③お金で幸せが買えるわけではないけど、幸福のためにお金を使う勇気も必要、という話

おはようございます、
かたづけまぐろです。

前々回は、自分が幸せになってもいいというGOサインが出せずに、自分が幸せだと思いながらマッチを売る少女の話をしました(違)

『いつか落ち着いたら』なんて日は、自分から向かっていかなければ絶対に来ないだろう、そして“いつか落ち着いたその時”、私は何歳だろうか、果たして健康だろうか?

倹約が当たり前になってると、自分のためにお金を使うのに勇気が必要になります。
「この家を愛して、今より幸せを感じて暮らすために、私はお金を使うぞ!」と奮い立たせることにしました。
(敢えて“家族と”という他の誰かを混ぜない表現をしています)

まだ若かった時、服にお金を使うのはとてももったいなくて、安いものを探して買うけれど、なんだか満たされない気持ちがありました。
でも飽きるから買う頻度が高くなるのか、その価格帯であれば抵抗があまりなく買えるというハードルの低さからか、被服費は節約してるようで膨らんでいたような気がします。

なので、『今日は絶対に服に10万円使うぞぉ〜!』と心に決め、実際に現金を持って挑んだことがあります。
すると、実際には意外とそんなに欲しい服がなくて、これがほしいな、と思った服だけを数点、数万で購入し、けれどもいつもの買い物よりもとても満足できたのでした。

普段よりも値段の高い服を買った幸福感、品質的な意味でも幸福感はあったと思います。

でも、“妥協をせず、自分にGOが出せたこと”が最も幸福に繋がったのかなと思います。

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