見出し画像

神宮外苑の再開発|まちは言葉でできている|西本千尋

 自由な場所だ。何もしなくてもいい。何者でなくてもいい。よき母であれ、よき働き手であれと要求を強める絆や帰属は時に重たいけれど、ここにいるとそこから解放される気がした。好きなときにアポなしで出向き、ただ居ることが許された。入り口も出口もない。目的を持たずに行ってもいい。消費者でもなく、利用者でもなく。そこでは「過去」にもちゃんと居場所が与えられている。改変されるばかりではなく、作り、守られてきた世界がある。自分の人生の長さを超えて昔からそこにあるものに囲まれると、安心する。1本1本の樹形も並木も美しい。幹から段々に視線を上げて分岐する枝先を目で追いながら、その枝先が空色に抜けて開かれる瞬間、ああ、自由だなあと思う。そこには敵意もなければ恐怖もない。はるばると何千キロも飛んできた渡り鳥や個性ある多様な虫たちも、ここでなら安らげた。そこでならわたしは、ひとりにもふたりにもなれた。なりたければきっと、みんなにも。こう書いてみると、本当に素晴らしい場所だ。だからこそわたしは、むことなくこの場所に「言葉」を送りたい。

神宮外苑地区の「まちづくり」

 そんな場所の再開発が進んでいることを知ったのは、2022年の春先だった。以下はいずれも当時の『東京新聞』(TOKYO Web)の記事だ。

「樹木1000本が伐採危機…神宮外苑、東京五輪で規制緩和「開発優先では」 日本イコモスが都へ見直し提言」(2022年2月8日)
「神宮外苑の樹木892本伐採して高層建築、賛成多数で承認 批判意見も「議論は十分尽くされた」 都審議会」(同年2月10日)
「神宮外苑再開発の樹木伐採計画 「見直しを」ネット署名に4万8000人 都の情報開示鈍く」(同年2月25日)

 神宮外苑再開発――。

 神宮外苑はそもそも特別なエリアである。『東京新聞』の記事から引用するなら、そこは〈国民からの寄付により1926(大正15)年に完成した日本最初期の近代的な都市公園とされる。献金のほか、ボランティアが造成工事に当たり、約3000本の樹木も献木された。(中略)完成時に周辺は自然的景観の保全を義務付けられた風致地区に日本で初めて指定され、高さ15メートルを超える建物を建てられないなど開発が規制されてきた〉。そして昭和32(1957)年以降は、その全域が「都市計画公園」にも指定されている[*1]。そうした特別なエリアで規制緩和がなされ、街そのものが大きく変わろうとしている。

 具体的には、土地所有者である明治神宮、日本スポーツ振興センター(JSC)、伊藤忠、施工を委ねられた三井不動産の四者によって進められている。その際に用いられたのが、①再開発等促進区、②公園まちづくり制度、③市街地再開発事業の3点セットだが、ここでは専門的な制度論には立ち入らない。考えたいのは、あくまで各制度を規定する「言葉」、この連載のタイトルにもある「言葉」である。『まちは言葉でできている』――その意味については少しずつお話ししていけたらと思うが、今回の文脈に即せばこう言えるのかもしれない。

 すベて景色の前には「言葉」がある。わたしたちは「言葉」でまちをつくってきた。ある日突然、そこにブルドーザーが現れるのではない。必ず、その前に「言葉」がある。だからその「言葉」が変われば、ブルドーザーの現れ方も、立ち入り方も、去り方も変わり、まちの形も変わる。わたしたちはだから、神宮外苑を失う「言葉」を持っているし、守る「言葉」も持っている。そのはずである。

それはどんな「言葉」で書かれているか?

 では、神宮外苑の再開発は、実際にどのような言葉から始まり、どのような言葉によって進められているのだろうか。まずはこの「まちづくり」の目標を引用してみよう。

1.大規模スポーツ施設等が集積し、国内外から人々が集うまち
2.首都東京の顔にふさわしい緑豊かで風格と活力を兼ね備えた魅力的なまち
3.誰もが利用しやすく、安全・安心で快適なまち

東京都都市整備局「神宮外苑地区地区計画の決定」(2013年6月)1枚目

 どうだろう。人によって印象は異なるかもしれないが、「……どこも悪くないのでは?」と思った人もいるかもしれない。

 まずひと目見てわかるのは、ここに書かれているのが都市の「機能」の羅列であることだ。ただ、この3つの目標から導き出される現実が、「1000本近い樹木の伐採」であるとは想像できないだろう。さらに目を凝らすと、この目標は誰が目指すものなのか、「主体」が曖昧であることもわかる。とりあえず「みんな」で目指していくもの、なのだろうか。

 ところで、少し脱線するが、都市計画プランナーやまちづくりコンサルタントというのは、行政や民間事業者の下でこういう文書や絵を書くのが仕事だ。わたしもバイトを始めた二十歳くらいの頃からこういう文章を書いてきた。他人ひと様の家々が描かれた地図の上に、こうするだのああするだのとグルグル丸をつけたり、「ネットワーク」だとか「ゾーン」だとか「軸」だとかを書き込んでいく。最初はわけもわからずやっていたけれど、地図を見ながら、ここにいる人たちはまだこの計画を何も知らされていないのだろうか、などと思うたび、その暴力性にゾッとした。そうやって出来上がった地図の隣に、「うるおい、豊かな、緑あふれる、快適で、安全で、安心な、魅力的なまちをつくります」などと書いて「みんなの意見をお寄せください」「まちづくりワークショップにご参加ください」と「住民参加」を歓迎する言葉を寄せてきたのである。

 話を戻すが、上記の目標を達成するために、2022年3月には神宮外苑の都市計画が「変更」された。その「理由」は次のように記されている。

都市景観、風致の保全を図るとともに、土地の合理的かつ健全な高度利用と都市機能の更新による魅力的なスポーツクラスターと複合市街地の形成を図るため、公園まちづくり制度の適用による都市計画公園の変更の土地利用転換の動きに併せ、地区計画を変更する。

東京都都市整備局「神宮外苑地区地区計画の変更」(2022年3月)15枚目

 おそらく、一読してここに書かれている言葉の意味を理解できる人は少数だと思う。とりあえずは、上記の目標を合理的で合法的で迅速な手続きによって実現させるよ、と言っているのだと想像するが、少し背景を補いながら「翻訳」してみよう。

東京2020オリンピックを期に国立競技場は建て替えを行なったのですが、老朽化した秩父宮ラグビー場や神宮球場の更新にかかる費用捻出が困難な状況にありました。なので、その課題を解決するために、それらのスポーツ施設を1棟ずつ現地建て替えするのではなく、神宮外苑エリア一体で再開発を行なうことにします。具体的には高度利用が可能に、つまり現在17mの高さ規制が最大190mまで引き上げられることになります(上の文章には直接出てこない言葉ですが、ここは「再開発等促進区」という制度が前提とされている箇所で、「土地の合理的かつ健全な高度利用と都市機能の増進」がその目的となります[*2])。

←「土地の合理的かつ健全な高度利用と都市機能の更新」

その再開発の内容は、スポーツ施設だけでなく商業・オフィスビルも加え、複合的な機能を持った「まちづくり」を進める、というものにします。

←「魅力的なスポーツクラスターと複合市街地の形成」

ただし、神宮外苑エリアには、現在の「都市計画公園」のままでは高い建物を建てることはできないので「公園まちづくり制度」を使って都市計画を変更します(循環的な説明になりますが、この変更により、上記のような「再開発等促進区」としての再開発を実施できるようになるのです)。

←「公園まちづくり制度の適用による都市計画公園の変更の土地利用転換の動きに併せ、地区計画を変更」

 これで少しは意味が通りやすくなっただろうか。まだよくわからないという人のために、さらに要約してみると、こうなる。つまり――神宮外苑は建築を制限し、保存をはかってきた特別なエリアだけど、超高層ビルを建てたり樹木伐採を進めたりしてもいいように、各種スゴ技(制度)を作って、都市計画を変えてみたよ、ということである。

「制度」と自由をめぐるせめぎ合い

 くり返すが、神宮外苑は「公園」だ。公園は本来、開発できない。だって公園だもの[*3]。だから公園を開発するためには、専門的にいえば、都市計画で「ここは公園ですよ」としている指定を外さなければならない。この指定を外して開発を促すというのは、ほんとうは大きなことだ。「そうなの? 公園が勝手に整備されたり、なくなったりすることなんて、いくらでもありそうだけど……」と思う人がいるかもしれない。たしかに、時代ごとに状況は変わるし、制度もわたしたちの暮らしに対応していく必要がある。そのためにも、まず言葉が重ねられる必要がある。

 そもそも都市計画とは、本質的に「個人の持つ自由」を制限するものだ。自分の持ち物であったとしても、その土地や建物を完全には自由にはできない。これが前提である。なぜか。そうした個人個人の自由を調整したうえで、「みんなの」まちを作り上げていくためである。「わたしの土地(財産)なんだから、わたしの好きにさせてよ!」と叫びたいところではあるが、逆に、だからこそ、個人個人がその自由を最大限守りながらも、誰か一人の自由だけが過剰に尊重されることのないように、他の誰かの自由を不当に損なわないように、みんなが共同で生きていけるように、言葉が重ねられていく。その言葉の蓄積が、都市計画である。

 神宮外苑は、そうしたルール(言葉)に基づき「風致地区」指定されてから100年弱、「都市計画公園」に指定されてからは65年ものあいだ、開発圧力に絶えず脅かされながらも、ユニークで取り替え不可能な、どこにもない場所として、かの地を守ってきた。

 今回、神宮外苑で起こっていることを、正確に言い直すと、「再開発等促進区」として高層ビルを建てるために、「公園まちづくり制度」を使い、公園を縮小、再編させ、「都市計画公園」区域の一部を指定から外し、少数の企業や地権者主導の「まちづくり」を行なうというものだ[*4]。長年「都市計画公園」として守られてきたものを切り売りして、ビルを建てるというのは、都市の希少な公園や緑地の減少であり、従前ならば認められなかったはずである。

 そもそも「公園まちづくり」とは奇妙な言葉ではないか。古くなった遊具の点検や植樹の管理なら、「公園づくり」だけでよいはずである。なぜあえて、「公園まちづくり」とされたのか。それには「今日のまちづくり」の性格についてみていく必要がある。

 「今日のまちづくり」の特徴を一言で表すのなら「民主導」「官民協働」「特例」「規制緩和」によって、建築制限を緩和し、建物を建てて、周囲に芝生を敷き、「オープンスペースの創出」「市民参加」「アクティビティの創出」を行なうというものだ。

 行政は財政難で、既存の老朽化した公共施設の建て替え予算を工面するのが難しい。ならば民間の力を借りよう。つまり、「公園づくり」は予算がないからもうできないので、「まちづくり」に解を求めよう。「民」にお金を出してもらって、その代わりに「民」の儲かるような再開発とセットにして「公園づくり」をしよう。それを「公園まちづくり」と名づけよう――。

 市民の望む「公園」と地権者・民間事業者が望む「再開発」まちづくりがセットで実現する。まさに「民主導」で「官民協働」の「まちづくり」。控えめに言って最高でしかない。「公園まちづくり」はおそらくこんな風に誕生した。

 でもこれは、時代ごとに変わりゆく「わたし」たちの暮らしに対応した、本当に歓迎すべき制度なのだろうか。

この都市計画に「わたし」はいない

 「神宮外苑地区のまちづくり」は、どんな「まちづくり」のカテゴリーに属しているのだろう。東京都のウェブサイトに行ってみると「国際競争力の強化等に資する都市の再生」→「都有地等をいかしたまちづくり」の中に位置づけられていた。冒頭に描いたわたしにとっての「神宮外苑」とはあまりにかけ離れていたので、腹を立てることさえできなかった。腹が立つには自分が不在すぎる。言葉が違いすぎる。

 現代都市計画批判を行なった岩見良太郎は、現代の「都市計画」について、資本の論理と結びついて、自らの権力を増大させる「主体なき都市計画」であることを指摘してきた。神宮外苑地区のまちづくりの目標を、今一度見てみよう。たしかに、「主体」や「誰の要求」に応じたものかははっきりしない。3つ目の目標にようやく「誰もが利用しやすく」と出てくるが、「誰もが」という用語はわたしたちひとりひとりを「主体」とし、各々をユニークな個人個人とみなすというよりかは、その実わたしたちがみな誰かに用意されたまちの従順な利用者で、管理の対象であることを意味するように思える。資産価値の拡大を図りたい大規模地権者と財政難である行政の利害が合致し、主体なき匿名的な権威によって、まちの色が塗り替えられようとしている。

 くり返しになるが、わたしたちは居場所を失う「言葉」も、守る「言葉」も、作る「言葉」も持っている。持っているはずである。わたしは、「過去」や「他者」に居場所を与えるような「まちづくり」こそ未来を作るのであって、そうでない「まちづくり」に未来はないと思っている。だから今、こうして「言葉」を探そうとしている。あなたはそれをどう思うだろうか。もしよければ、あなたの言葉で教えてほしい。どんなにささやかでも、そうやって言葉を重ねていくことから始めたい。


【注釈】
[*1]「都市計画公園」とは「都市計画法」(昭和43年法律100号)第十一条の都市施設として都市計画決定された「公園」のこと。

[*2]「再開発等促進区」は「都市計画法」第十二条の五の3において下記のように定められている。〈次に掲げる条件に該当する土地の区域における地区計画については、土地の合理的かつ健全な高度利用と都市機能の増進とを図るため、一体的かつ総合的な市街地の再開発又は開発整備を実施すべき区域(以下「再開発等促進区」という。)を都市計画に定めることができる。(後略)〉

[*3]「都市計画公園」は本来、防災や温暖化など、都市が抱える課題の解決をはかると同時に、緑地が環境保全、住民の健康、文化的生活に欠かせないものであるという観点から整備が目指されるものである。神宮外苑が「都市計画公園」に指定された経緯については、東京都都市整備局の「神宮外苑地区 よくある質問と回答」も参照。

[*4]「公園まちづくり制度」は、東京都と区市町により、主に首都高速中央環状線の内側の東京圏の中核となるエリアの〈未供用地域〉を対象とし、〈民間の力を活用し、公園・緑地の整備を促進する〉ため、平成25(2013)年に創設された。背景としては、〈都心部等では、民間事業者による大規模なまちづくりが進み、緑とオープンスペースを備えた快適な都市空間が創出されてきてい〉る一方、〈事業化が進まない都市計画公園・緑地の区域では、未供用の状態が続くとともに、都市計画制限により市街地の更新が進んでい〉ないという理由が挙げられている(東京都都市整備局)。

【参考資料】
(1)「神宮外苑地区のまちづくり」東京都都市整備局ホームページ
(2)岩見良太郎「都市計画公園つぶしの神宮外苑再開発」『区画・再開発通信』VOL.631、NPO法人区画整理・再開発対策全国連絡会、2022年7月
(3)都市計画用語研究会 編著『都市計画用語事典4訂』ぎょうせい、2012年

著者:西本千尋(にしもと・ちひろ)
1983年埼玉県川越市生まれ。埼玉大学経済学部社会環境設計学科、京都大学公共政策大学院卒業。公共政策修士。NPO法人KOMPOSITION理事/JAM主宰。各種まちづくり活動に係る制度づくりの支援、全国ネットワークの立ち上げ・運営に従事。埼玉県文化芸術振興評議会委員、埼玉県景観アドバイザー、蕨市景観審議会委員、歴史的建築物活用ネットワーク(HARNET)事務局ほか。
大学時、岩見良太郎(埼玉大学名誉教授/NPO法人区画整理・再開発対策全国連絡会議代表世話人)に出会い、現代都市計画批判としてのまちづくり理論を学ぶ。2005年、株式会社ジャパンエリアマネジメントを立ち上げ、各地の住民主体のまちづくり活動の課題解決のための調査や制度設計に携わる。主な実績として、公道上のオープンカフェの設置や屋外広告物収入のまちづくり活動財源化、歴史的建築物の保存のための制度設計など。
以上の活動経験から、拡大する中間層を前提とした現行の都市計画、まちづくり制度の中で、深まる階層分化の影響が看取できていないこと、また、同分野においてケアのための都市計画・まちづくりモデルが未確立であることに関心を抱くようになる。2021年、その日常的実践のためNPO法人KOMPOSITIONへ参画。同年、理事就任。

連載『まちは言葉でできている』について
都市計画は「都市の健全な発展と秩序ある整備を図り、もつて国土の均衡ある発展と公共の福祉の増進に寄与すること」を目的に掲げ、新自由主義体制の下、資本の原理と強く結びつきながら、私たちの生活の場を規定してきた。そうした都市計画制度の中に、住民や市民が登場することはほとんどなかった。しかし今、経済成長と中間層拡大という「前提」を失った都市は、迷走している。誰のための都市なのか、それは誰が担うのか……。
「都市計画」はそもそも得体が知れない。だからこそ私たちは、それと対峙し、言葉で批判を展開するのに苦労する。しかも、言葉を飲み込んでしまえば、その沈黙は計画への「同意」を意味することになる。望んでもいなかったものが、望んだものとされてしまう。あまりに理不尽で、あまりに摩訶不思議な世界ではないか。
本連載では、「みんなのため」に始まる都市の暴力に屈しながらも抗うために、「わたしたちのまち」を「わたしたちの言葉」で語り直すことから始めたい。都市計画やまちづくりのもつ課題を「ケア」の視点からパブリックに開くためにも、「言葉」を探っていきたい。