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軽井沢香澄
2019年12月14日 01:39
僕らはいつだって、ぼんやりとした硬さの石を頭に抱えながら、忘れたふりして生きている。偏頭痛の電流が、たしかにその不安が眠っている場所を教えてくれる。∴∴∴電脳半身浴∴∴∴いんたーねっと中毒者の君へこの世界は全部酸素不足で息苦しさに終わりはないこの海へおいでどうせなら甘い煙の中で溶けてしまおう むかしむかし、街には掲示板があった。電信柱があった。高架下に落書きがあった
2019年9月30日 03:13
昔住んでいた町の自転車で少し行ったところに大きな池のある公園があった中学にあがって僕は引っ越したから君と出会ったのはずいぶん後になるけれどどうしてか、一緒に歩いた思い出がある君の姿は高校生で出会ったばかりの少女の君でとびきりの笑顔で僕の横にいる遠い、古い写真のような温かい思い出本当の思い出も僕だけの思い出ももうどちらも手が届かないのだからそっと抱かせておくれあと少し
2019年7月24日 00:22
美しき哉愛ゆえに平原の草草は風に揺れ遥かヒマラヤの雪深き山々に我々の詩を運び聞かせる三つ束の矢よ我ら家族の結束を星々に刻めその愛に満ちた目鷹に似たりて美しき哉美しか哉決意ゆえに氏族の旗は風に揺れ遥かキエフの城にも我々の怒りを響かせる三つ束の矢よ我らの血を彼の大地に刻めその高貴なる爪鷹に似たりて美しき哉美しき哉希望ゆえに子は母の胸に揺れ遥か星の降る時までこの歌
2019年7月7日 16:32
私は何者で、どこから来て、どこへゆくのか。 待ちゆく人も同じである。どこから来て、どこへゆくのか、我々は徹底的に無知である。 しかしながら、私達は出会う。出会うとそこには事実が生まれ、事件が起こり、その時初めて我々は感じる。「生きているのだ、確かに、この時を。それだけは、疑いようのない…」 今朝の夢で新たに知ったことが2つあった。唇にあけた薄いピアスに触れた時の危うい愛おしさ。そし
2019年7月2日 02:00
恋は幻想であることは自明である。すべてのものが恋を経験し。その後に2つの解釈を得る。即ち、「幻想などいらない」「幻想でも構わない」だ。話はさらに愛へと飛ぶ。論点を先に言えば、ここで述べるのは恋と愛の違いである。それは、恋は幻想そのものであり、愛は幻想の“産物”であるという点だ。君は幻想を抱かされる。誰に?“誰かに”だ。親、兄弟、友人、クラスメイト、教師、同僚、価値のない創作物たちに。一人
2019年5月31日 22:19
我が主人よ三帰三礼をもってその御名に応えます三界への招福と光なき者共への許しをここに願います我らが主人よ固き誓いと日々の礼節をもってその祝福に応えます御名の下にある王国に招かれることをここに願います我らが主人よこの身この心は主人の為に心ばかりの安寧と慈悲をここに願います
2019年1月19日 00:40
私たちは言葉を使う。言葉で歓喜を発露し、言葉で嘆きを吐露する。言葉は唯一の神への道筋である。だが、言葉こそ私たちに打ち付けられた楔である。言葉は深い断絶を残して世界を切り取る。その断絶は言葉の中には二度として帰ってこない。私は言葉でないと君に何も伝えられない。でも、言葉のどこにも私はいない。追い求めるものいつもいつも淵へと転がってゆき、いつまで経っても拾い上げることができない。永遠に