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止まない雨はない、のか
止まない雨はない、とか、嵐は続かないとかいうけれど、そうだろうか。
私の中では「降り続いている雨」があって、それはこの先もずっと続くのだろう。
宇多田ヒカルさんの「真夏の通り雨」の歌詞の中に 「降り止まぬ 真夏の通り雨」とある。
通り雨なのに何故、止まないのか? と聞かれた時、彼女は、通り雨が降っている最中にその人が死んだらその人にとっては通り雨が止まない雨になる。というようなことを言っていた。
簡単に、「その人にしか乗り越えられない壁だからその出来事が起きたのだ。」なんて言えない。
いえない傷もわだかまりも、ずっと背負って行くのだ。
できることなら苦労はしないほうがよい。
一旦背負うと重くのしかかるから。
しかし、私は、人には誰しも触れられたくないことがあるから言ってはいけないことがある。なんて思わない。そんなの、人の心が見えるわけじゃないから、人が隠していることを悟れ、なんて無理だ。
もちろん、いじめや差別はいけないと思っている。相手が、何もしていないのに、故意に傷つけることはいけない。
でも、何気なく言った人の言葉で、自分が傷ついたのなら、何故、自分はその言葉で傷ついたのかを考えなければならない。
本当のことを言われたから傷ついた。傷ついたのは心ではなく、プライド。
人にはそれぞれ課題があって、それは、自分で乗り越えなければならない課題だ。
自分はどう思うのか、自分はどうするのか。どう受け止めるのか。他人を責めるのではなく、自分を見つめたい。何が自分を苛つかせるのか。
自分の考え方、自分の気持ちはどこへ向いているのか。
雨は降り続くけれど、雨雲の上の景色に気づけるのか気づけないかも、自分次第である。