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破壊性。

時々悪魔に取り憑かれたようになる。身体が震えるくらい何に対しても怒りの感情が湧き出てきて全てを壊したくなる。自分でも怖い。人を傷つけてしまったことが何度もあるし、人間関係を壊してしまったこともある。
この気分の変調性と衝動性とは長く付き合っていかなければならないとわかったときから自分なりに向き合っているが、そんな努力が一瞬で泡になるような破壊力。

こういうときは一人で過ごすのが最も良い。誰かと関わるとさらにストレスが増えたり、他人に爆発させたらまた大切なものを失う。なるべく穏やかに穏やかに、、

はあ、疲れてしまう。一人で過ごすのが良いって言ってもバイトはあるし予定もある。しかもいつも笑顔をしている分、わたしが笑わなかったらその態度が気に食わないんだろう、やけにいつもより注意してくる人がいて正直余計ストレスだ。そしてそんな自分にもほとほと嫌気がさす。

わたしはどういうときにこの波が来るのだろう。毎回本当に急に何も楽しくなくなって、怒りが湧いてきて、世界が灰色に見えるのだ。目が死ぬし現実味がなくなって生きているのか死んでいるのか分からない。今日も、休みだったのに1日ぼーっとしていたら夜になって、思い出したかのように買い物に行ったら食へのスイッチが入って帰って速攻暴飲暴食した。この繰り返しだ、、これをコントロールできるときが来ることを想像できない。自分のことなのに制御できず周りにも影響を与えてしまうなんて、ただの子どもだ。

…ある意味子どもに戻りたくてなるのかもしれない。昔から寂しがり屋で劣等感が強かったわたしは周りの気を引くためなら割となんだってしていた。怒られるのが何より怖くて嘘をついたり、自分を大きく見せたり、1位を取って褒められようとしたり、誰よりも痩せようとしたり、自分から怪我をしにいったり。とにかく自分を見て欲しくて、特別にして欲しくて必死だった。

今はそんな幼少期も認めてこうやって書けるようになるくらいにはなったが、ストレスが溜まると防衛反応で退行してしまうのだろうか。衝動性は普段消化されていない欲求の爆発か。わたしが今この黒い渦巻を最小限にするべきことはなんだ、外に出ることか、自然に触れることか、本やテレビの世界に頑張って入ることか、無理やり眠ることか、好きに食べることか、あ〜わからない。

自分に優しく、と多くの本に書いてある。しかし、実際難しいことだ。憂鬱が続くときは全てがどうでもいい。最近人間関係全般も「優しさ」で関わるよりは「諦め」という気持ち。面倒だし、どうでもいい。理不尽なことでも飲み込んでしまう。

「諦め」の感情を持ったとき、大人になることを強要された気がした。大人になるって、我慢することか?諦めることができるようになることか?これ以外の子どもから大人への変化の定義が見つけられない、誰か「大人になるとは」どういうことか教えてほしい。

今わたしが何をすべきかだが、食べることが何よりも好きだが食べるためにまずお金がいるし、買い物に行く気力、食べたら止まらないため食べると買いに行くを繰り返す、そしてまた気分が落ちて、終わったら洗い物して片付けて、お金を無駄にしたと嘆いて。食べる一つにも、障害が多くある。
自分に優しくってなんなんだろう、長い間時間をかけて頑張って環境整えても内側から湧き出るそれが全て無意味にしてしまって、もう、だめ。楽にしてくれ、お願いだ

きっとこれは後から見返しても訳の分からない文だろう。今のありのままを書いた。
普通の人のように過ごそうと頑張らなくてもいい。とにかくこの嵐が去るまで人を傷つけずに、そして何より生きていたらいい。

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