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軽井沢香澄
2019年7月24日 00:22
美しき哉愛ゆえに平原の草草は風に揺れ遥かヒマラヤの雪深き山々に我々の詩を運び聞かせる三つ束の矢よ我ら家族の結束を星々に刻めその愛に満ちた目鷹に似たりて美しき哉美しか哉決意ゆえに氏族の旗は風に揺れ遥かキエフの城にも我々の怒りを響かせる三つ束の矢よ我らの血を彼の大地に刻めその高貴なる爪鷹に似たりて美しき哉美しき哉希望ゆえに子は母の胸に揺れ遥か星の降る時までこの歌
2019年7月7日 16:32
私は何者で、どこから来て、どこへゆくのか。 待ちゆく人も同じである。どこから来て、どこへゆくのか、我々は徹底的に無知である。 しかしながら、私達は出会う。出会うとそこには事実が生まれ、事件が起こり、その時初めて我々は感じる。「生きているのだ、確かに、この時を。それだけは、疑いようのない…」 今朝の夢で新たに知ったことが2つあった。唇にあけた薄いピアスに触れた時の危うい愛おしさ。そし
2019年7月2日 02:00
恋は幻想であることは自明である。すべてのものが恋を経験し。その後に2つの解釈を得る。即ち、「幻想などいらない」「幻想でも構わない」だ。話はさらに愛へと飛ぶ。論点を先に言えば、ここで述べるのは恋と愛の違いである。それは、恋は幻想そのものであり、愛は幻想の“産物”であるという点だ。君は幻想を抱かされる。誰に?“誰かに”だ。親、兄弟、友人、クラスメイト、教師、同僚、価値のない創作物たちに。一人