見出し画像

【ハイファンタジー小説】復讐の女神ネフィアル 第6作目『ため息の響く丘』 第2話


「なんて美しいところなの」

 グランシアは感嘆を漏(も)らした。

「そうだ、きれいな場所だな。怪しい薬のような物がここで作られているなんて信じられないくらいだね」

 アルトゥールは、紫水晶の色の瞳で、辺りを悠然と見渡して続けた。

「この丘の頂上に、例の黒葉糖が作られている場所がある。情報の出所は確かだよ。ロージェのいる《裏通りの店》だ」

「それなら確かなんでしょうね」

 グランシアはロージェをよくは知らない。アルトゥールからの話で、信用すると決めていた。会ったことはある。アルトゥールには味方だろうが、自分には必ずしもそうではない。人の良さそうな顔をして、裏切られれば報復する男。それがグランシアの見立てだ。

「多分ね。とは言え、細部に関しては実際に行ってみないと分からない。こうした探索は、細部こそが重要なんだ。そこに何が潜んでいるか、見つけ出さなければならない」

「細部に何があると思うの?」

「麻薬効果のある黒葉糖を作る。ならば、原料となる黒葉をどうやって栽培しているか。黒葉糖や、売って得た資金を奪われないようにどうしているか。裏切り者をどう処罰するか」

 アルトゥールは淡々と考えを告げる。グランシアとしては彼の冷静さに信頼と頼りがいを感じると共に、若くして老成した精神を、どこか自然でないとも思ってしまうのだった。彼は、ネフィアル女神への信仰に心身を捧げた者の完成形に近い。公正なる裁きのために、徹底的に私情を排するのだ。

 《ため息の響く丘》には、美しい、きらびやかな宝石や半貴石の石柱があちらこちらに立っている。多くはエメラルドであるが、虎目石や黄水晶もある。石柱に触れようとすれば死があるのみだ。

 あるいは死よりも恐ろしい末路がある。生きたまま石柱に取り込まれ、そのまま貴石や半貴石と化して新たな柱となる。その石柱の一部としての命は、千年も続くと言われている。 

 グランシアはエメラルドの石柱のかたわらに立ち、慎重に手を触れないようにして言った。

「このエメラルドの中にも、誰かがいるのね」

「だろうね」

 アルトゥールは淡々と答えた。恐れも何も感じてはいないかのように。

「この丘に来れば欲に取り憑かれて石柱に取り込まれる。それを逆手に取って、黒葉糖の密売団はここに製造所を作った。実際には密売団の仲間たちも、何人かは取り込まれたらしいが」

 アルトゥールがロージェでもクレア嬢でもなく自分を連れてきたのは、それが理由だとグランシアには分かった。リーシアンは今は別の依頼を受けているが、おそらくは彼でも無理だったのだろう。

「私だって美しい物は好きだし、欲もある。でも欲に取り憑かれて破滅しないよう訓練されてきた。魔術師は心に弱みを作ってはならないの。でなければ自らが、魔術のもたらす力の奴隷になってしまうから」

「どんな力でも、得た者を奴隷にする魔力があるものだ」

「アルトゥール、あたしもあなたも奴隷にはならないわ。これからもずっとね」

「自分を過信するのはよくないな」

 アルトゥールの返事はにべもない。美しいグランシアが相手でもそれで遠慮はしないのである。


 貴石と半貴石の石柱の間を登り続ける。今日は薄曇りで、陽光は弱々しい春の日である。《ため息の響く丘》を登り始めてから、小鳥のさえずり一つ聞こえない。代わりに聴こえてくるのは、切なく憂鬱そうなため息ばかり。巨大な聖堂に祈りの声が反響するように、さえぎる壁はないのにため息は反響している。

「丘の頂上に、六本の柘榴(ざくろ)石の石柱に囲まれる形で密売団のアジトがある。アジトの中央に製造所がある」

 柘榴石は柘榴の実のように赤い宝石の一種である。やや深く暗い赤で、透明な石。

「さっきからずっと登り続けているのに、まだたどり着かないのね。麓(ふもと)から見上げた時には、そんなには見えなかったのに」

「この丘は特別だからね」

 この世界が神々により創られた頃、世界のいくらの場所や空間は歪みを生じた。それは修正されずにそのまま残った。と、伝えられている。真実は誰にも分からない。

「この場所が元から歪みを持っていたのは事実だ。石柱はその証だ。けれど『ため息が響く』のには他のわけがある。聞いたことがあるだろうか?」

「それは何?」

「ため息の正体は昔、敵対する魔術師に残忍に殺されたネフィアルの戦士や神官の残された思念のせいだと。残された記録を読んだんだ」

 そこでアルトゥールは《帝国の手帳》と呼ばれる《法の国》の記録が残された手帳を取り出す。羊皮紙でなく草を切り開き乾燥させて作られた紙ではあるが、現代に使われている物よりも薄くしかも丈夫である。この製紙技術は失われて久しい。

 古代に栄えた帝国、ネフィアル女神への信仰盛んなる《法の国》から残された記録である。保存状態が良く、字が読めない箇所はほぼ無い。

「おそらくはこの記録に書いてあることは正しい。僕たちは、思念を残して死んだ者たちと話してみなければならない。その方法も、この丘に残っているはずなんだ」

「敵対する魔術師が。そうね、《法の国》の時代に、ネフィアル信仰に囚われない自由な研究を望む魔術師もいたからよね。それも少なからず」

 自由が何をもたらすか。それは誰にも分かってはいなかった。


ここから先は

0字
この記事のみ ¥ 100
期間限定!Amazon Payで支払うと抽選で
Amazonギフトカード5,000円分が当たる

お気に召しましたら、サポートお願いいたします。