脱〈叱る依存〉。マンガに出てくる学校がもっと素敵になったら!
先日参加した、ある「ふり返りセッション」で、自己肯定感の高い人と話をする機会がありました。
その人が、小学校時代の担任の先生が良い先生で、ホームルームでよく「その日のクラスメイトの行動のいいとこ探し」をして褒め合う時間を取ってくれたのだそうです。
私が「小学校の時と言えば、宿題を忘れたら立たされたことをよく覚えてる」と話したところ、「ドラえもんみたい!」と。
ただ、「廊下に立っとれー!」という名物シーンは、今では体罰にあたるとして放送されていないそうです。
廊下に立たせるような体罰がなくなったとしても、のび太の担任の先生が、のび太の日々の変化に注目し、成長した点を褒めるようなシーンは今のところなさそうだな、と思いました。
バレーボールアニメから体罰がなくなった
さて、今はパリオリンピックを間近に控え、バレーボール中継が人気です。
同時に、バレーボール名作アニメの「ハイキュー!」も人気上昇中です。
烏野高校排球部の澤村大地キャプテンは、理想のリーダーとして語られることが多いキャラクター。
最初は問題児だった主人公の日向・影山が、チームで動けるようになるまで入部を認めないといった厳しさを持っている一方で、チームが力を発揮すること最重視で、部員一人ひとりの良さを認めて声をかける。
指導者不在だった間は、選手にしてコーチの役割を果たして、作戦を立てたり指示を出したり。プレイヤーとしても圧倒的な練習量で、派手さはなくてもレシーバーとして勝利に貢献し続けます。
「先輩の言うことは絶対」だった運動部のカルチャーに変革が起き始めていることを象徴するような人物です。
一方、現在でもバレーボールアニメ人気ランキングに入っている「アタックNo.1」の場合はどうでしょうか?
バレー部監督の本郷先生の部員のしごきぶりは凄く、主人公の鮎原こずえが激しい練習に耐えかねて倒れても、ボールを投げつける姿が描かれていました。
1964年東京オリンピックで女子バレーが金メダルを取った際、鬼コーチによるスパルタ指導が成功したと語られ、日本の運動部が長らく「しごき=体罰」を肯定する背景となってしまったようです。
部活に根強い〈叱る依存〉のメカニズム
臨床心理士・公認心理師の村中直人先生が書かれた『〈叱る依存〉がとまらない』の中では、体罰や言葉の暴力による部活指導の危険性が詳しく解説されていました。
権力や処罰で従わせる指導法は、一見統制が取れ、短期間で効果が出るように見えるので、先生・上司・親などにとって楽な手段となってしまう。
本当は「生徒のため」にはなっていないのに、暴力をふるうことが「熱血」さの象徴であるような錯覚を生じ、先生自身に生ずる快感が癖になってしまうと叱らずにはいられなくなり、その程度もどんどんエスカレートしていくのです。
しかも周りの人たちの間にも、従わない人は制裁を受けて当然だという同調圧力が生じ、知らず知らずのうちに「叱ること」の肯定に加担していくことになるというのです。
現在でも、部活で酷い体罰を受け、命を絶つ生徒もいます。
最悪の結果にはならなくても、不条理なできごとが続くと、「自分は常に叱られ役だ」と自己肯定感が弱っていくことになります。
この本の中では、部活から教育を変えていくべきだという主張に重きが置かれていました。
マンガ・アニメで部活を疑似体験する生徒たちに向けて
実際に運動部に入らない生徒たちにとっては、好きなスポーツの部活を描いたマンガ・アニメが疑似体験の場になっていると思います。
アタックNo.1を見続けた人は暴力的指導を受けないと強くなれないんだ、先生は絶対的権限を持って当然という感情を刷り込まれることになるでしょうし、ハイキュー!を見続けた人は、どんな問題児でもありのままの良さを認められお互いに肯定し合えば、指数関数的なケミストリーが生まれることを実感できるでしょう。
一方で、ケガのリスクを減らすためにも科学的トレーニングを導入して練習時間を減らしたほうが良いという議論も出始めています。
朝練をして、夜遅くまで練習して、休みも返上という学校ばかりでなく、練習時間が少ないのに超集中して頭角を現す文武両道校がインターハイに登場する、なんてエピソードも出てくれば素敵だと思います。
ほとんどのマンガ・アニメでは、学校の先生が退屈な授業をする、よく叱るといった描かれ方をしている気がします。
ホームルームで「クラスメイトの行動のいいとこ探し」をするようなシーンが描かれ、多くの生徒たちが、行きたくなる学校を疑似体験できるようになればと思いました。