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バンクーバー編⑩ 私には妻がいるよ|虹はいまだ旅の途上——李琴峰のクィア的紀行
「デイビー・ビレッジなんて中高年の白人シスゲイばっかりで、私はあまり用がないかな」
フォークでプーティンを口へ運びながら、Joyさんはこともなげに言った。
「やっぱりそうか」
私は苦笑しながら相槌を打った。カストロといい、ウェスト・ハリウッドといい、この手の歴史あるゲイタウンは有名になるとお金持ちのゲイ男性が引っ越してきて、それにつれて地価と家賃が上がり、お金のないレズビアンやトランスや有色人種が住めなくなるものだと相場が決まっている。もはやお約束のようなものだ。これが資本主義に基づくピンク・エコノミーの限界である。
ギャスタウンのアイリッシュパブで、私はJoyさんと夕食をともにしている。店内の壁は赤レンガが剥き出しになっていてこじゃれた雰囲気を演出し、テラス席は無数のランプが吊るしてあって幻想的なムードを醸し出す。あと数日でアイルランドの「聖パトリックの祝日」なので、店外ではアイルランドの国花であるシャムロックの緑の三つ葉の描かれた国旗を掲げ、店内でも窓や壁が緑の三つ葉のステッカーで飾りつけられている。Joyさんのおススメで、私たちは代表的なカナダ料理「プーティン」を頼んだ。聞いたことのない料理だが、まあ要するにフライドポテトにソースをかけたようなものだ。
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食事しながら、Joyさんはサンフランシスコのクィアコミュニティの事情を教えてくれた。サンフランシスコでは過去にレズビアンの店が何軒かあったが、コロナ禍でほとんど閉店した。そんな中で月に1回、店を借りてレズビアンイベントを開催している女性がいて、彼女を応援してイベントを存続させるために、コミュニティの人たちはかなり積極的に参加しているという。それでもサンフランシスコには巨大IT企業があまりにも集中しすぎているので、物価も家賃も並みのクィアに負担できるものではなくなり、そのため、クィアの人々はどんどん外へ出ていき、オークランドなど近隣の街へ移ったという。結局のところ、いくらサンフランシスコがクィアの歴史にとって大事な都市(1966年にトランスの人たちが警察の暴力に抵抗した「コンプトンズ・カフェテリアの反乱」はサンフランシスコで起きたし、1978年に保守派に銃で殺されたゲイの政治家ハーヴェイ・ミルクもサンフランシスコの市議会議員)だったとしても、資本主義の波には勝てない。
かくいうJoyさんもIT企業に勤める一員である。だから彼女はクィアの仲間に仕事について話す時、罪悪感を覚えることがあると述懐する。自分もそんな資本主義の横暴さに加担する一員なのだと。
「でも、生きる上でお金は実際大事だからね」
彼女を慰めるためではないが、私は自分の考えを言った。「どんな仕事にどれくらいの価値づけがされるのかも、結局は時代の流れ次第。現実的に資本主義には抗えないので、その違和感を大事にしつつ、なんとか折り合いをつけていくしかないんじゃないかな」
「私もそう思う」Joyさんは頷いた。「システムを使ってこそ、システムを変えられるというのも事実」
彼女はトランス女性の活動家の友人の話をしてくれた。その友人は本の出版を含め色々な社会運動をしているが、そんなことができるのもIT企業に勤めていて、金銭的に余裕があるからだという。
夕食の後、JoyさんはUberを呼び、「The Birdhouse」という場所に連れていってくれた。Joyさんによれば、そこはアートスペース兼イベントスペースで、時々レズビアンイベントも開催しているらしい。そうじゃなくとも毎晩何かしらやっているので、とにかく行ってみるといいという。
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しかし実際に着いてみると、何もやっていなかった。駐車場のようなだだっ広い屋外の空間はまったく人影がなかった。微かな明かりを頼りに壁一面に色とりどりの絵が描かれているのが分かるが、どこか遠い過去に忘れ去られた荒れ地のような寂れた雰囲気すら漂う。明らかに何のイベントもやっていないし、これから何かのイベントが始まるとも思えない。
「ああ、なんてこった!」
と、Joyさんは申し訳なさそうな表情で嘆いた。「本当に私って最低のホストだね」
「気にしないで」私は彼女を慰めた。
それで、私たちはまたすぐUberを呼び、とんぼ返りしてダウンタウンへ戻った。デイビー・ビレッジでショーをやっているゲイバー[1]を見つけ、そこに入った。Uberの料金もゲイバーの入場料も全部Joyさんが払ってくれた。その気前のよさには感謝しかない。ちなみに、ゲイバーに入る前にパスポートをチェックされただけでなく、何かの機械でスキャンして保存され、顔写真まで撮られた。日本のゲイバーでは考えられないことだ。北米のデジタル監視社会化は留まるところを知らない。
ゲイバーは2階建てで、どちらにもバーカウンターがあった。飲み物を頼もうとJoyさんは1階のカウンターの列に並んだが、バーテンダーがグズグズしていていつまでも待たされた。待ちたくないのでドリンクなしで2階に上がり、Joyさんはそこでお酒を頼んだ。私は1日歩き回ったせいで疲れが溜まっており、あまり飲む気分じゃないので頼まないことにした。列に並んでいる時、後ろの男性の二人組が話しかけてきたので、Joyさんもそれに応じてしばらく陽気な雑談を繰り広げた。会話の内容はあまり聞き取れなかったが、彼女が私について「コトミは日本では有名人だよ! 自分のウィキペディアページを持っているくらい!」と紹介したところだけは聞き取れて、恥ずかしかった。
しばらくすると、ドラァグショーが始まった。何人かのドラァグクイーンがフロア前方のステージに出てパフォーマンスをしたが、見たところ、アジア系のクイーンが多いイメージ。パフォーマンス自体は可もなく不可もなくという感じだが、一つだけ印象に残った出来事があった。文脈は聞き取れないが、クイーンの一人がMCの時、観客にこう訊いた。
「皆さんはもちろん妻なんていないよね? 妻がいる人いないよね?」
その時、Joyさんは手を挙げて大きな声で答えた。「私には妻がいるよ!」
そのクイーンは一瞬戸惑いを見せたが、観客の中からJoyさんを探し当てると、
「ああ、そうだね、あなたはもちろん妻がいるでしょうね」
と、パフォーマンス用の笑いを湛えながら応答した。
短い出来事だったが、多くのことを物語っているように思えた。クイーンの「妻がいる人いないよね」という発言は、観客が全員ゲイ男性であると仮定した上で、「ここにヘテロの人はいないよね?」という趣旨のものだった(実際、私とJoyさん以外に女性客はいなかった)。それに対し、Joyさんの「私には妻がいるよ」という発言は、「レズビアンの存在を忘れないで」という意思表示のように、私には思われた。
Joyさんの言う通り、やはりデイビー・ビレッジはゲイ男性中心の街だ。
ショーが一通り終わった時には夜10時を過ぎていた。夜はこれからだという雰囲気だが、さすがに疲れたのでここでお開きにした。優しいJoyさんは地下鉄駅まで送ってくれた。
(つづく)
[1] ここでは便宜上ゲイバーと書いたが、英語の店名にはcabaretとついているので実際にはゲイに限らず、誰でも入れるナイトクラブである。そもそも英語の「gay」はゲイ男性のみならず、同性愛者全般またはLGBTQ+全般を指すこともある言葉である。
連載概要
「クィアという言葉を引き受けることによって、私は様々な国のクィアたちに、さらには現在にとどまらず、過去や未来のクィアたちにも接続しようとしている」——世界規模の波となって襲いくるバックラッシュに抗うために、芥川賞作家・李琴峰が「文脈を繋ぎ直す」旅に出る。バンクーバー、ソウル、チューリッヒ、アムステルダム、各地をめぐった2024年の記録。
著者略歴
李琴峰(り・ことみ)
1989年、台湾生まれ。作家・日中翻訳者。2013年来日、17年『独り舞』で第60回群像新人文学賞優秀作を受賞し、デビュー。『五つ数えれば三日月が』で第161回芥川賞・第41回野間文芸新人賞候補、『ポラリスが降り注ぐ夜』で第71回芸術選奨新人賞受賞、『彼岸花が咲く島』で第34回三島由紀夫賞候補・第165回芥川賞受賞。他の著書に『星月夜』『生を祝う』『観音様の環』『肉を脱ぐ』『言霊の幸う国で』がある。