自身が痛めつけられてから言え。
そう、かつての俺のように。あるいは俺の家族のように、だ。
俺は連中がいる酒場に入っていった。皆、驚いて俺を見た。反撃の余地を与えず、《忘恩の投げナイフ》で、全員刺し殺す。
俺の腕輪から、無限に湧く投げナイフだ。
このナイフで刺されたら、楽には死ねない。
◆
と、ここまでにする。極めて受動的な主人公になっているのが、分かるだろうか?
これが駄目だとは言わない。これはこれでアリだと思う。しかし前回の記事でも書いたが、私が自然な状態で書ける主人公は、これとは正反対の極めて能動的なタイプである。
自分にとって向かない、不自然な事をやり続けると、自然な事をやるよりは、はるかに疲れるし、良い物も書けない。
それでも、極めて受動的な主人公のほうが、極めて能動的な主人公よりも、はるかに世間で受けているし、売れやすいと言うならまだ分かる。
だが、事実は決してそうではない。
極めて受動的な主人公の物語を、あえて書かねばならない理由はないのである。
さて次はこの主人公を、相反する要素を無視できない状況に放り込む……のではなく、極めて能動的な主人公で、なおかつ事態が単純なケースを書いてみようと思う。
極めて能動的な主人公とて、常に複雑な状況に取り巻かれているとは限らず、単純な舞台設定もあり得るからである。
◆
俺は自分が信じた道を進むと決めていた。誰に不正義と呼ばれようと、悪魔だ鬼畜だと罵られようとかまわない。
俺はやるんだ。
やることに決めたんだ。
この神殿の廃墟の奥に奴がいる。俺は真っ直ぐに進んで行った。《忘恩の投げナイフ》を無限に繰り出す、悪魔との取り引きで得た腕輪をはめたまま。
神殿の奥には、俺を止めようとする女がいた。
「待って、駄目よ。彼を殺しては駄目」
この女に会うのは何度目だろう。
いつものように白い羽根を背後に広げて。空に浮いている。
「俺を止めても無駄だと言っただろう?」
「ああ、あなたがそんな事をしても、誰も救われはしないのに」
分かっていないな。
俺はもう、誰かを救うために戦うのじゃないんだ。
「そこをどいてくれ。さもないと」
俺は容赦なく、投げナイフをかまえる。
「駄目よ」
女は道をふさいで、俺を通そうとはしない。
「俺のために死んでくれ。俺の悪事のため死んでくれ!」
俺は投げナイフを投げた。
まとめて十本。
女は赤い血を流して、床に落ちた。
その目は、何故だと問い掛けている。
「俺のために死んでくれ。俺の悪事のために死んでくれ」
俺は繰り返した。もう決して引き返すことはできないと分かっていた。
◆
長くなったが、ここで終わりとする。
一方に振り切る、主人公は迷わないし、相反する要素を相反するままの状態で留めはしない。
しかしまあ、主人公の行動はともかく、作品全体の基調としては、相反する要素を相反するままにしているのが、分かるだろうか?
極めて能動的な主人公と言ってもいろんなタイプがあり得るから、もっと冷酷非情なタイプにもできる。
その場合にはさらに、作品全体の基調としては、主人公に対立する側をよりいっそう否定できなくなる感じになるだろう。
一人称で書いても、完全には主人公の主観に閉じ込められないで、主人公以外の視点からも見られるのである。
言うなれば、主人公を完全には支持できなくても、読者にとっての『逃げ場』があるというか。
極めて受動的な主人公のほうは、主人公の主観に完全に閉じ込められる感じになっていると思う。
この主人公を100%応援できたらいい。だが、そうではない読者のほうが多そうではなかろうか?
理屈でなく、文章全体から漂うオーラに関しては、もはや言うまでもない。
と、今回はここまでにする。
後は皆さんの判断次第である。これらは判断の一助になれば幸いである。
ここまで読んでくださってありがとうございました。また次回の記事もよろしくお願いします。
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