「ぼくはぼく」の主張
ぼくのアメリカのお母さん、エリースは大学の教授。日本でも選手/コーチとしての両方の経験を持ち、いまもたまに日本に訪れては、日本女子サッカーに精通した人たちを訪れ、様々なリサーチを行っている。ぼくなんかより、よっぽど日本女子サッカーのこれまでや現状を把握している人だ。
そんなエリースとの会話は、スポーツとジェンダーに絡んだトピックが多い。大学時代に戻って講義を受けている気持ちになり、話すたびに自分自身を省みる。今回のzoomでの会話もその例に漏れず、いまもこうして記事を書いている。声をあげることの重要性というか、まずは自分が一歩踏み込んでみよう。これが今日のテーマ。
以前も発信したことがあるが、ぼくは女性らしい格好というのが苦手だ。幼い頃、弟と比較して「お姉ちゃんだから、女の子だから」という言葉に納得がいかず、よく泣きながら逆らった。見た目の部分でも、少しでも女の子らしさから離れてやろう。いま考えれば、当時のぼくにできる必死の抵抗だったのだと思う。
同時に、「いつかこどもを産んで、お母さんになって」というような類の話も苦手だった。いや、苦手を通り越して、気持ち悪さすら覚えた。枠にはめ込まれることへの違和感なのか、なんなのか。理由なんてわからないけど、その言葉が耳に入ると無性にイライラし、でもその感情をどう表現すればいいかわからなかった。
とまあ、文字にしてみるとめちゃくちゃ重い空気を感じるが、実際はそうでもない。年齢を重ねる段階で、楽な方に流れようとして髪を伸ばしてみたり、スポンサー営業での色目発言を受けて今度はバッサリ切ってみたり。あちこちとフラフラしたおかげで、いまは自分らしく、自然体で生きらている。
元々悩み事が続かない性格な上に、情熱を持って課題解決に取り組んでいるかっこいい人たちを知っている。そして何より、日本女子サッカー界に関して言えば、ぼくみたいな人間が自然体で生きられる環境がある。この点に関しては、アメリカ、ドイツのどこよりも心が落ち着く。だからこそ、こういった経験をわざわざ記事にする必要性を感じてこなかった。
お母さん的存在でもあるエリースにすら初めて、なんとなくの話の流れでこの背景を語ってみた。一通りを聴き終えたエリースは、肯定も否定もすることなく、最近WEリーグ関係者と話したという、ジェンダー関連課題や、選手が実際に抱えている悩みなどを話し始めた。真っ直ぐぼくの目を見て。
会話の内容が、男女間での賃金格差の話となった。「サポーターのような周りの存在が議論することがあっても、当事者であるアスリート自身が課題意識を持って表立つことが少ないことが課題だ」というところまで述べて、その言葉は特大ブーメランとなって自身に返ってきた。
そこまでわかっているのに、なぜ自分のことだけは棚にあげてなにも言わないのだろう。今までは必要ないとさえ感じていたものが、そう考える自身に合点がいかなくなった。だから今こうして、パソコンのスクリーンと向き合っている。
自分の中では腑に落ちているからか、OPTのポップアップで自分にとってのWAGAMAMAを問われたとき、「ぼくはぼく」って自然と浮かんできた。
あまりよい思いを抱かない人がいることも知ってるけど、自分の人生だから自分で決めるし、その代わりに周りのことも同じくらい大事にする。これが「ぼくはぼく」の主張。
今のところは「ぼく」がしっくりきてるけど、別に男になりたいわけではないと思う(邪魔だから胸はいらないけど。笑)男子サッカーではなく、女子サッカーだったからこそ出会えた人、経験、価値観があって、そんな人生だからこそ性別とか関係なく「ぼくはぼく」って思える。
言葉にするということは大きな力を持っていて、パブリックにしなくても、誰かに話すだけで胸の突っかかりがスッキリすることもある。自分だけでなく、もしかしたら別の誰かの勇気に繋がるかもしれないし、そうして集まる一つ一つの言葉や声が、社会を動かすもっと大きなエネルギーとなる。
次回にはまた仕事モードの「私」に戻ると思うけど、根幹は変わらず、ぼくらしく。
全部通ってきて、いまがある。
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