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フットボールな日々。 ぼくの頭の中

頭の中どうなってるの?

普段なに考えてるの?

最近よく聞かれるので、できるだけ考えていることをそのままにまとめてみます。

内容にもあるように、基本サッカーのことやし、別のことでもサッカーに結びついていきます。

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5ヶ月ぶりくらいにちゃんとサッカーやってるのでね、身体は楽しながら、代わりに頭を使うことを意識してやってみてます。

最近というか、今週から思いついて始めたのが「鷹の目ゲーム」。

ピッチを横から平面で見るのではなく、まるで上空を飛ぶ鷹の目を通して全体を見渡すかのように捉える遊びです。

実際に視覚で捉えた情報を頭の中で回転させる(心理学的には心的回転というそうです)能力らしいですが、この練習として、自身を含めた周辺地図を頭に描きながらプレーしてみています。

実際にやるのはもちろん難しいので、規模感も小さく、地図というよりはまだヒートマップというか、分布図というか。

全体のどこらへんに人が集中して、どこに大きなスペースがあるかのような認識が精一杯で、ゲーム形式の中では地図づくりの意識そのものが途切れることの方が多いです。

身体とプレー感覚がマッチする時は、後ろを見なくても感覚で相手の状態が視える時があるのですが、それ以外の時の背中側の認知はポンコツ。

身体の調子があがってしまうと、理論化の前にまた感覚に頼ってしまうのは散々と繰り返してきたので、今がチャンスと思って始めてみました。

これが大体この1週間のハイライト。

実際にやってみる中でも気付きがあったのですが、ひょんなことをきっかけにブレイクスルーが起きた気がします。

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最近は人に対してキレるということがほぼなかったのですが、昨日久々に我慢できないことがありました。

こういう時は無理にどうにかしようとしても上手くいかないもので、とりあえず自分の世界からシャットアウトすることにしました。

シャットアウトをすると、存在そのものは知覚しつつも、自分の周りに真っ黒で分厚い壁ができるので心の波が穏やかになります。

それでもなかなか整理ができずに、ずっともやもやするので、明日の自分に任せようと思って早々に寝ることにしました。

おかげさまで?10時間も寝れました。

スッキリした頭で冷静になって振り返ると、この真っ黒い感覚には妙に心当たりがあります。

心当たりについてよくよく考えると、ピッチ上でたまに、無意識的に感じているものであることに気付きます。

例えば、苦手な背中側の認知。

認知の改善として、夜寝る前にイメージトレーニングをすることが日課ですが、普段自分が見えていない/見ていないエリアはイメージの中では真っ黒にしか映りません。

そして、これは身体とゲーム感覚があまりよくない時、周辺察知が上手くできていない時に包まれる感覚そのものでもあります。(単純に練習場が暗すぎる可能性もありますが)

もう少し深堀りしてみると、昨日キレてしまってからの行動は意図的にシャットアウトしたものですが、プレー中は自らを閉じようとしているわけではありません。

おそらくはその対象を必要としない思考に共通点があるのだろうと考えました。

つまり認知することでどう活かせるかがわかっていない、または認知する必要性が発生するプレーイメージを持てていないことのどちらかなのだろうと。

ここまで考えて、日課のお散歩へいきます。

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いつものお散歩コースで公園に立ち寄り、ぷらぷらとブランコに乗っていたとき。

ふと、前に進むの飽きたなと、目の前の1本道を後ろ向きでも歩いてみようと思いました。

実際に歩きながら、前に進むときと同じように後ろに進むことに気持ち悪さを感じ、しっくりくるように身体の状態を合わせてみました。

すると、身体の前側では鳥がうるさく鳴いてたのが少し小さくなり、反対に背面側のバスケットコートで子供たちが遊んでる声が大きくなったことに気付きます。

不思議に感じて、最初の歩き方に戻すと、鳥の声がまたうるさくなります。

身体の状態で、どの位置情報(視覚に留まらす)をどの程度拾うのかが変わるのだなと思いました。

ものは試しにと、そのままFWの位置で自陣側にいる味方からパスを受けるシーンをイメージしながら実際に動いてみることに。

最初はまず、いつものように、前へ進む際の身体の状態のままで試してみます。

こちらはいつも通りで、全体の動作がぎこちなく、意図的に首を振ろうとしてもそもそも可動域がでません。

次は本命の後ろ歩きでしっくりくる方法に変えてみると、下がりながら反転して前を向く動作がスムーズなばかりか、首も無意識に振っています。

進行方向と逆側にある物を見ながら進むのが苦手ですが、このやり方であれば比較的に楽にできる。(後方のパサーを見ながら、身体はゴールに向けて走るイメージ)

おおっと思ったのですが、一つだけ引っかかったのは、自然に首振りはできていても視覚情報が頭に入っている感覚がなかったことです。

おそらくこれは散歩前に整理したように、なにをなぜ見るべきかの情報が欠けていることが理由だと考えました。

実験していたのは誰もいない一本道で、なにも障害はなく、しばらく安心して進めることがわかっていた状態でした。

少しだけ実践に近づけるために、次はあえて壁や縁石にぶつかるように、今度は道を斜めに下がりながら試してみることにしました。

手順としてはまず、後ろ歩きの感覚をつくりながら、ふらふらと周りの状況を確認しておく。

例えば、左斜め後ろに進めば身体の左側に植木が、右斜め後方方向には身体の右側に側溝があるため、それぞれの方向に進む際にはそれらが障害となる可能性が出てきます。

この考えを前もって頭に入れておいて、いざ動作スピードをグッと上げて反転してみます。

すると、今度は自然な首振りとともに植木や縁石に視点を合わせて、その視覚イメージもきちんと頭に入ってくるのです。

つまり、ピッチ上でも、プレーの目的を明確にした上で、障害になりそうなもの、逆に助けになりそうなものをあらかじめ観察しておけば、あとはある程度自動化して動いてくれるのではないかという仮説が立ちます。

あらかじめ情報を頭に入れておくというのは今週テーマとしていた「鷹の目ゲーム」や脳内マッピング(地図づくり)そのものです。

これはチーム練習時にとにかく実践することで、頭の中でイメージを回転させる能力を徹底的に鍛えます。

そして、もう一つの鍵となるのが正しく視点を合わせるために、まずは言葉でプレーを整理することです。

例えば、背中側が真っ黒になりやすい場面として、ゴールを目指すためというよりは味方のビルドアップの逃げ道として、とにかくまずはコースに顔を出そうという考えの時が多いです。

このような状況一つをとっても、もしどうしても自分が顔を出さなければならないのか、または他の誰かに任せて、自分はよりゴールに近いところに残れるのか。

また、それぞれの選択の先では、なにが障害となり、なにが助けとなりそうなのか。

このようなことをもっと細かく整理しておけば、瞬間のスポーツであるサッカーのピッチ上での視覚的・認知的負荷を減らしてよりスムーズに動けるようになる可能性が考えられます。

脳神経とか、脳科学とか、詳しいことはあまりわかりませんが、結局はなんのために必要なことなのかをきちんと理解さえできていれば、ある程度の自動化ができるのが人間だと思っています。

これは普段の経験からも感じていたことではありますが、今日の実験でも少しは実証できたように思います。

あとはとにかくやりまくって、そこから得たデータをもとに軌道修正しつつ、また実験。

とりあえず、これがいまの段階で考えているぼく流の「身体と脳の調和」であり、ここに本来の身体の調子と感覚が戻ってきたら、一体どんな世界が視えるんやろうね。

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というところまで考えて、今日はチームのアウェー戦やったので考える人は終わりました。

タイトルにあるフットボールな日々とは、ぼくにとってのフットボールとはサッカー × 人生の化学反応だから。

いままでもサッカーをすることでどう社会に還元するかを考えるために自分史のような歴史や哲学的な観点からずっと考えることはあった。

その思考はいまもぼくの土台を築いているけど、最近はもうちょっと自分のパフォーマンスに繋がるように、普段の生活から自然とピッチで活かせる発想が沸くようになってきた。

ちょっといつもと違う感じで書けそうやったので、このタイミングでトライしてみた記事でした。

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