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記録 ⑤「教室からの脱走」
高校2年生から、私は勉強についていけなくなりました。
月曜日、3時間目の数学。教室の後ろの席で、私は20点の答案用紙を見つめていました。文系科目は90点を取れるのに、なぜ数学だけこんなにできないのか。でも、本当の原因は、夜遅くまでのネット生活にあったのかもしれません。
そして高校3年の夏、私は学校をサボり始めました。6時半の電車に乗り込む。いつもと同じように、同じようにカバンを持って。でも今日は違います。三つ目の駅で降りて、そのまま地元の図書館へ。月に一度の逃避行が始まりました。
図書館の開館時間の9時までは、近所のコンビニで時間をつぶします。雑誌コーナーで立ち読み。行き場もない、お金もない高校生にとって、これが精一杯の贅沢でした。
しかし、それも長くは続きませんでした。
ある日の夕食時。
父「高校の担任は、おまえが面倒なんだよ」
この一言で、私の図書館通いは終わりを告げました。代わりに身についたのが「苦笑い」という防御手段。
同級生「あの子、何を話しても、いつも苦笑いで返してくるよね」
私(苦笑い)
質問されても、何を言われても、苦笑い。話しかけられても、苦笑い。完璧な防御手段として定着していきました。今思えば、かなり危険な状態だったのでしょう。
そして大学進学。母の強い意向で、昔は「お金持ちのお嬢様が多く通った」というボーダーフリーの大学に進学することになりました。私は公共図書館と、学校図書館で働きたくて、図書館司書資格取得と、教員免許の取得を目指しました。
幸いに、4年までには、教員の資格と、図書館司書の資格は取れそうでした。しかし、4年次に、1ヶ月の教育実習がありました。
教育実習2週間目のことでした。授業のチャイムがなる前に、教室の外に出ようとする生徒を止めました。すると、その生徒は、男性教師から激しく叱責され、翌日から私への報復が始まりました。
廊下で私が通りかかると、壁を叩く音がします。ビクッとする私の反応を見て、生徒たちは、ケラケラと楽しそうに笑います。教室に行くのが怖くなりました。
そしてある風の強い日。私は橋の上に立っていました。
下を流れる川をじっと見つめていました。もう3時間は経っているでしょうか。梶井基次郎の「Kの昇天」のように、月の光に導かれて飛翔できたら...。でも、そこには月はなく、ただ冷たい風が吹いていました。
「お疲れ様です」
振り返ると、保育園から中学生まで同じ同級生で、教育実習先で再開した、実習生の男性が通りかかりました。
教室実習先の彼の周りでは、中学生の女子生徒たちが黄色い声を上げていました。どうして彼にはこんなに簡単に生徒との距離が縮められるのだろう。
「お疲れっす」
彼は何も気づかずに通り過ぎていきました。私は慌てて視線を川に戻します。
川に入るまでに、かなりの時間がかかりました。橋から飛び込むことはできず、自分の足でゆっくりと水に入っていきました。冷たい水が体を包み、スーツが重くまとわりつきます。
梶井基次郎のKのような「月への飛翔」は叶いませんでした。あるのは冷たい水と、重たくなった服の感触だけ。
大学の心理室に通い始め、そこから病院への通院が始まりました。
「病気で通院?これはチャンスかも」
なぜかポジティブに捉えた私は、ボランティア活動を始めました。人と関わるきっかけを必死で探していたのです。