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原田マハ 「生きるぼくら」を読んで。
現代を生きるぼくらに、御守りを授けてくれるような本でした。
辛いあとには良いことがある。待っているなら明るい方が良い。
読後は心がほっかほっかになる、祖父母との思い出が浮かんだ素敵な一冊。ぜひ、読んでみてくださいね。
二月三日、鬼は外、福は内。豆をまく。
厄を払い、良い年を過ごせるように福を願った。
枡の中にある残りを食べるのも楽しみの一つだと思う。
豆の味と口の水分を取られる感覚は、久しぶりに豆まきをしたからなのか、懐かしく感じた。
豆まきを終えてバイクで本屋に行き、美しい絵の表紙とあらすじに惹かれ、この本を手に取る。
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あらすじ
いじめから、ひきこもりとなった二十四歳の麻生人生。頼りだった母が突然いなくなった。残されていたのは、年賀状の束。その中に一枚だけ記憶にある名前があった。「もう一度会えますように。私の命が、あるうちに」マーサばあちゃんから? 人生は四年ぶりに外へ! 祖母のいる蓼科へ向かうと、予想を覆す状況が待っていたーー。人の温もりにふれ、米づくりから、大きく人生が変わっていく。
御守り① 故郷
表紙の絵画が美しい。
東山魁夷(1908-1999)。作品名「緑響く」。
モチーフとなった場所は蓼科高原(長野県)、御射鹿池(みしゃかいけ)。
標高1,500mの山の中にある池で、四季折々の自然を水面に映し出す。
この景色を撮りに、写真旅行に行きたい。その後は、長野県立美術館に収蔵されている「緑響く」を鑑賞する。美味しいご飯と温泉。贅沢な旅。
「御射鹿池」は、作中でマーサばあちゃん(以下、ばあちゃん)の大好きな場所として登場する。物語は蓼科を舞台に進んでいく。
読み進めていくと、祖父母に遊んでもらった記憶や庭先から家の中に漂う雰囲気、すき焼きや糠漬けの味、幼少期に帰りたくないと駄々をこねた記憶など、沸々と蘇ってきた。
玄関で迎えてくれる、祖父母の笑顔が大好きだった。自分が大人になった姿を見てもらうことは叶わなかったけど、祖母の名前は自分の名前にも入っている。
御守り② 出会い
麻生人生(以下、人生)は蓼科で素敵な出会いに恵まれ、感情豊かになっていく。
胸の底に残るトラウマ、目を背けたくなる事実。情けないと自分を責める。一番きついのは、「自分のせいだ」と一人でどこまでも抱えてしまうことだと思う。救いは、自分を肯定してくれる人がこの世界に少なからずいて、元気がない時や踏ん張りたい時、誰かを思い浮かべられることは恵まれていると思った。
御守り③ お米
『ね、あなたたち。ひと粒のお米には七人の神さまが住んでいる』って、聞いたことある?
ばあちゃんが、お米の大事さについての話を敷衍していく中で、心に沁みる言葉が綴られている。
ひと粒の中に七人の神様は、あなたの体の中に入って、元気つけてくれようと待っている。長い年月をかけて、ご先祖さまはたくさん苦労してお米を作り続けてきた。農民たちは、命を削って稲を育て、収穫してきた。だから、ひと粒たりとも無駄にはできないという思いが、お米に住む七人の神さまに託されていると。
お米と向き合い生長を助け、見守る作り手の思い。汗を流し、四季を通してやっとの想いで、豊穣の時を迎えられることの厳しさと恩恵が詰め込められた話だった。
人生は、ばあちゃんの田んぼでたくさんの人の手を借りながら、手塩をかけて米づくりに打ち込み、逞しく輝きを増していった。はまっていた携帯ゲームをプレイすることは無くなるぐらいに。
おにぎりはどうして美味しいのか知ってる?
それはね、人の手で握るからなのよ。
自分は幼少期に習い事でサッカーをしていて、母がいつも握ってくれたおにぎりを思い出した。時間が経っているから、海苔はしなしなだったけど最高にうまいデカいおにぎり。
お米に関わらず、人の手で作られる料理。誰かと一緒に向き合ってご飯を食べられることのあたたかさ。
帰る場所があること、人のあたたかさ、お米の大切さを改めて感じることができた、御守りのような本でした。
最後まで、読んでいただきありがとうございました。