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現実を突きつけられた目に大粒の涙を流した

 養護学校の見学後、その足で不登校解禁の息子のいる高校へ息子とのこれからについて、担任と養護教諭と私ら親子で、話し合う為に向かう。 
 
 久しぶりの学校の一日目の息子はどんな顔をしているか気になった。

 朝、学校の玄関先まで行くまでにもやっとだった息子はどういう顔をしているんだろう。
 
相談室の前で息子が見えた。

 今までにないくらい、明るい表情でいい顔をしていた。

 その顔を見るだけで私は嬉しくて涙が出そうになった。  

これからの方向性について話し合わなければ行けない現実

 私と息子、先生と4人で向き合って話し合いが始まる。 

担任が話を切り出す。

「10月末になってしまった今、長い間休んでしまったので、単位が足りず進級は難しい状況です。」

息子のさっきまでの表情が、一瞬で曇った。

担任は話を続ける。

「留年は来年以降生徒を募集しないので、新たに受験して一年生から他の学校でやり直しするか、就職するかになってしまいます。」

 数日前に息子が在学中の高校が、定員割れの為、2年後には廃校になることが決定したばかりだ。

 息子にはあらかじめ話して置いていたが、私の予想が的中し、息子はそれを受け入れられなかったのだ。

ショックも大きかったのだろう。

 頭では解っているつもりでも、こんなにもいとも簡単に学校に居られなくなるとは、想像もついていなかったに違いない。

 うつ病で、休養とることが必要だっただけに、相当悔しいだろうが普通学校の決まりになっているから、仕方がないのだ。

 私の正直な気持ちとしては、病気になりたくてなったわけでもないのだから、もう少し融通利かせて貰えないものなのか?

 そう思ってしまうのが親心だ。

 私がそうしてあげくても、どうしようもならない決まりになっている。

 学校に行きたくても行けなくて、病気が4ヶ月くらいで回復したのだ。

 何とか学校も進級できるようにできないものなのか。

 他にも同じように悔しい思いをして居たくても留年だったり、転校をする子供もいるのではないか?

 そういう子供達が戻れるような配慮はしてもらえないのだろうか。

 私は高校がこういうものなんだと改めて感じる。

 息子にこの高校に居させてあげたいという気持ちは、だれもが皆同じ気持ちである。

 それでも、どうしてもあげられないのが現実だ。

 不登校の最中も、担任は何度か家庭訪問をし息子の様子を見にきて、元気づけてくれていた。

 息子も担任の先生が若くて話しやすい、男の教師からか嬉しそうだった。

 「一緒に卒業させてあげたい」

 不登校になったばかりの頃に毎回のように、担任が息子にも私にも話していた言葉だ。

 担任からその言葉を今は聞くことが出来なくなってしまった。

 リミットが迫っているのだ。

本題に入る

 今の状況を息子に説明した上で
①このまま学校に来ることは出来るけど、来るだけで3月までは在学できるが、どうしようと考えているのか。
②いまの学校に居ながら次に行く学校をかんがえるのか。
③就職をするのか。

 担任が息子に問いかける。

 息子はしばらくうつむき、表情が徐々に暗くなっていく...担任に対しての返答もない。

 私の顔を見てとてもしんどそうな顔をしていた。

 「これからどうしたいのかな?」

担任がもう一度質問する。

 息子は顔を赤らめて涙がどんどん溢れてくる...。

自分の口からは伝えることが苦手な息子。

 多分こう考えてるんじゃないかと、息子に聞いた。

「寂しいの?同級生と一緒に学校生活送りたいの?」

息子は大きく頷いた。

 約4ヶ月ぶりの学校は、思ってた以上に楽しかっただけに、心残りになってしまったのだ。

 朝登校する前は、最初から同級生とは卒業できる可能性は低いけど、それでもいいから学校に行くと納得してくれていた。

 現実を突きつけられた息子は、何を話しても学校から離れたくないという気持ちが大きくなってしまっていた。

 「先生も9月の頭の時点で来るって言ってくれた時は、まだ間に合うと思ってたけど結局体調悪くて来れなかったから、体の事を考えると無理はさせられないと思ったし、それに先生もどうにかなるのなら、どうにかしてあげたい気持ちはあるけど、こればかりは学校の決まりだからどうにもならないだ。」

 息子に精一杯伝えてくれる担任がありがたかった。

 「この学校に居たい...。」

大粒の涙を流しながら話す息子。

このやりとりが何度かあって、話が解決せず又来週時間を設けて同じメンバーで話し合うことになった。

息子の本当の気持ち

家の帰り道、息子が話し出した。

「どうしてでも学校に行けるようにする」

 思いつめたら、ずっとその思いを曲げられない息子。

 こうなると厄介である。息子は自分1人で解決できるはずがないことも、絶対にそうさせようと思ってしまう執着心をもつことがある。

 悔しい気持ちも、寂しい気持ちも持てるようになった、それだけでも私は良い経験ができたのではないかと、これも1つの成長だ。

 高校が小~中学とは別で厳しさも身にしみたはずだ。

 この悔しさを経験したことによって、チャンスに変えるという気持ちになって欲しいのが、私の気持ちだ。

 息子には届かなかったが、いわゆる「失敗は成功の元」とはこういうことだ。

 私は息子ほどたくさんの失敗や辛い経験をした人を今まで見たことがない。

 産まれた時から心臓病を患い手術を4回、心臓には人口弁が入っている。

 小学3年生に発達障害の傾向ありと言われ、数々の誤解やトラブルを起こして特定の友達も居なくて、寂しい思いもしてきた。

 そして、高校になってからのうつ病。

 数え切れないほどの辛い経験をしてきたからこそ、他の経験したことのない子供には解らないことを沢山知っている。

 また辛いことが待っているかもしれない。

 心臓病の話は今までも周辺に伝えてきていたけど、ADHDの事は息子に打ち明けたのが小学高学年。

 中学に入学してからは、自分を押し殺して3年間過ごして来たのではないかと思うこともあった。

 もう自分を抑えて生きていかなくていいから、家族で話す時のいつもの面白い話をしてくれる息子をもっと外でも出せるようになれば、何かが変わるかもしれない。

息子にもそう話している。

これからのことを、どう考えていくかが課題だ。

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