身障と発達障害を抱える厭世男の戯言 障害者と努力 その2
タイトルを変えた。
だって、お酒が飲めなくなっちゃったから。
ついこの間かかりつけ医から精神的な不安定でお薬を出されたこともあり、その際、飲酒もやめてくださいといわれたこともあって、酒を断っている。
努力はしているが成人になってからの努力は学生に比べるとなかなかツライ。
まぁ、障害者は多々普通に生きてるだけでも常に努力の二文字を突きつけられているので、もう勘弁してって感じが強いのもある。
「泣き言はいうな、努力をすればお前でもなにかになれる!健常者に負けるな!」
障害者の方ならば聞いたことはあるかもしれないが断言したっていいが健常者に負けるに決まってる。
努力は誰かが見てくれていて、結果はどうあれ努力することが正しいというが、社会で重宝されるのは結果が伴う人間だ。それも最短の距離のほうがいい。健常者の場合はそれもできる。体力もあるし、手段はいくらでもある。ただ障害者、特に身体は努力の過程で力尽きるおそれのほうが多分にあるし、
無理をすると身体の負荷がすごすぎて働けなくなるそ、そも学校とかなら不登校に陥ってもおかしくないのだ。ちなみに私の場合は小学生のころは足の障害があるのに、マラソン大会に出場させられて、装具をつけながらのマラソンだったので足が血豆だらけになって、結果はもちろんビリだ。その時母はお子さんはえらいねぇ、足が悪いのにと皮肉にもとれる用や称賛に浮かれていたらしいが、その時は私は知るよしも、称賛を直接いわれるわけでもなく、ゴールしたと同時に保健室で割れた血豆の処置をされていた。当然周りに生徒なんておらず、孤独だった。
中学では体育の時間、武道の選択があり、柔道か剣道のどちらかを選ぶことになるのだが、そもそも片手が麻痺で使えないので帯や面具がつけられるわけない。教師に相談したところ。
「なんとかしなさい」
だった。意味がわからない。脳死でもしてたんだろうなぁ、あの教師は。
で、結局選ばされることになり、柔道だと投げられたりしたときあたりどころが悪いと体に支障がでるし、そもそも受け身がとれないということで剣道に決まった。まあ防具つけるからまだましかと思ったが防具なんて意味ないことをあとで知る。
最終的に剣道の防具なんて片手でつけられるわけもない。剣道部の人間に手伝ってもらうことになり、
試合にはでたが、一発目から小手を狙わられ、竹刀をもっている唯一使える右手に衝撃が走ってあわや、日常生活がおくれなくなるところだった。
障害者の特に身体を要する努力というのは常に綱渡りのような危険性がある。車イスに乗っていないから大丈夫だろうというわけにはいかない。それは健常者の思い込みだ。
たとえば、俺の場合ならば他人より片方の手を使う頻度がおおいので腱鞘炎になりやすかったり、重心がずれて体のバランスがおかしくなら、全身に倦怠感がでやすいというものを抱えている。
若い頃に無茶をさせられた(主に教育者に)結果、あまり身体が動かせず、働くのもやっとな身体になったわけだが。
全部が全部努力すれば障害を乗り越えられるなんて妄想だ。
違うって?
努力してパラリンピックにでてるやつもいる。
OK、いいことを教えてあげよう。
パラリンピックの出場権をとれる障害者はパラリンピックにでれる障害だったというだけだ。努力は障害者全員を救わない。
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