長過ぎるモラトリアム
私は、一九九八年よりインターネットの世に身を投じたが、そのたびに「ハンドルネーム」を選ぶ煩悩に悩まされてきた。X(旧ツイッター)やFacebookなど、自己紹介やアイコンの設定に際し、幾度となく「我は何者か」と問わずにはいられなかった。さながら、何度も新しい名を与えられる神話の登場人物のように。
二十一歳より二十九歳まで精神科の世話になり、以後、行政により「精神障がい者」と認定された。福祉の恩恵を受けられるようになったその頃より、我が身の立ち位置が徐々に定まらぬ感覚に苛まれていく。生家は封建的な男尊女卑の影響を色濃く残す農家で、田畑の仕事に勤しんできたが、家を継ぐ者が常に「男」でなければならぬという不文律に、我は男でありたかったという思いを抱えていたのである。
我が家系はかつて血筋が途絶え、遠くヤマトより養子を迎え入れたと祖母は語る。その子もまた男であったという。母方も、江戸の昔より続く家であり、一人っ子の祖母が婿を迎え、家名を守ったと聞かされている。そのような背景のもと、男は家と名字を受け継ぐべき者であり、女は家の内に縛られ、何もかも「男」を優先すべしという意識が、我が意識の底深く刷り込まれていたのである。
料理、家事、美貌、そして子を産むことまでが女性に求められる。さらには男親の存在をも教えよと、親の教えは無限に降り注いだ。「家を守るために子は学を修めよ」「農業に励み、寄合では他人に弱みを見せるな」という戒めもあれば、「泣くことは許されぬ」「文句を口にするな」「後輩には厳しく、先輩には従え」という教えが、社会の厳しさと共に日々我が心に響いていた。
そのような教えを疑うことなく従い生きてきた我であるが、いつしかその束縛の重さに息苦しさを覚え始めた。インターネットの広大な世界では何にでもなれるかのような錯覚を覚えたが、現実の枠組みから逃れることは叶わなかったのである。進学校へ進み、ボランティアや部活にも励んだが、人間関係の壁は高く、同期には「お前のせいで部活を辞める」と詰られ、先輩には「生意気だ」と叱責された。なぜその言葉が自分に投げられたのか、その意味すらも理解できなかった。心の内で「たかが一年の違いで何故ここまで威張るのか」と不満を抱きつつ、先輩に敬意を抱けぬ自分を責めたものである。
大学に入っても、孤独を選び、周囲との関係はますます希薄となった。インターネットの世界では、己のキャラクターをどう作り上げるべきか、現実との折り合いに苦悩し続けた。ボランティア活動でも、無償で行われるその労働の価値と責任に矛盾を感じながら、それでも人と触れ合うことで己を見出そうとした。
しかし、読書会や人間集団に参加しても、そこに漂う無意識の枠組みや規範が我を苦しめた。どこへ行っても「異質な者」として見られ、馴染むことは叶わなかった。結果、どこへ行っても「旅人」であるかのように、定住することなくその場を後にすることが常となったのである。様々な場所で、様々な人に出会い、その多様な生き方に触れつつも、常に漂泊者としての孤独が付き纏った。
家に帰るたび、実家の重さが我が肩にのしかかる。それでも、そこが我が帰る場所であり続けている。伊勢神宮を崇めるこの地に住んではいるが、かつて春日大社に親しんでいた我には、いまだにその風習に馴染むことができぬ。かつては家を守るため、男子が代々継ぐべきものとされていた封建的な考え方から離れることで、いささかは楽になったが、それでも親の期待を裏切ったという後悔は消えぬままである。
私は、両親が自分の子供にかけた期待の重荷を感じつつ、彼らの望む通りの生き方を選ばなかった。親の「家」としてのあり方に疑念を抱き、彼らとの距離を保ちながらも、心のどこかで「親の望みに背いているのではないか」と自己嫌悪を拭い去ることができぬ。結局のところ、我は「旅人」として生き続けざるを得なかったのである。
しかし、その旅人としての生き方にも限界があることを、私は徐々に悟り始めていた。確かにどこへでも行ける自由があった。だが、その自由は同時に、帰る場所がないという不安定さをも孕んでいた。たとえ実家が居心地の悪い場所であっても、そこに帰ること自体は一つの安定であり、逃れられない繋がりでもあったのだ。
また、親との関係は決して完全に断ち切れるものではない。彼らが生きている限り、私の心の中にその影は絶えず残る。特に、母の期待とその裏切りに対する葛藤は、私の心に深く刻まれていた。いくら自分の生き方を選んだとはいえ、その選択が母に対して何かしらの「裏切り」であると感じてしまう。どれほど自由を求めても、親の声が遠くで響き続けるのだ。
それでも私は、自らの道を歩み続けるしかない。親の期待に応えられなかったことへの後悔は、決して完全に消えることはないだろう。それでも、親のために生きるのではなく、自分のために生きることを選んだのだから、その道を歩み続ける覚悟を持たなければならない。それが、私にとっての「自由」というものなのだろう。
現実の世界に戻り、私はもう一度、インターネットに目を向ける。かつてこの広大なデジタルの世界は、私に無限の可能性を与えてくれる場所だと思っていた。しかし、現実との折り合いをつけることができない限り、インターネットもまた一つの逃避の場に過ぎない。自己紹介やハンドルネームの設定に苦慮するそのたびに、私は「自分が何者であるか」という問いに直面せざるを得ないのだ。
だからこそ、私はそろそろ決断を下さなければならない。旅人として生きる自由を求め続けるのか、それとも、どこかに根を下ろし、現実と向き合うのか。どちらを選んでも容易な道ではないが、もはや迷っている時間はないと感じ始めていた。
私が今の場所に腰を据えて生活することができれば、ようやく「旅人」であることを脱することができるかもしれない。だが、それにはまず、私自身が自分の過去、家族との関係、そして自分自身の在り方を受け入れなければならない。そうして初めて、私は自分が何者であるかという問いに真正面から向き合うことができるのだろう。
それは容易なことではない。だが、私はもう逃げることをやめ、静かに自分の居場所を見つけようとしている。どこか遠くへと旅立つのではなく、今いる場所で、私という存在を根付かせるために。これまでの旅路を振り返りつつ、私は再び、未来へと歩みを進めていく決意を固めるのだった。