名前を付けたのは赤の他人
めろです。
ふわっとしかXのTLは追えてませんが、赤ちゃんの名付けで盛り上がってて、元気だな~~と眺めています。
まあ親からしたら外野から口出されたくないよね。(30才 独身女性)
めろは自分の名前が好きではない。
そう自覚したのは小学校での「名前の由来について調べよう」学習である。
この字には~~の意味があって……みたいな話は、まあ、聞いた。
問題はその外の話だ。
前提として母親は、めろのおばあちゃんもとい、義母のことが苦手通り越して嫌いだった。
めろは幼稚園児の頃から愚痴も聞かされていたため、己にとっては普通に「おばあちゃん」であるのだが、家族として接することは出来なかった。
喋るときも常に敬語だったし、甘えることもできなかった(その代わりもう片方の祖父母にはかなり甘えさせて頂いた)。
めろの誕生にあたり、母親へ義母(めろ祖母)から、名付けについての話があったらしい。
「〇〇さんが名前つけるの上手いから頼みなさい」だそうだ。
〇〇さんは一応親戚らしい。
めろから見ると「父方の叔父(父の義兄)の父」にあたる。
もはや赤の他人だ。
母親も第一子だから断れなかったようだ(断りでもしたら嫁いびりが酷くなることも想像に難くない)。
その結果、送られてくる「名付けの上手い人」が作った名前リストの中から消去法で一番マシなものをめろの名前に選んだとのことだった。
なお、最初に送られてきたものの中には「トミエ」など到底平成には似つかわしくない前前前時代的なものも含まれており、流石にリテイクを依頼したそう。
※万が一「トミエ」と名前がつけられてしまったら、あまりにもシワシワネームなので改名していたと思う。
この話を聞いてしまった時期と、歳が離れた弟の誕生に立ち合ったのが割と近かったせいか、(姉の反省を生かし先手を打ってもらっていた)弟はちゃんと両親に名前を決めてもらったのにな……と羨望が強かったように思う。
こういうのも含めて、それ以来、自分の名前に大して思い入れがあまりなくなってしまった。
幼少期にありがちな「一人称を自分の名前にする」のもこのときから辞めた。
勿論聞いた名前の由来などすぐに忘れた。
沢山ある名前では無いので覚えてもらいやすかったり、人と被らない点においては使い勝手が良いなと思っている。
別にありきたりな名前でも良いので、両親につけてもらいたかった。
その気持ちだけは一生消えない。
何が正解かは決まってなどいないが、名付けでエゴを通そうとしている親戚の方々には自重して頂きたい。
ちなみに小学校中学年頃、従兄弟の家に泊まらせてもらったことがある。
最初で最後、己の名付け人と会った機会だった。
ただ、もうその人は認知症が進行していて、私は出会い頭に怒鳴られた記憶しかない。
こんな人に名前を(候補とはいえ)付けられたのかと子供ながらに絶望した。
人生。