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【10分で読める短編小説】『俺のパートナー』~受験まで残り1ヶ月の君たちへ~
▶第1章
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「おーい、柊人―。今からクリスマス会も兼ねてカラオケにでも行くんだけどお前もどうだ?毎年行ってるだろ?」
「お前も、来いよ!たまには、息抜きしようぜ!」
こいつらからすれば、100%の善意。いや、きっと善意とか悪意とか何も考えてないこの誘いは、俺からすれば堕落の悪魔の囁きにしか聞こえない。
12月のこの時期。
黒板の上には、当の昔に三桁の数字は排除され、共通テストまで残り日数27日と書かれたその不条理で残酷な数字は、俺にとっては絶望でしかない数字だ。
しかし、推薦入試で既に合格の切符を勝ち取ったこいつらにとっては、何の意味を持たない数字。
だからこそ、彼らの誘惑を鉄の意志で、断ち切らなければならない俺は、感寂な想いで一人、いつものように図書室に向かう。
まるで、合宿にでも行かんばかりの大きなリュックサックから一冊の赤本と数冊の問題集を取り出し、ノートを広げていざ勉強。
そう思いながら、ペンを持って、問題を進めるもどうも身が入らず、いつのまにか、スマートフォンで何百回と見た動画を眺めているだけの時間が過ぎていく。
本来、30日を切ったこの状況であれば、不安や焦燥感にかられ、一問でも多くの問題を解いていくべきなのは、自分でも分かっている。
別に、最後の模試でA判定を取っているわけでもなく、あいつらのように推薦で勝ち取った大学もない。
現実は、あまりにも残酷で今日学校から受け取った模試の結果は、合格率四十パーセントのⅮ判定。
これでも、前まではE判定だったんだから、褒めてほしいくらいだ。
そう。この今の動画鑑賞は、Ⅾ判定とれた自分への小さなご褒美。
そう、自分に言い聞かせながら惰性の時間を過ごす。
『それなら、さっきあいつらの誘いを断った意味なくねえか?』
突然聞こえてくる鋭い突っ込みが俺の心を抉ってくる。
その声の主はそう、自分の脳内のみに木霊する、何者でもないもう一人の自分の声、まあ、心友とでも呼んでおこう。
「んなことは、わかっている。わかっているんだけど」
『とりあえず、これ以上そこにいても空しい時間が過ぎるだけだろ』
「それもそうだな」
この2時間の間に出来上がったものは、この五行くらいに述べられている数学の解法のみ。
そのノートを足早に閉じて、リュックに問題集と共に無造作に放り投げ、最後の赤本だけはきっちりと閉まって図書室を後にする。
▶第2章
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イヤホンから流れるお気に入りのアニソンと共に駐輪場に向かうが、その音楽を遮って聞こえてくる校舎の中で練習している吹奏楽部の演奏と外で試合をしている部活生たちの掛け声。
そして、自分が入っていたテニス部の方面からはラケットと球がぶつかり合って奏でる独特な演奏が不完全燃焼で終わった自分の心を泥沼へと誘いこんでくる。
元々、俺たちの代は中学生活のすべてをコロナによって奪われている世代だ。
つまり、中学時代で培うべきだった基礎力というものはまったくもってない。
だから、高校生になってようやくその基礎力を急いで備えようとしたんだ。
当然、そんな付け焼刃のスキルでは、部活で勝ち進むことなんてできるはずもなく、結果、何も残せないまま俺の部活生活は幕を閉じてしまった。
だからこそ、12月になった今でも切り替えることができないまま、ただ後輩たちの姿をみて嫉妬の念が抱いてしまう。
「あと一年。いや、半年くらいは高校生活させてくれないかなあ」
『いや、半年って、高校を留年でもする気かい?』
「いや、そういうわけじゃないんだけどなあ」
せっかく、自粛期間から解放されて自由になったというのに、自分の理想通りに全く事が進まない三年間だった。部活も初恋の恋愛も勉強も。
『理想が高すぎたんじゃないか?』
「それ、どういう意味?」
『たとえ、自由になったからって、いきなり高校総体で全国目指すとか、クラス一の美少女を初恋にしたり、どこかの旧帝大の医学科を唐突に目指そうとするのはさすがに理想高すぎだろ』
「うわあああ。それ以上はやめてよ!人生トップクラスに入るくらいの黒歴史なんだから」
『トップクラスって。どの部分だよ。多すぎだろお前のトップクラス』
コロナ時代、家族以外と会話さえもできない状況の中、退屈で死にそうな毎日の中で、心の中に現れた天使のような悪魔のような存在であるこの心友が唯一の救いだった。
でも今では、その救いは、一番痛いところを的確に突いてきては、痛めつけてくる悪魔になり下がっている。
そんな、問答を繰り返していると次第に、勉強への気持ちはなくなっていき、気が付けば教室のロッカーにおいてあったラケットを持って、自転車を走らせていた。
▶第3章
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学校を後にして、走らせた先にあるのは、四面のコートとその裏にある壁打ち場。
この壁打ち場が、俺にとっての憩いの場。
「久しぶりだなあ」
『久しぶりつっても、お前、一か月前にも来てただろ』
「一か月も前だろ」
『部活時代、そんな意欲的に練習してたか?』
「……うるせっ」
しばらく、心友と問答を続けながら返ってくる球を壁に向かって打ち込むこの時間。
自分が打った球と同じような球が返ってきては打ち続けるこの時間。
こんなにもテニスが楽しかったなんて、部活時代に感じてただろうか。
しかし、30分も続けていると自身の心の中に現れるのは、すっきりした快楽ではなく空虚の虚無心だけだった。
好きなテニスをやってるのに、なんだこの心。
いつの間にか、壁打ちは止まっており、壁にもかかるようにして、空を漂う数少ない雲を眺めるだけの時間。
「俺、何してるんだろう」
『まあ、そうやって虚無に浸るのもいいけど腹を満たしたらどうだ?お前、腹減ってると碌なこと考えないだろ』
「たしかにそうだね。けど、急にそんなご飯なんて」
『あるだろ。そこに』
そこは、部活時代。ここで壁打ちをした後によく通っていたカレー屋だった。
お節介だけど、なんでも話を聴いてくれるおばちゃんがやっているカレー屋は、どこか不思議な力があった。
「あそこ、まだやってるのかな」
『まあ、ここまで無駄な時間過ごしているんだ。そんなことは、行ってみてから考えればいいだろ』
「相変わらずひどいよね。言い方」
自分の心友に心を抉られながらも自転車を押してゆっくりとそのカレー屋へと足を運んでいると、少しずつ漂うカレーのにおいが鼻を通る。
すると、忘れていた空腹状態にある胃が悲鳴を上げてくる。
そして、頭がカレー一色になり、唯一の心配である財布事情を見てみると、千円札が一枚。
今日一日、勉強を全くしていないにもかかわらず、自分が彼らのカラオケを断ったのは、このためだったのかと思う程、カレーへの想いが高ぶり店の中に入る。
この店に来るのも半年ぶり。
けど、内装も全部あの頃のまま。
「いらっしゃい。あら柊人じゃん。久しぶり」
▶第4章
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奥のほうから、姿を現すおばちゃんは俺の姿を見るや否や、笑顔で手を振りながら俺の名前を叫んでくれた。
覚えてくれてたんだ。
それだけでも、この場所に来た甲斐があったと思ってしまう程、このアットホームな空間。
空虚な心が温かいこの空気で満たされ、心を膨らませてくれる。
「あ、久しぶりですおばちゃん」
「あんた、確か今受験でしょ?どうしたの?」
「あ、ちょっと」
悪くない。おばちゃんは悪くないんだ。けど、その<受験>という言葉が俺の膨らんだ心に針を刺してきたかのような気持ち。
沈黙の時間から気まずい空間が作り出されるが、おばちゃんにはそんな空間は通用しない。
「まあ、たまには息抜きも必要だからね。カレー食べるでしょ?いつものでいいかい?」
そういいながら、おばちゃんはカウンターでゆっくりとカレーを作り始めた。
そんな、おばちゃんの後ろ姿を見ていると、俺はついに耐えられなくなって言った。
「俺、正直言って、もう少し高校生活を楽しみたいんだよなあ。けどそういう考えが、他の奴らと差が出てしまってる気がして」
「そっかあ。どうして柊人は、まだ高校生活を送りたいんだい?」
「それは、だって。あいつらとまだ遊びたいというか、怖いんだ。頑張って、大学に行けたとして、またあいつらと会えるのか。新しい場所で生きていけるのか」
「なるほどねえ。じゃあ、人生の先輩であるおばちゃんが一ついいことを教えてあげる」
「いいことって……なんですか?」
「いいかい?今、友人と楽しめるのは今、その友人と同じ目線に居られるからなの。少しでも目線が変われば、どうしても人は疎遠になってしまうものなのよ」
「目線……ですか?」
「そう。たとえば、あなたなら高校や大学もそうだし、既婚者と独身だったり、働き方一つとっても、目線が変われば疎遠になっちゃうものなのよ」
「なんか……人間関係て」
「まあ、人間関係なんて単純てことよ。メリットがあるか無いか、その人といて疲れないかどうかというように、人間なんて所詮、自己中なのよ」
「なんか……身もふたもない話ですね」
「そうよ。そんな身も蓋もないことのために、人は頑張るのよ。だから、柊人も自己中になればいいのよ」
「自己中に?」
「そうよ。はい。できたよカレー」
昔と同じ味。
懐かしい味。
俺がやりたいこと。
正直、自己中になれと言われても。
しかし、今、自分がやりたいことなら。
さっさと、大学受験を終わらせて友人と遊びたい。
今度こそは、カラオケだろうと、旅行だろうとどこにでも行ってやる。
それが今の俺のやりたいこと。
「へえ。やる気、でてきたみたいね」
「はい。ちょっと、このまま勉強してもいいですか?」
執筆:西条寺猫
校正・編集:大窪(かすみの舎 塾長)
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かすみの舎は、全国の中高生にオンラインの個別指導を行う学習塾です。
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