おばあちゃんの味+おばあちゃんのにおい|怪談未満|三好愛
おばあちゃんの味
飛行機の国内線でコンソメスープを飲むたび、祖母が死んだときのことを思い出します。
父方の祖母が死んだとき、私は七歳くらいでした。四国にあった祖母宅には、行ったことも数えるほどしかなくて、お葬式のためはるばる東京からやってきたものの、お通夜前の、畳の部屋に安置された祖母の遺体を前にして、寂しいとか悲しいとかそういうことを思うべきなのかどうかもよくわからなくて、ぼんやりと、両親の隣で正座をして座っていました。
しばらくして、玄関の引き戸がガラガラと鳴って、いとこの大学生のお姉さんが帰ってきました。お姉さんは関東のほうの大学に通ってたんだけど、大学生になるまでは祖母宅でほかの家族と一緒に祖母とずっと暮らしていたから、祖母が死んだお知らせを聞いて急いで飛行機で帰ってきたみたいで、「おばあちゃん」と祖母のそばに来るなり泣き崩れました。
私はまだぼんやりとしていて、いとこのお姉さんを見ながら、ああこれが人が死んだときの悲しみ方なんだ、と思い、まだうまく悲しむことができない自分を、うしろめたく思い、ますます身を固くして、いとこのお姉さんをじっと見守っていました。お姉さんは「おばあちゃん、おばあちゃん」と泣きじゃくっていて、心配したお姉さんのお母さんが、「だいじょうぶ? なにも食べてないでしょ、なんか食べる?」と声をかけてあげていて、するとお姉さんは「うん、大丈夫、飛行機でずっと泣いていたら乗務員さんがスープくれて、おいしかった」と言っていて、私は死ぬっていうことが、ずっと一緒にいた人が、自分の前から消えるっていうことが、まだ全然よくわからないままだったんだけど、飛行機で泣きながら飲むあたたかなスープはとてもおいしそうだなあ、と、そのときだけ、なんか心が動いたというか、とてもうらやましく思いました。
だから、それ以来、飛行機で飲むスープって、なんとなく私の中で死が結びついていて、でもだから死が、そんな悪いものではなくて、なんだかあたたかくておいしいもののような気がちょっとだけしています。
おばあちゃんのにおい
母方の祖父母の家は横浜の元町に古くからある瀟洒なマンションで、小さな頃からわりと大きくなるまで、父の運転する車に乗って、よく遊びに行きました。今思えば東京から横浜なんて、たいした距離ではないはずなのに、祖父母宅へ向かうのは、どこか遠い知らない土地へ向かうような気持ちがしました。
車でマンションにある半地下の駐車場に到着すると、それがたとえ昼であっても夜であっても、駐車場はいつも夜中みたいな暗さと静けさで、いつだって決まって誰もいなくて、でも車はたくさん停まっていて、私たちが車から降り、車たちのあいだをぬって、ぼうっと明かりが透けてるガラスの扉にたどり着けば、そこはマンションの一階の廊下につながっていました。マンションの廊下は、ひやりと冷たく、私たち以外はやっぱり誰もいなくて、つるつるとした廊下を歩くと、足音はそこら中にこだまし、私たちは廊下の突き当たりにあるせまいエレベーターに乗り込みます。エレベーターで五階に着いて、ドアが開き、目の前の部屋のドアのインターホンをピンポンと押すと「はいはーい」と甲高くはずんだ声の祖母が顔を出しました。
部屋に上がると、祖母は決まってまず私に、皮をきれいにむいたグレープフルーツに白砂糖をかけたものを振る舞いました。祖父が貿易商だったその家には、マリー・ローランサンの複製画がかかっていて、机や椅子は全部猫脚みたいになっていて、グレープフルーツが入ったガラスの器も銀のフォークも、徹底してデコラティブで、見たことのない不思議な暖房器具が置いてありました。普段の私の生活からすれば外国みたいなその家は、部屋にたどりつくまでの駐車場や廊下の雰囲気とあいまって、足を踏み入れるたびにわくわくする場所でした。
祖父母宅へ訪問するときの、気持ちの期待値が最高潮に達するときは、やはりエレベーターであったように思います。独特のにおいがあったそのエレベーターに乗り込むと、ここから先は祖父母宅だと、より気持ちがたかまりました。ずいぶん経って祖父が死に、それからまたずいぶん経って祖母が死に、誰もいなくなったその部屋を、大人になった私が最後に片付けにいったときもこのエレベーターに乗りました。もうあれに乗ることはありませんが、あのエレベーターのにおいは、私にとってたったひとつのにおいで、これはおばあちゃんのにおいだから大切にしていかなくちゃ、とずっと思っていました。
それからまた数年経って、私は、打ち合わせのため、築年数の古い少しレトロなビルに、仕事相手の人と訪れていました。そのビルのエレベーターに乗ったとき、驚いたことに、においがまったく、祖母のマンションのエレベーターのにおいだったんです。これ、おばあちゃんのにおいです! 私は思わず仕事相手の人に言いました。脳内に蘇るおばあちゃんの「はいはーい」という高い声。なつかしさのあまり、私はエレベーター内の空気を深く深く吸いました。最後にマンションに行ったときからだから何年ぶりだろう、と思いました。記憶を嗅覚方面から探りました。
ただ、仕事相手の人は、私の妙な様子など特に気にかけず、「いやこれ、あれですねカビのにおいですね」と言いました。え! と聞き返しましたが、「この独特のにおいはカビですよ」とハキハキと教えてくれました。にわかには信じられませんでしたが、確かに、このビルもそうだし、おばあちゃんのマンションも通気性が悪くて、湿っぽい感じがすごくしました。廊下の、あのやたらひやりとした雰囲気も、妙に合点がいきました。私は、そうかあ、おばあちゃんのにおい、カビのにおいだったのかあ、とあらためて思いました。カビのにおいをおばあちゃんに結びつけておくのも悪いなあ、と思い、私は潔くその場で思い出とにおいを切り離しました。