世代の違うフィクションを読む

私は若い十代の頃から、当時の古い世代が若い頃に読んだり見たりしたフィクションになじんできた。

私だけでなく周りの友人たちにとっても、親世代や時には祖父母の世代の若い頃の文化に触れるのは普通のことであった。

親世代や祖父母の世代も、若い頃の文化の全てを覚えているわけではない。数十年を経て残った物はそれなりの水準にある物が多い。

そのようなわけで、当時若かった私と友人たちにとっては、古い世代のそうした文化は、どことなく『格上』のような気がしていたものだった。

むろん良いことばかりではない。

そうした、時の試練を経たアーティストやその作品と比べて、最新流行の若者文化をけなす者はいた。今もいるように。

そうは言っても、それなりには古い世代の文化にも触れてきて、そして今の私がある。

若い頃に、自分と同じ世代の楽しむ作品にしか触れていないと、自分に近いもの、心底から親しめて共感できる物にしか反応できなくなる危険があるのではないか。

すると歳を重ねれば、今度は自分が若い人々の文化についていけなくなるだろう。

若い頃から『自分に近いもの、心底から親しめて共感できる物』にしか触れてこなかったのだから、歳を取れば当然、自分と違う若い世代の楽しむものにはついていけなくなる、はずである。

でもこれはあくまでも個人的な経験則から来る推察である。明確な証拠はないので、絶対こうしろとは言えない。

いや、仮に明確な根拠があったとしても、強制などはできるわけがない。

『進撃の巨人』リヴァイ兵長が言ったように、各々が判断するしかない。

まあ私個人の経験則として、こうなのである。

もしも何かの参考になれば幸いだ。

それでは今回はここまで。

読んでくださってありがとうございました。また次回の記事もよろしくお願いします。

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片桐 秋
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