「人の為」は誰の為?って思った話
うちの母親はリビングで寝ている。
年も年だし、トイレに近くて暖かい場所と言えばリビングだからだ。
昔は2階に部屋があったが階段の上り降りも危ないのでリビングに寝てる。
リビングとダイニングキッチンの境にアコーディオンカーテンがある。
夜寝る時はそれを閉めて寝る。
うちの母親はテレビが大好きなので寝るまで見ている。
結構遅くまで見ている方だと思う。
でも、若者も一緒に住んでいる。
遅くまで起きてる方ではある老人と若者ではやはり若者の方が寝るのは遅い。
夜中にキッチンに来る事もある。
「まぶしいし、うるさい。」
と言ってアコーディオンカーテンを閉める事にした経緯がある。
確かにそうだろう。
バイトから帰ってくれば0時近い事もあるのだから。
でも、共有スペースで寝てるんだから仕方ないのでは?とも思う。
今朝、私はお弁当作りの為に6時にキッチンに降りた。
母親はまだ寝ていた。
私はアコーディオンカーテンを開けずにお弁当作りを開始した。
その物音で母親が起きた。
「起きたら開ければいいのに。寒いでしょ?」
と言ってきた。
「二度寝したら眠い。もう一回寝る。」
と布団に戻った。
眩しいくてうるさいと言ってみたり、寒いんだから開けなさいと言ってみたり、毎度毎度発言に一貫性がない。
これはもうずっと昔からなので治らないと思っているので無視している。
私の事を想って「開けなさい」と言った事は分かる。
母親なりの優しさなんだろう。
でも、私は寝てる邪魔をしたくないので起きる前にとっとと終わらせて部屋に帰りたかった。
わざわざアコーディオンカーテンを開けて気を遣う位なら多少寒い方がよかった。
こういう小さなモヤモヤが毎日毎日たまっていく。
どこから湧いてきた?って思う埃みたいだと思う。
「人の事を考えて行動しなさい。」
そう言われて育って来た。
私なりにそうして来たつもりだったが何か違うようだ。
母親のいう「人の為」がよく分からない。
母親がリビングで一日を過ごす様になってから、誰もリビングに行かなくなった。
通る事や、何分か滞在する事はあるが家族団らんも無くなった。
これも皆が気を使っているからだと思う。
まぁ家族団らんごっこする必要もなくなり皆個人の時間を過ごしているだけの事だとも思う。
リビングは母親の部屋と言う認識になってきている。
前に子供に言われた事がある。
「ママ、あなたの為は大きなお世話だから。」
と。
「人の為」って誰の為?
結局は自分の為なのかも知れない。
私がアコーディオンカーテンを開けずにお弁当作りをしたのも、母親に気を使ってなんて体のいい事言って本当は
「気遣いも出来ないダメな奴」
と思われたくなかっただけなのかも知れない。
「自分が寒いの我慢してでも起こさないなんて出来た人間だ。」
と思いたかったのかも知れない。
そして「何してるの?」「何作ってるの?」っていちいち声かけられる事がうっとおしい。
いつでも行動を監視されている様で居心地が悪い。
未だに親の影響でモヤモヤ、イライラするなんて今ごろ反抗期に入った痛いおばさんだ。
私が求める「心地いい」を手に入れるにはまだまだ時間がかかりそうだ。
でも、必ず手に入れる。
それまでの記録。