術後2日目
看護師さんより「妻が救急車で別の病院に搬送された。」との連絡を受ける。
その報告を受けた直後は「へ?」とか「は?」とか意味不明な返事をしていたと思う。実際問題、入院しているのは私であって妻ではない。
その後詳細の説明を受けると、どうやら妻はこれまでの心労が祟って39℃の高熱を出したらしい。そして今のご時世柄、「病院に出入りして高熱」となったらコロナの疑いもあるのでPCR検査の結果が出るまでは、搬送先の病院で入院という事らしい。
何と!夫婦そろって別の病院に入院。
何度も詳細を踏まえて聞くと、やっと理解できた。
更に、私も濃厚接触者になるのでICUに元々入っている状況の中ではあるが、更に一番奥まった場所にある陰圧がしっかりした部屋に、ビニールカーテンで完全に隔離された状態で、妻の結果が解るまで特別扱いを受ける事となった。
この隔離処理が地味に辛い。
何も出来ない寝たきり状態で先日から引き続き酸素ボンベによる喉の渇き攻撃にノーガードで撃たれ続けないといけない。
我慢できなくなってナースコールを押しても、看護師さんは俺の看護だけ専任者が決まっており、更に特別装備の青い防護服・ネット帽子・ゴム手袋を装着した上でビニールカーテンを開けて入ってくる。
水を飲ませてもらうと、特別装備は全て脱ぎ捨てて処分する。
「なんか水飲みたい」だけでお手数おかけしてすみません・・・。と心が痛む。
でも乾いた酸素が延々吹き出し続けるため、暫くするとまた喉が渇く、の繰り返しで間を置かず喉が悲鳴を上げてくる。自分で給水できればどんなに楽か!と思ったが基本我慢して、我慢しきれなくなったらナースコールの繰り返しを続けた。
一方、夫婦そろって入院となった我が家はというと、生後1か月の孫を抱えた義母が心労を重ねていた・・・。
負の連鎖は続く
術後の私の状況はというと、
腕が長時間同じ体制だったためか超痛い。関節を少し曲げるとサブミッション決められた様な痛みが走る。
相変わらず熱が高い。何時測定しても38℃以上。前述の通り特別管理の個室のため、誰に遠慮もいらないので空調を思いっきり下げてもらい、布団も剥ぎ取って、枕も氷枕に変えてもらったが常に熱っぽさを感じていた。
そして、尿道に刺さっている管。こいつは強制的に尿を排出するオート排尿機能を装備しているのだが、副作用として残尿感を常に感じさせてくれる。些細な事だが地味に嫌・・・。
また、この日よりリハビリが開始される。
といっても非常に簡単。「リクライニングで起き上がり、お粥を少し食べる。」これだけ。逆に言えば、この程度しか動けない。
後は寝たきり
意識は完全に戻っているものの発話は一言、二言が限界。息苦しくなって言葉が続けられない。でも脳みそは動いているので、考え事をすることは可能。
寝たきりだけど、思考能力はいつも通り。要するにめっちゃ暇。
妻の入院を聞いて、出産を控えた身で俺の病気を告知され、産後1月で手術。
つくづく心労をかけてしまったと後悔。一生頭が上がらんなぁ~。なんて事を考えていたのを覚えている。
つづく
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?