心が押しつぶされそうだ
月曜日から仕事に復帰した。
とても辛かった。
火曜日、仕事から帰ったら、ゲームをしている息子に「うるさい」と言ってしまった。自分に余裕がない証だ。
夫の四十九日の法要、初盆も終わり、
精神的に落ち着いたかと思った。
しかし、まだまだ私の中で、夫の死を受け入れる体制が整っていない。
数ヶ月前まで、一緒に笑ってたんだよ?
その夫が急にいなくなってしまい、
心が押しつぶされそうだ。
夫は、今どうしているだろうか。
あの世で、またこの世でそうだったように、人気者になっているのだろうか。
さいしょの奥さんと再会して、
楽しく過ごしているのだろうか。
私は、早く日常を取り戻したい。
夫が生きていた日々、本当に充実していた。
仕事も、家事も、「頑張っている」という表現はおかしいかもしれないけれど、
それなりにこなして、楽しい毎日を過ごしていた。
なんという虚無感だろう。
夫という人物がいなくなってしまっただけで、
毎日が、ほんとうに、私が生きている実感がない。
今、ここに私がいることが、現実だと思えない。
いちにち、いちにちが、夢の中の出来事のように思える。
私は、本当に生きているのだろうか。
夢を見ているのだろうか。
そんな感覚に陥る。
精神科に行った方がいいのではないかと言われそうだ。
そんなん、とっくに行っている。
主治医とは20年来の付き合いであるが、
私のこのなんとも言えない虚無感を伝えきれていない。
生きていることが楽しいと思えない。
8月の頭、息子と温泉に旅行に行った。
そこで、初めて思った。
「夫のところに行きたいなぁ」って。
息子もいるし、周りに助けられる日々。
その人たちのために生きなければいけないのに、
私は、夫のところに行きたいと思ってしまった。
生きなければならないのに。
夫が旅立って2ヶ月経つが、いまだに夜が辛い。
涙を流して眠れない日もある。
息子が、ケイタイのライトを照らして私の部屋を覗きにきてくれて、
なにも言わず、ぬいぐるみをパッと投げてきた。
寂しかったら、これを抱いて寝るだわ、とのこと。
優しさが嬉しくて、
でも、寂しくて。
はやく、前のように、楽しい日常を発信したい。
毎日の徒然を語れるようになりたい。
でも、もう少しだけ時間が必要のようだ。
明日からは、夏季休暇を取ることにした。
用事(法要、初盆など)が終わったとは言え、
私の心は、まだまだ休養が必要のようだ。
ゆっくりと過ごしたい。
今夜は月が綺麗だ。
夫のいる世界からも見えるだろうか。
それでは。